12話 真の魔人
地下室から、音が消えた。
荒蒔の巨体が床に崩れ落ちた後、残されたのは五人だった。
七罪。澪。誘拐されている真琴と結衣。そして一色彩。
真琴は首輪のせいで床に伏したまま、その光景を見上げていた。
助けが来た。警察が来た。なのに、状況が何も解決していないように感じる。目の前で起きていることが、現実として処理できない。
彩は荒蒔の死体を一瞥し、それからゆっくりと七罪へ向き直った。
その表情は穏やかだった。まるで、長い旅の末にようやく目的地に辿り着いたかのような、満足げな笑みを浮かべている。
「私、貴女に会いたかったんだよねー」
彩は七罪に向かって言った。声は軽く、まるで友人への挨拶のようだ。
「警察官をしている変人って噂の魔人にね」
澪の視線が七罪に向いた。冷たい地下室の空気が肌に刺さる。七罪は表情を変えず、ただ彩を見ている。
「だから、こんな大仰な事件を作り出したの?」
七罪は気だるげに言った。その声には、称賛も怒りも含まれていない。ただ純粋な、疲れたような感想だけがある。
「ご苦労さま」
「作り出した……どういうことですか」
澪が鋭く問うた。
七罪は少しだけ間を置いてから、彩を見たまま口を開いた。
「あのスマホを探していた男たちのところから怪しんでいたけど、空間転移とこの場に来て確信した。今回の出来事は全て、この女の仕業」
「どうかなー。合っているか採点してあげる」
彩は人差し指を立てて、楽しそうに言った。
「探偵みたいな推理ショーはやりたくないんだけど」
「そんなこと言わずにさ」
彩は澪へ視線を移した。
「相棒も、意味が分からないって顔をしてるよ」
七罪は澪の顔を見た。確かに、澪の表情は困惑と警戒が入り混じっている。七罪は面倒くさそうに息を吐いた。
「……仕方ない」
七罪は腕を組んだ。
「今回の動機は単純だ。この女が言った通り、私に会いたかった。ただそれだけ」
澪の眉間に皺が寄った。
「それだけ、というのは……」
「それだけ、という意味だよ」
七罪は淡々と続けた。
「私が所属している機動七班は全国を飛び回っている。この女は、ちょうど良いタイミングを探していた。淡路島のヤクザ組織が機動七班によって壊滅したことを知り、次の移動先が大阪になると読んだ」
「当たり。あのヤクザ達はねぇ。荒蒔とヤクの取引してたから、情報は直ぐに入ってきたよ」
彩は七罪の説明に補足するように言った
澪は黙って聞いている。
「ただし、大阪府警にはそこそこの戦力があるから普通のダンジョン事件なら、機動七班を呼ばずに済ませる可能性がある。だから、自分たちの手には負えないと思わせる必要があった」
「再生成」
澪が呟いた。
「そう。ここだけの話。ダンジョンの再生成は魔人の権能の一つ。それを意図的に起こすことで、府警に『これは通常の事件ではない』と判断させた。機動七班の招集は、この女の計算通りだった」
彩は口元に手を当て、楽しそうに微笑んでいる。
先ほどのように補足しないということは、正解ということだろう。
「ま、待って下さい」
澪が一歩前に出た。
「再生成を利用するとして、もしも被害者が救出されなかったら、どうするつもりだったんですか。西永風花さんは再生成に巻き込まれて消滅した可能性もあるんですよ!」
七罪は少しだけ間を置いた。
「救助される。なぜなら、この場には最初からこの女の配下がいたからね」
七罪が指を向けた先は、南條結衣だった。荒蒔が倒れた後も、結衣は壁際に静かに立っていた。
真琴の息が止まった。
「う、そ……やろ」
掠れた声が出た。首輪の痛みも忘れ、真琴は結衣を見た。
結衣は、真琴の視線を受けて、何の表情も変えなかった。
「私たちの班の情報は、人間から引き出したんでしょう。美人局に近い手口で。ネット経由ではラプラスがペンタゴン並みのセキュリティを構築しているから、ハッキングは不可能だからね」
スマートフォンの画面に、ラプラスの顔が映った。
『これだから人間は嫌い☆』
吐き捨てるような一言だった。普段の軽さが完全に消えている。
「班員の能力を把握した上で、問題になるのは迅の異能の覚だった」
七罪は続けた。
「相手の心を読む力。だけど、迅が読めるのは人間だけ。魔人の思考は範囲外になる。だからこの女は、迅と直接接触することを避けた。道頓堀ダンジョンに潜ることで、地上にいる迅との遭遇を避けている」
澪は唇を噛んだ。
全てが計算されていた。迅の異能の盲点まで、事前に調査されていた。
「道頓堀橋の一件はSNSに上がっていた。私が銃で撃たれた場面を、通行人が撮影して流した。それを見たこの女は、私が魔人であると確信した」
夕暮れの道頓堀橋で起きた光景が、澪の脳裏に蘇った。
あの時、野次馬がスマートフォンを向けていた。誰もが動画を撮っていた。そしてその映像が、この結果を生んだ。
「真琴のスマートフォンをわざと落としたのも、私たちをおびき寄せるための罠だね。自分のスマートフォンを落とせば、私がいるんだから、下手するとそこから魔人同士の繋がりが発覚する可能性がある。だから、もう一人の方のものを使った」
床に転がっていた、花のステッカーが貼られたスマートフォン。
あれは証拠品ではなく、誘導のための道具だった。
「彩は荒蒔に、手下にスマホを探させるよう仕向けた。手下たちの焦りが私たちの目に触れるよう、計算した上で」
七罪は彩を見た。
「概ねこんなところでしょう」
しばらく沈黙があった。
「大正解! 100点満点だよ」
彩は両手を打ち合わせた。心底嬉しそうな笑顔だった。
「結衣もお疲れー」
その言葉を受けて、南條結衣が動いた。
自分の首にはめられていた首輪を、片手で掴む。そのまま、力任せに握りつぶした。金属が歪み、宝石が砕け、粉々になった首輪が床に落ちる。
真琴は、瞬きもできずにそれを見ていた。
首輪は「絶対服従の魔道具」だ。それを素手で砕いた。そんなことが人間にできるはずがない。
結衣が口を開いた。
関西弁は、消えていた。
「はぁ。個人的には、もう少し遅くても良かったんですが」
標準語。抑揚のない、事務的な声。
「真琴が凌辱される様を見たかったのに」
言葉の意味が、真琴の脳に届くまで、数秒かかった。
「ほんま、に、魔人、なんか」
声が、自分の声とは思えないほど小さかった。
「はい」
結衣は真琴を見た。その目に、かつての友人への温度は一切ない。ただ、観察するような静けさだけがある。
「大学では、いい感じの餌を探すために入っていました」
「え、さ」
真琴の口から、言葉の欠片が零れた。
「餌。ウチは、結衣にとって、餌、やったんか」
「そうですね」
結衣は淡々と答えた。まるで学術論文の内容を説明するかのように。
「荒蒔に攫われ、凌辱されて、生み出される生気を食べる手筈だったのですが……上役の命令でこうなりました」
「ごめんね」
その言葉は、真琴に向けられていなかった。
彩の視線は、結衣にあった。
生気――人が生きる意思。それを全て吸い取られたら人は生きる意思を喪い、脳と心臓が動いているだけの屍となる。
謝罪の意味を、真琴はすぐには理解できなかった。やがて、ゆっくりと理解が追いついてくる。
あの「ごめんね」は、自分への謝罪ではない。結衣が食事にありつけなかったことへの、謝罪だ。
真琴は、その事実の前で言葉を失った。
「……」
何も出てこない。
怒りも、悲しみも、恐怖も。全部が混ざって、どれも形にならない。
結衣の顔を見た。同じ顔だ。
笑い方も、声も、去年の夏に道頓堀でたこ焼きを食べた時も、全部同じだった。だが、目が違う。ずっと気づかなかった。いや、気づきたくなかったのかもしれない。
大阪弁で話す結衣が好きだった。
一緒にダンジョンに潜るのが楽しかった。
その全てが、餌を確保するための演技だった。
「これ、もう限界だったんだよね」
彩は倒れた荒蒔を踏みながら、楽しそうに言った。
「欲から出る生気も薄くなってたし。使い潰すにはちょうどいいタイミングだった」
荒蒔は欲から生み出される生気を吸い取られ続けていた。見た目は洗練されたスーツ姿の男だが、その実態は生気を搾り取られた、ほぼ屍に近い存在だった。
あの濁った瞳は、悪人の目ではなく、抜け殻の目だった。使い続けることに限界を感じた彩は、今回の計画で荒蒔を使い切り、切り捨てることを最初から決めていた。
「あんなのが……魔人だというんですか」
澪の声は、かすかに震えていた。
七罪は澪を見た。普段の気だるげな表情に、わずかだが、何かが滲んでいる。
それが何なのか、澪には判断できなかった。
「あれが魔人。人と同じ姿をしていながら、人との思考回路が異なる罪と欲――魔を好む人外の種」
その言葉が、地下室に落ちた。
澪は思わず赤くなっている右目を掌で抑え、左手を血が滲むぐらい強く握りしめる。
思考が沼に嵌りそうになったものの、強引に断ち切った。今はそれを考える時ではない。
真琴がまだ床に伏している。首輪がはめられたまま、動けずにいる。
結衣は涼しい顔で立っている。彩は七罪を見ながら、まだ楽しそうに微笑んでいる。
この場を、どう収拾するのか。
澪は七罪を見た。
七罪は彩を見ていた。気だるげな目で。興味があるのかないのか、判然としない目で。だがその目の奥に、澪はかすかな何かを見た気がした。
それが何なのかを考える前に、七罪が口を開いた。
「さて」
七罪は彩に向かって言った。声は穏やかだが、その言葉は地下室の空気を変えた。
「会いたかったのは叶えてあげた。それで、次は何をしたいの」
彩の笑みが、深くなった。
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