三話 終末世界の曙光
話は12時間ほど遡る。
満世の前に供された料理は、ミルクシチューに丸パン(いずれも自称)という簡易なものだったが、それはそれは酷い代物だった。
玉ねぎや人参(の近縁種)に肉、それらの火が通っているのはよしとしよう。生肉が出てこなかったのは救いだと思う。けど、火が通り過ぎて野菜はグズグズ、肉はガチガチ。
シチューなどと名乗っているが、ルウもなければ小麦粉とバターから作ったわけでもない。牛乳は使われているが、日本で口にしたそれよりずっと薄く感じる。結論としては『塩と牛乳のごった煮』としかいえない。
丸パンなどなお酷い。
小麦を丸めて焼いただけで、イーストによる発酵はなし。しかも何を勘違いしたのか塩と砂糖の加減が効いておらず、甘くてしょっぱい小麦の塊……乾パンに謝って欲しい代物が出来ていたのだ。
「よかったなミッチー」
「料理長のお慈悲が出たぞミッチー」
絶望の表情をひた隠しにして黙々と食べている横で、二人の看守は――もう横にいる時点で看守の役割を放棄しているが――羨ましそうにこちらを見ていた。僕はあまりにも食材が可哀想になり、少し俯いてしまう。
(こんなに不味く調理されるなんて、この食材が何をしたっていうんだ……! この子達には、食材に対する愛はないのか?!)
愛、という言葉を僕が使うのは空々しい話だが。今確かに、手の中にある食事が、食べる側への情や食材への労りを感じない(というか知らない)有様が、僕には許せなかった。なんとか、料理未満の代物を食べ切らねば。心を殺して淡々と食べるのではなく、自らの糧とする覚悟をもって。
◆
二人組の看守、レニとアニ。
彼女らは、満世が食器に注ぐ視線が哀れみとか、絶望とかを乗り越え、使命感にも似た慈愛を感じさせるものへと変化したことを敏感に感じ取っていた。
シチュー(自称)を一口啜った時点で表情を押し隠そうとしていたし、その後もずっと黙々と食事を口に運んでいたがやはり厳しいものがあったのだろう。別の世界の食べ物なんて口に合わないよな、そりゃあ怒りたくもなるかな、でも姫様に手を挙げた不届き者だし……などという気持ちで見ていたのだ。
先程までは。
満世の表情が決意と慈愛に包まれた瞬間、その手が仄かに瞬いたように見えたのだ。
すわ魔術のたぐいかと腰を上げたが、ニンゲンに魔術のたぐいなど使えた試しがない。それは歴史的に証明された事実で、過去の転移者もほぼ全員がそんなものを持たず、あったとて、発揮する前に搾り取られて死んでいる。
だとしたらアレは何だったのだろう、危険行為を狙っているのではないのか。
レニが反応に困る中、アニは鼻をひくつかせ、次の瞬間にはもう満世のスプーンを奪い取ってシチュー(自称)を啜り上げていた。
「何かやらかしたのかミッチー。シチューがなんか美味しいぞ」
「アニの冗談は真に受けなくていいぞミッチー。そんな馬鹿な話があ、あれぇ……?」
アニの言葉を否定すべく、レニはアニからスプーンを奪い取り、同じく啜る。
毒味の名目で口に入れた汁物とはとても同一とは思えないくらい、味がはっきりしている。
サキュバス二人は、困惑のあまり顔を見合わせ、続いて満世の方を見た。信じられない、という顔で。
◯
「……? 正気ですか? 確かに努力の片鱗が見られる味わい深い料理ですが、さすがに大げさでは……」
満世は困惑する二人からスプーンを奪い返すと、シチュー(自称)を野菜ごと一口啜った。
やはり、酷い味だ。
酷い味なのだが、こころなしか先程よりマシになったように思う。思うのだが、やはり改善の道は遠く険しい。彼女達が「義務」で食べているのか、「惰性」で食べているのか、この食事はどこまでのランクで、食材はどこまで普及しているのか……あと、ジャポニカ米の近縁種はあるのか(最重要)。
僕は正直、死ぬまでこのままサキュバスの世界に居座る羽目になるなら、少しでもマシな食事を食べて死にたかった。
あと、こんな食事未満の代物を「食事」という文化で押し込めているお姫様含むサキュバス各位には、ぜひ「食文化」を理解してもらわねばならない。
そう決意すれば食事は早めに済ませるべきだ。消化に悪くない程度に急いで食事を平らげると、僕は看守達に仮の拘束を受けつつ、調理場へと足を向けた。
そして正直、舐めていた。
サキュバス達のあの有様では、料理に使える食材はともかくとして、調味料や香辛料は大して揃ってないだろう、と。
「うおすっげ」
「キャラ崩れてるぞミッチー」
「目の輝きがおかしいぞミッチー」
あるのだ、香辛料が。サキュバス世界の近縁種だと思うけど、僕の知ってる範囲での、即戦力になるブツが。
「っていうかマヨネーズ……え、酸味がちょっと強すぎるくらいで僕の世界のと大差ないじゃないですか。ていうことは酢? あるんですかこの世界に酢なんて」
「あっはっは! 突然乗り込んできたと思ったら、この子が姫様の喚んだニンゲンかい? そんなに酢が珍しいのかい」
「 え、あー……どうも、異世界人の一識 満世、です……」
驚きのあまりやや早口気味に捲し立てる僕の後ろに、いつのまにか巨、もとい恵体のサキュバスが立っていた。エプロンにコック帽、他は他のサキュバスと変わりないが、下顎の小さくも反り返った牙と、自己主張が強そうな黒くて硬質の髪を備えた顔立ちは、ひと目で彼女の血筋を理解させた。
「ミチヨかい、可愛らしい名前だねえ! アタシゃタルホ、料理長だよ! よろしくね!」
「はい、よろしくお願い、します……」
ただ相対するだけで背中から汗か吹き出す。
この女性には逆らうべきじゃない。
別に、この人が強いとか凶暴性が隠れているとかではなく。ただ単純に「巨きい」のだ。色んな意味であまり争いになりたくはない。
「よ、よろしくお願いします料理長。で、まあ……失礼ながら、サキュバスの皆さんは調理という知識についてそこまで探究していないと思ったので、その」
そこまで話したところで、「あ」と理解した。サキュバス達がいかに料理に疎くても、調味料が棚の肥やしになっていたとしても、彼女らの享楽にふける性質からすれば酒は必要不可欠。そこから生まれる酢の存在を、彼女達が見逃すはずはないのだ。
「ニンゲンの知識をアタシ達サキュバスが取り込んで、料理に力を入れるようになった。ここまではこの子達から聞いたろ? アタシ達が『酒神の裏切り』なんて呼んでた酒の出来損ない……まあ酢だね、これを料理にするってんでね、マヨネーズ? ってのを作ったんだけどそれ以外はてんでダメでねえ」
「あ、マヨネーズがあると八難隠すのはどの世界でも共通なんですね」
「でもこっちの世界の食材でおなかいっぱいになっても精力が溜まらないんだよミッチー」
「ニンゲンの食習慣は試した方なんだけどね」
(それであのザマなのか……)
酢が酒の失敗作、なるほど分からないでもない。
タルホさんがそこから異世界の食文化にあたって出来たのがあのシチューとか、揃えた調味料の山とか、あとは置いときゃ間に合わせに減っていくマヨネーズだというなら……それはそれで可哀想だ。二人の話通りなら、男性からの搾取も、食事からの補給も断たれ――つまりこの世界、食料にすら魔力やそういった要素が沈着しないほどに枯渇しているってことなんだろうか? あまりの末期ぶりに、少し目眩がした。
「「でも」」
と、言葉を句切って看守姉妹が続けた。
「ミッチーが手に持ってた料理は謎に美味しかったし、『満たされた』感じあった」
「あれ絶対魔力回復してたよね」
「ね」
「魔力が……? でも僕が持ってただけでそんな不思議現象が起きますか?」
「でも光ったよね」
「持ってた器が光ってから食べたらなんか違った」
「今もちょっと光ったじゃん」って指を指してきた二人に、僕は思わずのけぞってしまう。光るって。そんなルームライトみたいな人間がいるわけないじゃないか。
だが、タルホさんの方はそれを冗談だとも思ってないらしく、というか「見た」らしく、両肩をがっしりと掴んできた。
「ミチヨって言ったね。アンタは食事にうるさいニンゲンみたいだ。そして今の光。もしかしたら何か『しでかして』くれるかもしれないねぇ……どうだい、明日の姫様の朝食を作ってみないかい?」
「『しでかす』のは褒め言葉なんですか?」
……という経緯から、調理の試行錯誤中に看守姉妹とタルホさんを何度か(食事の感想で)感動とかされたあと、洗濯された学生服と下着一式を返却され、ピシッと整った状態で姫様の前に立った……というのが今まさに起きた話である。
結果としてこの一件は僕の寿命を少しだけ長らえさせ、牢屋からの自由を与えられたものの。市井に料理技術のアップデートが行き渡るにつれて、現状の世界の深刻さが浮き彫りになる結果を招いた。
まず、食材や調味料という概念は申し分ない。あの調味料の密度は王宮の調理場だけ、というわけではなく一般社会でも「あるけど使いどころが分からないまま放置」だったらしい。そういう意味では、食事の変化がもたらした幸福値の上昇は劇的だったようだ。それなり以上のサキュバス達の表情と周囲の空気の改善がみられた。
けど、それ以上にこの世界の空気が末期世界の兆候を呈していることが、鈍い僕にも分かってきた。ただ歩いているだけで空気が肌を刺し、何かを喪っていく感覚。びりびりとした空気が、やすりがけのように僕の全身から活力を奪おうとしている現状。これが「魔力が枯渇した世界」の感覚か。『ニンゲン』という言葉が「無魔法知性体」の意味だと姫様は言っていたが、人間界は魔法が使えないだけで、魔力が充実していたのだと思い知らされる。
そして――ティーゼ姫は、短期間で改善したサキュバス達の幸福度とは裏腹に、徐々に塞ぎ込んでいるように思えた。
僕という存在を喚んだのに、世界の改善は期待できない。王宮まわりのサキュバス達が気持ち程度に魔力の回復がみられたのはごくわずかで、やはりオスから精力を吸い上げるのに比べれば微々たる量。僕という人間の貢献は、サキュバス達にあたえるパンとサーカスの質が向上したにすぎない。
だからだろうか、ここ数日は食事すらも拒否しはじめた。空腹が死に直結しない種族とはいえ、少し気がかりだ。もしくは、自分だけが満たされるのを嫌ってなのか。何か彼女の力になれればと強く思う。だが手段がない……存在意義を見つけなければ、きっと僕もこの世界の空気に魂を鑢掛けされて消耗していくだけ。時間はあまりないというのに……!
「……イッシキ様。ひとつ、ご提案がございます」
そんななか、居室に訪れたのは「ホレ婆」と呼ばれていた老婆のサキュバスだった。……ホレ婆、か。確かこの名は、僕の世界では。
「姫様をお抱きになっては如何か」
『信賞必罰』を絵に描いたような魔法の老婆に冠された名前ではなかっただろうか?




