二話 ティーゼ・ヴルム(愛すべき哀れな姫)
「姫様、あの不届きな異世界人に張られた頬のお加減は如何でしょうか?」
「え? ああうん、大丈夫よ。ちっとも痛くないわ。ありがとう、ホレ婆」
召喚の儀から明けて、朝。
私、ティーゼ・ヴルムは自室で目を覚ました。すぐ脇に控えるのは、私達サキュバスのなかでも長老として名高いホレ婆。加持祈祷や占術に長けた彼女は、今回の召喚は世界を変える一世一代の機会となる、そんな助言を寄越していた。
結果として現れたのが……『アレ』である。
およそ欲求というものとは縁遠い、というか『欲求のなんたるや」すらもいまいち理解していない、それでいて自分の心情のようなものに土足で入られると過激に反応する、どうにも沸点の置き場がわからない少年だったのだ。あまつさえ、知らないとはいえサキュバス界の姫たる私を正面から張り倒して面罵するなんてことはしない。その体が異常に獣臭かったのも大幅にマイナスだ。なぜあんなヤツを喚んでしまったのか、それがホレ婆の予言した「救世主」だなどとはとても理解できない。
かつて、サキュバス達は無魔力知性体達の世界に渡ってはその世界のニンゲンを食い荒らし、それで精力を魔力に変えて各々の命を長らえていた。やがて、個の生命維持から世界全体の現状維持に回すために、ニンゲンから奪った精力を魔力として供給するようになった。本末転倒な世界維持が何十年、何百年か続いてからいよいよ異世界との境目も渡れなくなった私達サキュバスが選んだのが、異世界からニンゲンを喚ぶことだった。
「先代様がお喚びになられたニンゲンは、それはもう大きく貢献して命を落としていかれたものです。普通のニンゲンであれば一度交わればたちまちに快楽に溺れて精力を吸い尽くされようものを、三日三晩、先代様と情を交わして亡くなられたものですから。先代様は己の中に満ちた魔力を自然に還元し、この世界に限りなく薄まった大気中の魔力をどうにかしようと務められたものです。……それも大きな成果を挙げた、という程でもありませんでしたが、確実に数世代分の貢献を成しました。この不肖ホレめが畏れ多くも拝謁した未来が過たず訪れれば、彼のニンゲンにも先代様の召喚者、或いはそれ以上の貢献を」
「そうは言うけどね、ホレ婆。あの男は聞いての通り性愛の類に全くの無反応を決め込んでいたのよ? 精力も表立っては皆無に等しかったし、私たちの真っ只中にいきなり放り込まれても平然としてたの。おかしいでしょ? あの有様で『救世主でござい』なんて言われても信じられないわ。あの有様で、私達の世界から減り続ける魔力を、精力不足からくる寿命の加速を、どう解決してくれるっていうの? とんだ期待外れだわ」
先代――とは、即ち私の母なのだが、その代替わりも平坦なものではなかった。サキュバスの社会はニンゲン達が言う専制社会に似るが、それは社会規模が数十万程度まで縮小した結果であり、召喚に耐え、且つ次代を産み落とすだけの魔力と『才能』を持つ血統が私達の血筋にしか許されないから、というのもある。
他の者は子孫を残せないのか、と言うとそんなことはないが……サキュバスの生態自体が「子孫」とか「血統」と名乗っていい類ではないのは、恥ずかしくもないが仕様がない。
そんなサキュバスの未来がさらなる閉塞か、現状維持か、はたまた繁栄に転じるかは私の肩にのしかかっていたが、まさかああも大外れを引いてしまうとは予想外だ。
「しかし姫様、我々の『召喚』の条件に見合ったオスがあの者だったと思えば、それもまた巡り合わせでございましょう。然るに、彼の世界との血統の繋がりと社会のつながりが乏しく、こちらに引き入れる際の抵抗を最小化できる個体。かつての召喚者様方のように、縦横の縁を引き剥がしてでも精力無尽の英傑を引き入れられない現在、適齢期のオスを引き入れただけでも祖先に誇る殊勲ではございませんか」
「ホレ婆、それは……お前を除く者達は、そも私に期待を示していなかったという事実、その言質と取って構わないの?」
「滅相もない」
無意識に、額に血が通ったのを理解する。ホレ婆の表情が怯えの混じったものになったのを見て、私はやってしまったと、遅れながらに自覚した。現にあんな男しか引き込めなかったのは事実だ。実力も知らぬ痴れ者か、私は!
反射的に己の頬に伸ばした左手を下ろし、私は軽い謝辞と食事の命を下してホレ婆を下がらせた。
(ホレ婆がまだ慌てふためいてないところを見ると、あのニンゲンが『救世主』だとか言う与太は、予言として揺るぎないって事かしら。あれが? じゃあ……『これ』と関係あるって事?)
手を添えた左頬。それはあのニンゲンが張り飛ばし、その後に布の上から触れてきた箇所である。張り飛ばされた時はジンジンと熱く、数日は引かない腫れが残ると思っていた。
だが、あいつが触れた直後に嘘のように腫れが引き、どころかその場所だけ気持ち程度に肌のキメが細かくなった気さえした。それだけにとどまらず、魔力不足で慢性的に夜型となったサキュバスの身で、日が上ってまもなくの時間に目覚めている異常……「サキュバスとはこうである」という固定観念を根っこから引き抜くかの如き異常は、果たして「たまたま」なのだろうか?
そんな混乱を見透かしたように鳴り響いたノックの音。続けて響いたその声に、私は何度目かも分からない驚きを覚えることとなった。
「朝食をお持ちしました、姫様」
「ええ、入っ……待って、その声はニンゲン?! 何で収監されてないのよ! そんな顛末は聞かされていないわよ!」
何故なら、朝食を持って現れたのが、あの忌々しいニンゲンのオスだったからてある。着ている服は昨日のものだが、すっかり獣臭さは消え、『中身』も傷跡などを除けばまあ、獣の残滓はないに等しい。だがやはりというか、表情から仄かに苛立たしいオーラというか、そういうものを覚えなくもない。
「またそれですか。僕には一識 満世と言う名前が」
「ああそう! ならイッシキでいいわねイッシキで! 個体名なんて生意気だこと!」
「……で、その生意気な個体が畏れ多くもサキュバスの姫君にお食事をお持ちした次第なのですが、食べるのかどうか、出来るだけ早急にお決め頂きたいですね。どうします? 可能な限りお口に合うよう作らせて頂いたつもりですが」
「~~~~っ、食べるわよ!!」
ニンゲンが料理を持ってきた? 平然とこの辺を歩き回って? まだ半日も経っていないうちからどうしてそんな話になったの? そりゃあ、少しくらいの自由は許すけど地下牢以外では二人以上で見張らせろって伝えたはずだけど……でも、流石に食事を楯にされて食べないのか、はズルいじゃない! 減ってるわよお腹くらい! ニンゲンが持ってきたっていったってこいつが作ったとか馬鹿げた話じゃあないんでしょ? だって昨晩は別におかしな食事じゃなかったもの。なら、何も問題ないはずよ。
……大丈夫よね?
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「……美味しい……?」
召喚された『ハズレ』のニンゲン……もとい、一識が用意した料理は、メニュー自体はありふれたものだった。牧場ですっかり老いて乳を出さなくなった牛の肉、農園でカロリー不足の解消を企図して育てているジャガイモを蒸して潰したもの。あとは農園でニンゲンに倣って作らせたけど何が美味しいのか分からない、やたら色の濃い野菜の数々。
それらに美味しさを求めていない……と言ったら大嘘だったが、ニンゲンのやり方にはあまりに無駄やノイズが多く、ニンゲンの記憶の五割も再現できていなかったのだ。
肉は何をどうしたのか、スカスカで「味気ない」か「濃すぎる味」の二択から脱却していて、蒸し芋もちょうどいい塩気を感じる。中に混じっているのは、添え物にも出されている無駄に色が濃い野菜達。塩…‥ではない何かが味のアクセントになっている。
「それは大変結構です。姫様にお出しする料理を私が手配して、いつも召し上がっているもの未満の生ごみをお出ししたら首が飛んでいるところでした」
トントンと首筋を手で叩きながら、イッシキはおどけてみせた。何と不遜で経緯のない態度なのだろう。これだけで首を刎ねる理由になった。
「本当なら、牢から出て調理場にずけずけと入り込む不届者はすぐにても首を落としたいところだわ。でも、今出した食事の味は認めるしかないの。この広い世界に取り残されたサキュバスが、精力が尽きて死ぬより早く、味気ない料理の退屈さで心が腐るところだったもの。少なくとも、それは避けられたんだから。業腹だけど、アンタの成果よ」
言って、私は部屋の隅に控えていたレニとアニに目をやった。気持ち色艶の良さそうな顔で、何故か自慢げにふんぞりかえる両者を睨みつけると、即座に縮こまっていた。……仕様のない子達だ。
「それはまた、過ぎた言葉で」
嘘は言っていない。
それどころか、イッシキかいうこの変態が作った料理(工夫したステーキにマッシュポテト、緑黄色野菜のピクルスというらしい)は、食事に無頓着だった私達がニンゲンの知識をなぞって作ってきた料理の数々よりもだいぶマシだ。
「でも、アンタが居なくなったら食べられないのは問題だわ。同胞達も同じ味を食べられなければ、そのうち減る数も大変なことになる。作り方は、料理長に教えなさい。ニンゲンの『レシピ』ってやつならいやってほど残ってるから、ほどほどに」
「……レシピ、あるんですか?」
「あるわよ! あるけど、アンタ達ニンゲンは食に偏執的すきるのよ! 元々作ってない辛い植物の種だとか、腐ってるのかなんなのか分からない作り方とか! 代用品探して育てるだけでもひと苦労よ!」
「だから調理場にあんなに、『作ったはいいけど封も切られてない調味料みたいな何か』が……?」
「悪かったわね私達の食事が貧相で」
イッシキの作った食事の味が確かなのは、全く否定できなかった。
この世界の原住種族達が残した食の歴史は、確かにある。改良種や原種も探せばあるので、そちらも再現できなくはない。
だが、搾精で満足感を得られた祖先から、機械的に食事を精力の足しにする今に至るまで、私達は効率化と量の増加を除いて、試行錯誤などしてこなかったし、無駄な技術は省いてきた。
それが今になって起きな間違いだったのでは、と真正面から突きつけられるなんて……正直、認めたくない。
しかし、目の前の皿は正直に結果を示した。磨き上げたように真っ白になっているのは、残さず食べようとした私の浅ましさの証明だ。
そして今、とても食事だけで得られたとは思えない満足感が体を満たしているのを感じる。腹部の奥から全身に向かって、血が、魔力が通っている……そんな印象。
「ミッチー、姫様はたいそうお喜びだぞ」
「寿命が伸びたな、ミッチー」
「むしろ、一口目を召し上がる前に縮み上がった心臓の分でトントンですよこんなの」
「悔しいモンだねぇ、姫様があんなに満足げになさっているのを、アタシ以外が最初に見ることになるなんて……」
そんな私の内心は露知らず、レニとアニ、そして料理長のタルホに冗談を吐く余裕を見せるイッシキ。
釈然としない気持ちで立ち上がった私は、タルホに調理法などを確認しておくように言い含め、自室へと戻ることにした。




