信心疑擬
2025年5月28日(水)
「私、あなたのことが好き」
僕、尾上祐希16歳。
お昼休みの時間、いきなり知らない女生徒に呼び止められ、放課後に体育館裏に呼び出されたと思ったら、告白されてしまった。
こんな思いもよらぬ幸せなハプニングが僕の人生に起こり得るなんて今まで生きてて思わなかった。
でもそんなハプニングよりも異様なのは、目の前の女生徒が青ざめた顔で、ふりふりと首を横に振り、ずっと口を両手で抑えて喋っていること…。お昼休みの時間の時間から気にはなっていたけれど…。
「あの…大丈夫ですか…?」
「なにが?」
「大丈夫ならいいですが…えっと…どちら様でしょうか…僕、あなたのお名前も知らないので…」
「そんなことどうでもいいじゃん。好きだよ」
「はぁ…ほ…本当ですか」
「うん」
「…じゃあ…僕…あなたのことをまだよく知らないので、お友達から始めてみませんか」
「…」
今度は何も喋らない。
「あの…どうしました…?」
「…」
返事はない。
何度かこのままここから立ち去ってしまおうかと悩んだが、あまりにも異様な光景だったので、放ってもおけず、僕はこの人が再び喋り出すのを待った。
しばらくして、この人は大きな深呼吸をした。
その後、今度は口を抑えていた手を外して、膝から崩れ落ち、その場に蹲った。
荒い息遣いで苦しそうに喋りだした。
「…はぁはぁ…やっと喋れる…ごめんなさい…私…」
「え…あの…だ、大丈夫ですか…?」
「大丈夫です…はぁ…ごめんなさい…はぁ…」
呼吸が安定しない。目の焦点も定まっていない。顔色はずっと青いまま。とにかく苦しそうだ。
「保健室行きましょう」
「ほ…本当に大丈夫ですから…」
とは言われてもこんなにも顔色が悪いのは心配だ。
「立てますか…?」
「いえ…でも…しばらくここで休めば…大丈夫ですから…」
「失礼します」
僕はその人の両脚の膝裏に左腕を、背中に右腕を通すようにして抱えた。
「え…え?…えぇ…!?」
今日、僕は名前も知らないこの人をお姫様抱っこしている。
およそ現実とは思えないような浮ついてふわふわとした地に足つかない不思議な高揚感に酔いつつ、足早に保健室へと向かった。
◇
「私、嘘ついちゃうんです」
慌てて駆け込んだ生徒も先生も誰もいない保健室で、見知らぬ人をベッドに横たわらせ、数分経ち、落ち着いた様子になってきたと思ったら、口を開いて発した言葉がそれだった。
「嘘…?」
「はい。嘘です」
「…ということは…」
「ごめんなさい。私、あなたのこと好きじゃないんです」
「お…おぉ…」
落ち込む。これはこれで落ち込む。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい…」
そんな本当に深刻そうな顔で謝られては僕も赦すしかない。
「大丈夫ですよ。気にしてないです。それよりお身体は大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。大丈夫です」
今度は本当そうだ。顔色もいいし、呼吸も目の焦点も安定している。
「それなら、良かったです。本当に。あまりにも苦しそうでとっても心配しましたから」
「ご心配もおかけしてしまって本当に申し訳ないです…」
「本当にお気になさらないでください。あなたが少しでも元気を取り戻せたようで良かったです」
「ありがとうございます…」
「いえいえ」
「「…」」
沈黙…。
何を話せばいいんだ?誰も保健室に来ないし、僕だけここから出て、この人を保健室に一人にさせるわけにもいかないし…。
とかぐるぐる色々考えを巡らせていると、その人が沈黙をぶち破ってくれた。
「…私、時々、勝手に口が動いて、嘘をついてしまうんです。物心がついて、意味の通った言葉が話せるようになった時からそうでした…」
「虚言癖…みたいな…?」
「そうですね。そんな感じです。お医者様にはよくわからないって言われているのですが…小学二年生の時、周りから嘘つき嘘つきって言われるようになって、その頃からもうできるだけ人と話さないようにして生きてきました。その意に反して私の口は勝手にでたらめをぺらぺらと喋って…そうしたら、虚言以外は何も話さない私が出来上がってしまって…何人か友達でいてくれていた人はみんな離れていって、そうやって独りになった私はもう誰とも話さなくなっちゃって…」
「…」
それ以上、その人はもう喋らなかった。
なんだろう。話を聞いていてすごく心が痛くなった。僕は嘘をつかれて騙された被害者であるのに、むしろ嘘をつかれて舞い上がっていた僕の方が悪いみたいな罪悪感まで感じる。
気づいたら、何かしてあげたい。そう思っている自分がいた。
僕ができることってなんだろう。
僕ができること、してあげられること、なんて大したことじゃないけれど、一つだけ。
「やっぱり、お友達から始めてみませんか」
「…え?」
「僕、あなたのことを知らないんです。全くもって知らないんです。だから、今日お話を聞いて、もっとあなたのことを知りたいと思ったんです。お友達になりたいと思ったんです」
「どうして…」
「わかりません。僕は僕の気持ちに従ったら、そういう答えが出ました」
「私、嘘ばっか言いますよ」
「僕もたまに言っちゃう時あります」
「…ふふっ…じゃあお揃いですね…」
その人はぽろぽろと大粒の涙を目から溢し泣き出してしまった。
こういった時どうすればいいのか僕にはわからない。
友達…友達ならこういう時どうするんだ…?僕自身も中学では厨二病を発症したせいで友達がおらず、高校は抜け切らない厨二病を引きずったまま、痛い自己紹介をして、高校デビューに失敗してしまった。もちろん、友達はいない。小学校以来友達がいないから友達同士の常識というものがわからない。
そういえば、この人の名前を僕はずっと知らない。友達第一号のこの人の名前を知らない。
「僕、尾上祐希って言います。あなたの名前を教えてくれませんか」
ハンカチを差し出して、僕はそういった。
ひとしきり泣いて泣いて泣きまくった後、その人はぐちゃぐちゃになり、赤くなった顔を上げ、ハンカチを受け取って、涙を拭いた後、
「清水眞琴です。よろしくお願いします」
とそう答えた。
◇
僕は今日、知り合ったばかりの友人と一緒に下校している。すごい。感動。
でもこういう時何を話せばいいのだろう。会話の引き出しが少ない。
「てっ…天気がいいですねっ…(?)」
「もう直ぐ曇るらしいです」
「へぇ……………………あ、雨降らないといいですね」
「そうですね。濡れたくないです」
「「…」」
お互い、友達という存在に慣れていないので、絶望的に会話が弾まない。
「じゃあ、僕こっちなので…」「あっ、私もです」
「「…」」「じゃあ、私こちらなので」「あっ、僕もです」「「…」」を帰り道の曲がり角で何度も繰り返し、帰り道がずっと同じ方向だなぁ…とぼんやり考えていたら、とうとう自分の家に辿り着いてしまった。
「じゃあ、僕の家ここなので…」
と言って家の中に入ろうとしたその時、清水さんはまるで目を見開き幽霊でも見たかのような表情で「え…」と小さく言って驚いた。
「…私の家、隣です…」
と清水さん。
「え…?」
「え…?」
なんと清水さんはお隣さんだった。
「ふふっ…」
「あははは…」
「変ですね。お隣同士だったのに、面識もなく今の今まで生きてきたなんて」
「不思議です。なんで気づかなかったんでしょうか。ははは…」
「ふふっ」
清水さんはまるで花が咲くようにお淑やかに笑った。
第一印象は丁寧で表情も固い、今日は清水さんのいろんな表情が見れた。嬉しい。
清水さんがこんなにも一緒にいて面白くて、楽しい人だって世界で唯一僕だけが知っている。そこに特別な感情がなくたって。こんなの誰でも嬉しいに決まってる。だけど、僕はその中でも一番嬉しい。
◇
「おはようございます」
「あ、おはようございます。清水さん」
「昨日は取り乱してしまってごめんなさい。私いっぱいいっぱいになっちゃって…」
「いえいえ…びっくりはしましたけれど、良かったです。清水さんとお友達になれて」
僕は昨日友達になった清水さんと僕の家の前で待ち合わせをした。
一緒に登校することになったのだ。
すごい。こんなことしていいのかな。なんか友達ってすごい…!久しぶりの感覚だ。こうして、朝から晩までお話しして遊びにどこかカフェとかゲームセンターとかカラオケとか行って楽しむものなのかな…小学生の時は遊ぶ範囲はせいぜい近所の公園…遊びの幅は遊具良くてゲーム機だったから…す…すごい…本当に嬉しい…!!!
「…がみくん…?尾上くん…?」
「あ、はい!少し上の空でした。ごめんなさい。なんでしたか?」
「好き」
「!?」
「じゃなくて…!ごめんなさい…また、私、嘘を口走って…」
と口を両手で抑えて本当にこっちが申し訳なくなってくるほど申し訳なさそうに深々と頭を下げ、謝罪をする清水さん。
「だっ、大丈夫です…なんでしたか…」
やっぱり…びっくりする…心臓がもたない…。
「あ、いえ、大したことはないのですが、今日の数学の課題が難しくて…最後まで解くことはできたのですが、合っているか自信がないので、後で見させていただくことって可能ですか?」
なんだ…課題か…嘘でも告白の後だと拍子抜けしてしまう…
…ん?
あ。
「やるの忘れました…」
◇
学校に着いた。下駄箱で靴を上靴に履き替え、階段を上り、自分の教室を目指していく。
「じゃあ、僕2年3組なので…」
と僕は自分の教室に入って行こうとすると…
「あれ…尾上くんも2年3組なんですか?」
と清水さん。
「え…?」
「え…?」
「私もです…」
まさか…。
「ちなみに、席は…」
「一番後ろの窓側の席です」
主人公席だ…。
というか、それより…。
「僕、そのお隣の席です」
「ええっ!?」
「びっくりですよね。僕もです…!」
「ふふっ…なんだかこんな感じのやりとり昨日もした気がしますね」
高校デビューに失敗したせいで、確かにクラスメイトのことなんてあんまり知らなかったけど、クラスメイトの顔くらいはなんとなく見たことあるなぁ…ってレベルではぼんやりと覚えている。でも、その中でも、僕が清水さんを知らなかったのはきっと、清水さんが今まで友達を作ろうとしてせず、アクティブにクラスの中で発言も行動もせずにいたから気づかなかったのだろう。
多分、清水さんも同じような理由で僕のことを知らなかった。
なんだこれ。似た物同士だ。
「あははっ。やばいですねっ。隣の席なのにっ」
流石に大笑いしてしまった。こんなのおかしすぎる。笑わずにいられるものか。もし、この状況で無表情無感動でいられる人間がいたら、僕の目の前に連れてきてほしいくらいだ。
「はいっ…やばいです…!ふふっ…学校でもお隣さんですね。よろしくお願いします」
清水さんもまた花が咲いたように笑っている。昨日よりも笑顔が素敵で、満開に咲いた桜のような微笑みだった。
今日も清水さんの笑顔を見れた。昨日、今日と二日連続で笑顔を見れた。嬉しい。僕は本当に幸せものだ。
◇
授業が始まった。
今は3時間目の数学の時間だ。
数学の課題をやり忘れて先生にとっても怒られた僕は今日の数学の授業についていけない…。
「じゃあ、この問題を…尾上…解けそう…?」
まずい。この先生は授業で当てて答えられなかったor間違えた生徒には復習課題を増やす先生なのだ。
「…清水さんここの答えなんですか?」
と隣の席の清水さんに小声で助けを求めた。
「√11」
と清水さん。
「√11です!」
「不正解。じゃあ、その隣の清水、答えて」
「4です」
「正解。この問題は基礎だから、解けないと困るぞ。間違ってたやつらはちゃんと復習しといてね」
僕はあまりにも呆気に取られて口をぱくぱくしながら、ギギギッ…とぎこちなくかつゆっくりと隣の席に顔を向けた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
と小さな声で清水さんはまたもや謝っている。こちらが心苦しくなる。
◇
休み時間。
「放課後予定はありますか」
「…?ないです」
「だったら、遊びに出かけませんか」
「お…おぉ…」
友達らしい…!
「どこへですか」
「街を歩きたいです」
◇
「…」
「…」
静かだ。何も話さない。何か話していい空気なのかも分からない。
清水さんはずっと前向いて、後ろで両手の指を交差させて組み、西に沈みかけている太陽をぼんやりと眺めつつ、ゆっくり歩いている。
目的地が告げられていない僕はその後ろをさらにゆっくりと付いて行くしかない。
と、清水さんが口火を切った。
「尾上くんはどうして私と会話してくれるんですか?」
「どうして…?」
「はい。わかりません」
「友達だからですよ」
「…やっぱりわかりません…」
と怪訝そうな表情なのが背後からでもわかる様な声色で呟いた。
「…私、誰も知らないような静かな裏道を歩くのが好きなんです。知っている道が増えて、この道は私しか知らないんだ。たった今この瞬間、この風景はきっと私だけのものなんだって。なんだかそんな気がして。あ、でも、今は尾上くんと半分こですね。あはは。この景色だけは私の特別で、この景色にとっても私の存在が特別であれば良いなぁ…って。誰かにとっての、何かにとっての特別になれた気がして、嬉しいんです。こうして、歩いているうちに奇妙に興奮しているのに、不思議と頭がスッキリしていて、帰ったら心地良く眠れるんです」
「…」
清水さんが言葉にした特別という響きがなんとなく寂しかった。
誰からも信用されず、誰とも会話せず、独りぼっち。そんな人生を歩んできた清水さん。
清水さんの今までの人生がどのようなものだったかなんて想像がつかない。だから、僕は恐怖感とも似た気持ちになったとともに、その清水さんの特別になれるこの景色はいいなぁ…とそんな変なことを考えてしまっていた。
「すみません。面白くないですよね」
くるりと振り返った清水さんは、はっ、とたった今我に返ったという様な表情をした後に、苦笑いをした。
「帰りましょうか」
清水さんは苦笑いを浮かべたまま、足早に僕の方向に歩いて、僕を通り越した。
「また見に来ましょう」
僕も清水さんに振り返って言った。このままだと清水さんが明日の朝には他人に戻っていそうだから。伝えたいこと、言いたいこと、いっぱいあるから。たとえそれが今言えないものでも。
「…ダメです…また見に来たら、その時はこの場所は過去の私が知っていて、きっと、たった今この瞬間の私だけの景色じゃなくなります。そうしたら、もうこの景色は私だけのものじゃないし、私もこの景色に必要とされません」
「じゃあ、探しましょう。清水さんがずっと特別だって想える場所を。何度だって訪れて、その時も『この景色が特別だ』って想えたら、その景色もその想いに応えて、清水さんのことを大切にしてくれるから。きっとそこが清水さんの心が寄りかかれる大切な場所になるから」
「…私、よく迷子になるんです。こうやって人がいない道を好んで歩くから」
「その時は僕も散歩に付いて行きます。」
「迷子になった時も嘘を吐くんです。それで帰れなくなるんです。道案内をしてもらっても、違う場所を目的地と言ってみたり、道順をわかっていないのに、わかったと言ってみたり…」
「一緒に迷子になりましょう。帰れる道を一緒に探しましょう」
「ふふっ…一緒に迷子になったら、意味ないじゃないですか…あははっ」
清水さんの笑顔。これが僕の特別。学校の誰もが知らない僕だけに向けられる特別な笑顔。
そうしてやっぱり花が咲くように笑う清水さんの目には涙がじんわりと浮かんでいて。
「…私は…無意識下でいつのまにかこうして人のことを避けていたのかもしれませんね。誰もいない道を歩いて、人に信用されなくなった自分自身と対話する時間を作るために」
「清水さん…」
「でも、今は尾上くんが会話をしてくれます」
ふふっ。とやっぱり、花が咲くような笑顔で笑いかけてくれる清水さん。
「尾上くん」
「はい」
「デートしたい」
「!?」
「じゃ…じゃなくて…」
「したくないんですか…」
「したいです…でもそうじゃなくて!!」
「は…はい…」
「…連絡先交換しませんか…?」
「あ、じゃあ…LIMEで…」
「…はい」
気まずい空気感。でも、嬉しかった。
「今日特別だと想えたこの感覚を忘れない様に、写真を撮りませんか?」
「いいですよ」
ふわり。
と清水さんが近づき、僕の胸に飛び込んできた。
ぱしゃり。
と清水さんが内カメにしたスマホのシャッターを切った。
「…どうでしょうか」
「ぁ…ぇ…ぃや…景色をぉ…」
「!?」
顔を真っ赤にして、俯いてしまった清水さんを見て、僕も同じ様に俯くしかなかった。
こんな表情も僕の特別。嬉しい。
ツーショット…でも、お気持ち程度には、夕日が照らす街が端っこの方に写っているから、景色を撮ったということにしても問題ないか…あるかも…。
◇
次の日。
デート、デート。デート…と言えばどこなのか…わからない…から、無難にカフェに集合することになった。
清水さんにLIMEを送って今日の予定を決めるのは、緊張したけど、特に問題はなく今日、この日を迎えられた。
身支度をして家に出る。
と言っても整える服も髪も別にないので早く済んだ。
予定の時間は12時。
おかげで約束したカフェには30分も早めについた。
ついた…はずなのに…
「早いですね…」
…もう清水さんが着いていた。
薄紫のトレーナーと白いミニスカに薄ベージュのコンバースを合わせたパステルコーデの清水さんがそこにはいた。
「…楽しみでしたから」
嬉しい。
「入りましょうか…」
「…はい」
◇
「いらっしゃいませ」
と定員さんが出迎えてくれた。
「お好きなお席にお座りください」
すごい。カフェだ。なんの曲か分からないが、とてもおしゃれなBGMが流れている。
聴いたことがないはずなのに、どこか不思議と落ち着く。すごい。カフェすごい。
「ここは特別な場所になりそうですか?」
「…わかりません…ですが、誰かと入ったことがなかったので、とても特別な感じがします…!」
清水さんはワクワクしている様子だ。よかった…。
清水さんはソファ席、その向かい側のチェアの席に僕は座った。
僕らは店員さんに注文をした。
僕はコーヒーとボロネーゼ
清水さんは紅茶とサンドウィッチ。
しばらくすると、注文した通りのものが提供された。
「ふっふっふっ。僕、考えてきたんです。どうすれば、特別な場所を効率的に探すことができるか」
僕は昨日スマホに入れたアプリを開いて、清水さんに見せた。
「イソスタ(?)です!これなら、ストーリー(?)というものをアップロード(?)して、フォロワー(?)に写真を共有できるんらしいんです(?)」
僕もあまりわかっていない。
「イソスタ…私も入れてます…アカウントは非公開で、投稿もしていないですけど…人の投稿は見たりします…」
空いた口が塞がらないとはこのことだ。僕は意気揚々とイソスタを世紀の大発見でもしたかの様に見せつけたのにも関わらず、清水さんはイソスタの存在を既に知っていた。恥ずかしい。厚顔無恥。
「イソスタがどうかしたんですか…?」
完全に出鼻をくじかれ、意気消沈した僕に追い討ちをかけてくる清水さん。
「あ…いや…僕たちが相互フォローになって、その日特別だと思った景色をお互いストーリーにあげたら、どうかなぁ…と思いまして…」
「名案ですね」
「僕のQRコード、これです」
清水さんが僕のスマホに表示されたQRコードを読み込み、しばらくすると、「まこと」というネームのユーザーからフォローリクエストがきた。
僕がフォロー受け入れ、フォローバックをすると、すぐに清水さんにフォローの承認がされた。
「ありがとうございます」
ぱしゃり。
と清水さんはいつのまにか構えていたスマホで早速写真を撮っていた。
「今日の特別な写真です」
清水さんが今撮った写真が表示されているスマホを僕に見せてくれた。
そこにはテーブルに運ばれた僕のコーヒーとボロネーゼ、清水さんの紅茶とサンドウィッチが写っていた。
ただそれよりなによりも大きく僕が写っていた。
「これは…ほぼ僕じゃないですか…?」
「特別な景色です。私の」
「その一部になれて光栄です…」
「…」
これは…そういう意味じゃない。提案した僕が照れてどうする。
「じゃ、じゃあ、僕も…」
ヘタレな僕は清水さんの顔がちょうど見切れる様に写真を撮って、お昼ご飯をメインにストーリーに上げた。
すぐに清水さんからいいねがついた。
そう。イソスタは他の人から見られて、リアクションをもらえたりするのだ。ホカノ…ヒト…カラ…リアクション…????
「!?!?」
これは…匂わせというやつでは…!?
マズイ早く消さないと…!他の人に変に思われ…あ…フォロワーいないし、鍵アカだった…僕…。
謎の心配をした後で、僕は希少な安堵感に包まれた…
「祐希、好き」
…のも束の間だった。
「!?」
「ごっ…ごめんなさい…私、下の名前で…しかも呼び捨てで…」
「だっ…大丈夫ですよ…?気にしてませんから…」
一瞬、どくんっと心臓が跳ねた。今までの単にびっくりする感覚とはまた違うもやもやとする不思議な感覚だった。
なんだったんだ…?
「あ、お薬飲まないと…」
カバンから薬の入ったプラスチックの箱を取り出した。
「体調、悪いんですか…?」
その瞬間、「しまった」とそう思った。
ピクッ。と清水さんの眉が動いて、清水さんの箱の中から薬を出すために伸ばした手の動きが止まったから。
「…いえ………脳神経外科でいただいたお薬なんです…」
「…そう…なんですね…」
今更だが、僕はどこまで突っ込んでいいのだろう。
僕はどこまで清水さんに深く関わっていいのだろう。
清水さんは徐々に心を開いてきてくれている。
でも、だからこそ一定の距離は保つべきであるとも言える。親しき仲にも礼儀ありというやつだ。
「まあ、効き目ないんですけどね…現に嘘ついちゃってますし…ははは…」
と僕があからさまに気まずそうにしていたから、清水さんに気を遣わせてしまった。突っ込んだ方が良さそうだ。
「そんな薬があるんですね…僕、初めて知りました…」
「あはは…」
「あは…」
「はは…」
「ふふ…」
「…」
「…」
沈黙。清水さんと話していると必ずと言っていいほど流れる沈黙。
その沈黙の中、清水さんはしばらく俯いて、決心した様に口を開いた。
「…私、小さい頃は精神科でお薬もらっていたんです。給食の時にもよく飲んでいました。その時もさっきみたいに、『体調、大丈夫?』って友達が心配してくれて…私が『大丈夫。心のお薬だから』ってそのまま伝えたら、『え、やば、それって、精神科行ってるってこと?』って聞かれて…『えっと…』って私が言い淀んでいたら、『頭おかしいの?』って言われてしまって。子供って残酷ですよね…あはは…私はもうその時から精神科や心療内科に拒否反応が出ちゃって、行けなくなってしまって…それから今までずっと脳神経外科に通って、お薬をいただいてます」
突っ込み過ぎてしまったかもしれない…やっぱり距離感が難しい…。
「ごめんなさい…こんな話してしまって…」
「いえ…そんな…謝らないでください。僕の方こそ嫌な記憶を思い出させてしまって申し訳ないです」
友達の空気感。それがどんなものかはわからない。難しくて読めない空気。
◇
次はカラオケ。
僕と清水さんは603号室に案内された。
僕はカラオケは一人でよく来る。ヒトカラというやつだ。
でも、そんな友達と来た時に上手に歌える様に練習するだとか、ストレス発散のためだとか積極的な理由で行う高尚なヒトカラではなくて、一人の寂しさを埋めるために訪れている。
「僕は君だけの僕でいたい〜♪あなたの特別な存在になりたい〜♪」
その寂しさを埋めるためだけに歌ってきた曲をこうして他の誰かに聞かせる日が訪れるなんて、夢にも思わなかった。
今日この瞬間、寂しかった僕の日々は報われた気がした。
僕の歌う曲が終わった。次は清水さんが歌う番だ。
でも、清水さんはデンモクで曲を入れていないため、次の曲が始まらない。まだ歌う曲が決まっていないらしい。
清水さんはまだ選びかねている。
その様子を微笑ましく眺めていると、しばらくして「こんにちは。野村由紀です。私の新曲、『特別なあなたへ』はもう歌ってくれましたか?」広告が流れた。
「あ、これさっき僕が歌った曲です『特別なあなたへ』。僕、好きなんですよね。野村由紀」
「『特別なあなたへ』…?野村由紀…?」
「あ、ごめんなさい。『特別なあなたへ』っていうのは曲で、野村由紀っていうのはアーティストです」
自分が知っていることは相手も知っているだろうと言う前提で話してしまった。まずい。まずい。よくない。ディスコミュニケーションだ。
「…私、最近の歌に疎くて…器楽曲は知っているのは多いんですけど…」
困った様な表情を浮かべて「てへへ…」と苦笑いをする清水さん。
「ということは…何か弾かれるんですか…?」
「ピアノを…」
清水さんは今度は苦笑いから照れた様な笑いに変わり、再び「てへへ…」という反応をした。
「えぇ!?すごいですね!ピアノ…って指がどうなってるんだろうって毎回思うんですよ僕。すごく高速で動いていて、かっこいいなぁ…って思うんです。今度聴かせてくださいよ」
僕はあまりにも興奮してしまい、前のめりになって清水さんに迫ってしまった。だって、ピアノが弾ける人ってかっこいい。
「………今日、私、イソスタライブでピアノ配信やるんです…もしよかったら…聴きに来てくれませんか…」
「配信…?でも、フォロワー僕以外にいないし、清水さんは投稿をしていない…って…」
実際、清水さんの「まこと」というアカウントには何も投稿されていなかった。
「あれは…嘘です…すぐバレちゃいましたね…」
「あはは…」
「…尾上くんに教えたアカウントじゃなくて、他のアカウントで配信やっているんです…」
清水さんがスマホの画面を僕に見せてきた。そこには『FACT』というユーザーネームのアカウントのプロフィールが表示されていた。フォロワーは二万を超えている。すごい。
「…この『FACT』っていうユーザーネームは…もしかして『まこと』って名前が由来ですか…?」
「…はい…」
清水さんは恥ずかしそうに顔を俯かせて、静かに呟いた。
「センスいいですね…!(?)」
「…」
気まずい空気にさせてしまった。空気のリカバリーの仕方がわからない。
と、しばらくの沈黙の後、清水さんが口を開いた。
「…今回は…いつもみたいに勝手に口が動いて、嘘をついたわけではなく…意識的かつ積極的に嘘をつきました…恥ずかしかったんです…ごめんなさい…」
「いえ…清水さんの嘘は慣れっこです」
「でも、ここ最近、嘘つく私も好きになってきました。尾上くんのおかげですね」
そうやって、微笑む清水さんの目には何の涙かわからない涙が浮かんでいた。清水さんはよく泣く。
「僕のおかげ…?どうして…」
「それはその…」
「…はい…?」
「祐希が好きだから」
「お…おぉ…」
「!?違います!」
「違うんですか…」
「違くて…これは…口が…!勝手に…!!」
「でも、尾上くんがそばにいてくれるからだっていうことは間違いありません」
「…そ…そうですか…」
「はい。あ、曲入れないとですねっ!あ、最近の曲でこれだけは知ってる曲です」
部屋の中心にある大きなモニター表示されたのは『Melon』という文字。
7年前の曲だ。
最近?という若干の疑問は浮かんだものの、まあ、いいかと思った。
◇
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったです」
「今日の夜9時から配信です…本当によろしければ…」
「絶対見にいきます」
◇
もうすぐ、9時だ。
不思議とそわそわと浮き足立つ感覚を覚えつつ、僕はスマホと睨めっこしながら待機している。
清水さんに言われた通りに、夜9時からの『FACT』の配信を見に来たのだ。
9時になるとともに『FACT」』のアイコンが虹色の丸枠で囲われた。恐る恐る『FACT』のアイコンをタップすると、
「fact_0603 ピアノ演奏」
とコメント欄に書かれていた。
「…」
スマホの画面に映る『FACT』は何も喋らない。
私はここにいるぞと強く主張する様にところどころに飾りのある漆黒の綺麗なドレスに身を包んだ姿でそれはそれは真っ白な空間に佇んでいた。
しかし、顔も映らず、胸から下が映っている状態だ。
ただ、おもむろにピアノ椅子に座り、ゆっくりとグランドピアノの鍵盤に手をかけた。
曲は『エリーゼのために』だった。
明るくかつ切なく愛らしい優しさで包まれる様な演奏だ。これはフォロワーが二万人もいるのも納得だ。
…声出しはしていないのかな。
『FACT』が今弾いている曲よりもそのことが気になっていた。
「suzume_0119_ FACTさんかっこいい」
「riku.0723 雰囲気でわかる。FACTちゃん絶対顔可愛い」
「catnap.32 cool♡」
そんなコメントで溢れていた。
他にも『FACT』を称賛するコメントが何件もあったが、どれもこれも僕の目がもうそれを意味の通った文章として捉えることはなく、難解な記号にしか見えなくなった。
どれだけ体をしならせようと、やはり『FACT』の顔は映らない。
本当にこの『FACT』が清水さんなのだろうか。
まだ信じきれていない。疑っている僕がいる。
これが清水さんの嘘であってほしいと願っている自分がいた。この『FACT』という配信者のことが好きすぎて、自認してしまっているだけだったなんて笑えないオチであって欲しかった。
防音なのだろう。隣の家からはほとんど音は聴こえない。
しかし、僕の部屋の開けてある窓から微かにピアノの音が漏れて聴こえる。音の発生源は隣の家だ。
隣の家は清水さんの家だ。
今ここで、自分の部屋のカーテンをひらりと捲り、隣を覗けば、答えがわかるかもしれない。でも、知りたくない。
イソスタライブに『FACT』の顔は映らない。『FACT』は何も喋らない。演奏はずっと終わらない。音の一つ一つが僕の心を蝕んで、反芻して響いて鳴り止まない。イソスタライブで『FACT』が弾いている音と清水さんの家から漏れ出る音が重なって、大きな存在となって僕の前に立ち塞がって、そこから伸びる触手なようなものに雁字搦めにされて動けない。
こんな気持ちになるのなら、軽い気持ちでノコノコと演奏を見に来るのなんてやめればよかった。
後悔の渦に僕の心は飲まれてしまった。
知らなきゃ良かった。『FACT』が清水さんだってこと。清水さんの家が隣にあるということを。清水さんのことを。
しばらくして長い長い演奏が終わった。
すると、『FACT』はゆっくり近づいてきて、「ありがとうございました」と呟き配信は終了した。
聞き間違えるはずがない。その声を。
声は紛れもなく清水さんのものだった。
この清水さんは全世界二万人の『FACT』であって、僕だけが知っている清水さんでも「まこと」でもない。この『FACT』は僕だけの特別じゃない。画面に映る向こう側。そこにいたのは人気者の『FACT』だった。みんなの『FACT』だった。
◇
次の日。
今日も学校が休みなので、清水さんの特別な場所を探すための散歩をしている。
「配信どうでしたか…尾上くんが聴いているって思ったら緊張しちゃって…うまく演奏できていましたか…」
「はい。とても。とても幸せな時間でした」
嘘。
「何か怒ってますか?」
「いいえ」
「嘘です。怒ってます」
「怒ってないです。大丈夫です」
「私、尾上くんが心配です」
「僕は大丈夫ですよ」
「じゃあ、なんでそんな顔をするんですか」
気づかなかった。そんな変な顔をしていたのだろうか。
「…僕、どんな顔していましたか…」
「どんな…って…」
清水さんは何と表現したら良いのかわからないという様子で考え込んだ後、
「何の表情もなかったです。怖かったです」
と小さく怯えた声で呟いた。
「ご…ごめんなさい…」
「どうして、私の心配を受け取ってくれないんですか。どうして、私の気持ちを大切にしてくれないんですか。無碍にするんですか。『大切に思う』と『大切にする』と『大切にできる』とは全部全然違うんです。うわべだけ平気なフリをして、他者を安堵させようとする行為は巡り巡ってその安堵させるはずの他者のことを最も傷つけてることにもなりうるんですよ…!?」
「…申し訳ないです…反省しています…ごめんなさい…」
「私の方こそごめんなさい…」
清水さんの目にじわりと涙が滲んだ。
「…不安にさせるつもりはなかったんです…ごめんなさい…僕、嫉妬しちゃったんです…清水さんが人気者だって知って」
「…」
清水さんは何も言わなかった。
「…ごめんなさい…」
「…」
やはり沈黙は流れる。
清水さんはそれ以上は何も喋らない。
僕も何を言えばいいのか言葉に迷って、心の中で探し回り、挙げ句の果て何も出ては来なかった。
しかし、清水さんはしばらくうんうんと唸った後、決心したように顔を上げ、
「私の家…来てほしい…」
と言い放った。
◇
「入って良いよ」
「お邪魔します…」
清水さんの家に上がらせてもらった。
親はいない…良いのか…?
「やっぱり…僕…帰った方が…」
「ダメ。いて」
と僕は清水さんにリビングの椅子に座らせられてしまった。
「はい…」
「待ってて」
「これは私の好きなお菓子。これは私の好きな本。これは私の好きなピアノ。全部特別で大切」
と清水さんはるんるんで見せてくれた。
「ついてきて」
と清水さんは僕の手を引いて、自分の部屋に連れ込んだ。
清水さんのベッド…に一番最初に目が行ってしまった…その後に白いチェア…白い勉強机…と目が移ろっていき…そして…グランドピアノ…。
一際目立っていたが、やはり見たくなかったのだ。
見覚えのある部屋だとは思っていた。真っ白で生活感のない部屋。
昨日見た『FACT』の配信で映っていた部屋で間違いなかった。
「これが私。私の好きな私」
「へぇ…そうなんですね…」
「配信はね、喋らなくていいから楽なの。私ずっとこのイソスタライブを心の支えにしてきたの。私と世界を繋ぐ唯一の架け橋みたいな」
衝撃を受けた。僕がバカだった。僕は最近、清水さんにとって大きな存在になれたと思っていた。それが、自分が別に特別な存在じゃない。清水さんにとっての特別じゃないってわかった途端、なんともいえない寂しさに包まれてしまった、だけど、それをさらに包み隠すように、「大丈夫」って嘘をついた。僕が普段から嘘をついてしまう清水さんよりも誰よりも傷つくことを恐れている。だから、嘘で自分を守ろうとする。たとえそれがすぐにバレるような嘘でも。嘘で守った後は、何でもないふりをする。それが僕。
清水さんにとって、僕よりも大切にしなくちゃいけないものなんてたくさんある。
特別で大切なものなんていくらあっても良いのだ。一つに絞らなくてもいいのだ。
清水さんにとっての特別がこの家にはたくさんあって、溢れている。
それが、今は嬉しいと思える。
「…僕がもう一本の橋になります。僕が清水さんの心の支えになります。だから、僕のそばにずっといてくれませんか…」
「祐希、好き」
「………あはは…ありがとうございます…」
…いつもの嘘で軽く流されてしまった。
僕的には真剣に告白したつもりだったのに。
このやりとりも慣れたものだ。
「本当だよ?本当に好きなんだよ?嘘じゃない」
「え…?」
「いや、嘘。嫌い。大嫌い。そばにいてほしくない」
「清水さん…?」
「どうしましたか」
がらりと清水さんさっきまでとは表情を変え、怪訝そうな顔で僕の顔を覗いている。
「どうしましたか…って…えぇ…?」
「あれ、ここ私の部屋!?なんで尾上くんがいるんですか!?え!?え???」
「え…さっきまでお話ししていましたよね…?」
「何の話ですか…」
清水さんは僕を家に連れて来た記憶がなかった。
…じゃあ、さっきまで話していた清水さんはなんだったんだ?
憑霊?夢遊病?笑えない嘘?それとも…
…一番嫌な考えが脳裏をよぎった。
それだけは嫌だ。
◇
ピコン♪
「学校にカウンセラーがいるらしいんです。僕も一緒に行くので、今日のことを相談しに行きませんか?」
ピコン♪
「ありがとうございます。記憶がないというのは怖いので、ご迷惑でなければ、ついてきていただけると助かります」
そりゃそうだ。自分で記憶もないまま、男を家に連れ込んでいるなんて怖すぎる。
「では、明日の放課後よろしくお願いします」
「こちらこそ。あ、それとストーリー今日の分あげました」
そのLIMEが送られてきたとほぼ同時に僕はイソスタを開き、表示されている清水さんの『まこと』のアイコンをタップした。
そこに写っていたのはやはり、僕の写真だった。
ただ、今回は僕がカメラに視線が合っていない。
清水さんの家で清水さんの記憶がないことが判明した時に動揺して、転んだ瞬間をカメラで収められていた。隠し撮りだった。
僕は清水さんの特別な存在の一つになれて嬉しい。
僕は自分の部屋の写真を撮ってストーリーにあげた。
すると、すぐに清水さんからいいねがついた。
◇
次の日
「いやぁ…嘘ついてるんじゃないの?」
「はい…?」
カウンセラーの言葉に僕は耳を疑った。
「記憶がないって…だって、この子嘘つきなんでしょう…?」
信じらない言葉が棘となって突き刺さる。
「…そう…かもしれないですけれど…違うんです…」
「どう違うの…?この子が記憶がないって嘘ついているのとは違うの?」
「清水さんは本当に記憶がないんです」
「え、なにそれ?本当?それ、大丈夫なの?」
「いや、大丈夫かわからないから、あなたに聞いているんですよ」
「うーん。本人が記憶がないって嘘ついてるとかなんじゃないかなぁ…」
「そう。今まで嘘ついてたの。ごめんなさい」
と、先ほどまで何も言わなかった清水さんがいきなり口を開いた。
「あ、ほら」
「清水さん!?」
嘘だ。これは嘘だ。僕は知っている。
「清水さんは嘘をつく時、タメ口になるんです!だからこれは嘘です!」
「…そうなの?」
「ううん。記憶があるのは本当だよ。祐希心配しないで」
「そう。じゃあ、もう大丈夫ね」
「〜!?」
声にならない声が出た。
どうすれば、どうしたら信用してもらえるのか。
カウンセラーは座っていたパイプ椅子から立ち上がり荷物をまとめ、背を向けて帰ろうとする。
「いや、だから!あなたしか頼れないんです!!!」
カウンセラーはくるりと、振り返り、
「うーん…お医者様にかかってみては…?私じゃよくわからないし、ほら専門家だから…精神科とか…」
と言った。
この瞬間、僕の怒りは沸点を超えた。
「馬鹿!!!!!!」
僕の剣幕に清水さんがビクッと肩を振るわせた。
初対面の大人に向かってこんな激しい言葉生まれて初めて使った。
でもそれくらい感情が荒ぶって、激昂していた。何よりも悲しかった。信用されないことが。こんなにも悲しい世界に清水さんは生きていたんだ。ずっと。その片鱗に今日触れた。恐ろしいほど残酷だった。
知らなかった。話一つを理解されないだけで、こんなにも苦しかっただなんて。清水さんはこれまで何度繰り返してきたのだろう。
僕は気づいたら、がむしゃらにその場から走り去っていた。
あんな他人任せな言い方しなくていいじゃないか。
この怒りは清水さんのためじゃない。
僕のエゴだ。
本当はちゃんと否定して欲しかったんだ。その可能性を。違うってちゃんと言葉にして。
消さなくてはいけなくなるかもしれないから。
選ばないといけなくなるかもしれないから。
清水さんを殺さないといけなくなるかもしれないから。
僕は自分のためだけにカウンセラーに相談した。
僕は勝手な人間だ。
「ああああああああああああああああ!!!!!」
精神科医に頼れないから、カウンセラーに頼ったんだろうが!馬鹿!馬鹿!!馬鹿野郎!!!
「尾上くん。どうしたんですか。今からカウンセラーの方とお話ししに行くんじゃないんですか…?」
清水さんはカウンセラーと会話したことを記憶していなかった。
僕は気づいたら、校庭に出て蹲っていた。
清水さんが心配そうに僕を覗き込んでいる。
「ごめんなさい…清水さん…ごめんなさい…僕が…僕のせいで…傷つくようなこといっぱい言われてしまって…」
「覚えてないので大丈夫ですよ」
といつものように花が咲くように、宥めるように優しく笑う清水さん。
「尾上くんが最近泣いたのはいつですか?」
「?」
質問の意図がわからない。
「私は四日前に久しぶりに泣きました。尾上くんに泣かされました」
「あれは…びっくりしました…」
「それから毎日、尾上くんに泣かされています」
「ごめんなさい…」
「いえ、私、嬉しかったんです。お友達ができて、本当に嬉しかったんです。尾上くんがお友達になってくれたおかげで悲しみの涙も不安の涙も心配の涙も喜びの涙も流せたんです」
そう言う清水さんの笑顔に浮かぶ不自然なほど真一文字に結ばれた唇がぷるぷると震えている。
「でも今は寂しさの涙です」
その言葉と共に線を描くように涙が一粒、清水さんの目から伝って落ちてきた。
僕はこの瞬間、理解した。
清水さんも自分に何が起こっているのか知っているのだと。
「私、実は泣き虫なんですよ。自分でもそのことを忘れていました。最近泣いていなかったから。でも、尾上くんに出会って、お友達になって、好きになって、思い出した。感謝しているんです。だから、尾上くんも泣いていいんですよ。私の前でなら思い切り」
泣けって言われたって泣けない…といつもの僕なら言うだろう。
でも、この時の僕は違った。僕は子供みたいにみっともなくわんわん泣いた。
ふと清水さんを抱きしめたくなった。
抱きしめないといけないと思った。
だって、清水さんが僕よりも泣いている。
泣き虫同士泣き止むまで僕らは泣いた。
◇
「…僕は清水さんが好きです」
最初に出会った時、僕が清水さんに友達になって欲しいと思ったのは、あの時にはもうすでに清水さんのことが好きだったから。告白されたのが嬉しくて、気になって、友達からでも始めたかったから。
「私も好きですよ。尾上くんのこと」
「…でも…僕は他にもう一人好きな人がいるんです」
「…はい」
「…知っていたんですね…」
「…なんとなくは…脳神経外科では分からないわけです…精神的な問題なんだから」
「…」
「脳神経外科の先生からは精神科の紹介状を書いてもらってはいたんですが、どうしても行けなくって…」
それはきっと清水さんの過去のトラウマのせい。
精神科に通って、いじめられた過去があったから。
「「…」」
お互いしばらく黙った後、清水さんは覚悟を決めたように
「私、消えてもいいですよ」
と言い放った。
「…っていうのも清水さんの嘘だったら、僕は一体何を信じて生きていけばいいんですか」
「そうなんですよ。私、嘘ばっか言うんです。だから、これも嘘かもしれない」
「じゃあ、本当だ」
「本当です。私、嘘ついたことないんですよ。世界一信用できる嘘つきは私ですよ。」
「じゃあ、嘘だ」
「どっちですか」
あはは。と笑った。
夕陽が照らすその横顔がとっても綺麗で。この笑顔は嘘じゃない。そう思えたから、もう大丈夫。僕はもう大丈夫。
「あ、でも、もし、私が消えるとしたら、その時は最後は笑顔で送り出してくださいね。泣いてさよならは嫌ですから」
とおどけたように清水さんは笑う。
「もちろん」
「ありがとうございます」
「清水さん、代われる?」
「…無理そうです。私からはどうにも…私の力最近弱くなってきているみたいで…このままでも多分私、押し負けて消えるんです…」
「じゃあ、次に代わる時は絶対僕がそばにいます。朝一緒に登校する時から下校するまでつきっきりで清水さんのことだけ見ています。だから、清水さんも僕のそばを離れないでください」
「ありがとうごさいます…」
感謝の言葉を述べた清水さんがふわりと近づいて…
…ぱしゃり。
「今日の私の特別な景色です」
ツーショット。初めての。清水さんは片手でピースをしていて、僕は驚きの表情で固まっていた。
今までは僕の写真を撮ってストーリーにあげていたけど、今日はツーショット。
清水さんから写真を送ってもらい、僕もストーリーに載せた。
すると、清水さんからすぐいいねがついた。
「では、また明日」
「また明日です」
しかし、次の日、清水さんと僕は一緒に登校することはできなかった。
◇
8時30分。
僕は今日も清水さんと一緒に学校に登校する約束をした。
僕は約束の時間の30分前には清水さんの家の前で待っている。
しかし、清水さんはまだ出て来ない。
もうとっくに遅刻する時間だ。
ピンポーン。
僕は隣の清水さんの家のインターホンを押した。
家の人は全員仕事や学校に行っているのか誰も出ない。
ピコン♪
_____清水さん、今どこですか
とLIMEを送った。
いつもなら、5分以内には既読がつく。
今日は30分経っても返事はない。
いてもたってもいられなくなって、電話をかけた。
PRRRRRRRR…
応答がない。
学校ではもうとっくに1時間目が始まっている時間だ。
「…が…学校に行ったんだ…きっと…僕を置いて…先に…」
そう信じたくなった。そんなことをしない人だってことは一番僕が知っているのに。
◇
10時12分。
僕が学校に着いたのは2時間目の途中だった。
「ぁ…ぉはよう…ございます…」
「尾上。遅刻。もう1時間目終わったぞ」
と僕に非難の目を向けたのは、例の数学教師。
でも、そんな非難なんて気に留めている暇なんてない。
最優先で、確認すべき事項がある。
今日もやり忘れた僕の数学の課題の答えでも、僕の座るべき席の位置でも、遅刻してきた人間を怪訝そうに見つめる同級生の顔でもない。
僕の隣の席だ。
…案の定、清水さんの席には誰も座っていなかった。
しかし、誰もそのことを気にしていないようだった。
「すみません!体調悪くて、遅刻しました!申し訳ないんですが!また、体調が悪くなってきたので保健室に行ってきていいですか!」
僕はもう周りを気にせず叫んで、返事も聞かず、逃げるように保健室へ走った。
保健室は清水さんと友達になった場所。
「清水さん!」
僕は保健室に突進する勢いで入ったが、そこには、保健室の先生と膝から血を出している生徒がいた。
生徒は保健室の先生に手当てをされている。
「保健室では、静かにね」
「あ…ごめんなさい…」
「あの、清水さん、いませんか…?2年3組出席番号17番の清水眞琴さんなんですけれど」
「…うーん、いないけれど…?どうかしたの….?」
「失礼しました!」
僕は保健室を後にした。
次は…カウンセラー室…。
僕が信用されない悲しみを知った場所。
「あの!清水さん知らないですか!?」
僕は自分ではわからなかったが、きっと鬼気迫る表情でカウンセラーの人に詰め寄ったのだろう。カウンセラーの人は怯えた様子でゆっくりと、
「清水さん…?昨日来た子?いなくなったの…?」
と小さな声で言った。
「もういいです!」
次は…次は…校庭…。
僕が思い切り泣いたあの場所。
「…」
その場所にも清水さんはいなかった。
次は…次は…次は…
「…どこなんですか…清水さん…」
キーンコーンカーンコーン。
僕が呆然としてその場に立ち尽くしていると、2時間目の終了を知らせるチャイムが鳴った。
◇
10時55分。
僕はしかたないのでとぼとぼと自分の教室に戻った。
「あの…すみません…清水さんって今日来られましたか?」
清水さんの前の席の人に聞いた。
「誰?それ」
そうだ僕も清水さんのことを告白されるまで認識していなかった。
「あの…すみません…清水さんって今日見かけましたか?」
僕の前の席の人に聞いた。
「ごめん。誰。わからない」
覚えていなくても不思議じゃない。
清水さんは誰とも話していなかったから。
「あの…すみません…清水さんが今どうしているか知っていらっしゃいますか…?」
清水さんじゃない方の僕の隣の席の人に聞いた。
「てか、君、誰?」
僕のことも知られていない。
僕らはやっぱり似た者同士だった。
「誰か!清水さんを知っている人はいませんか!?」
僕は悲痛の叫びを教室の中心で叫んだ。
クラスメイトはびっくりしたような顔でひそひそと「あれ誰」だとか「なにあれ」だとか「なになにどうしたの」だとか言っている。くすくす笑っている者もいる。
笑えない…笑い事じゃないんだぞ…。
口の中が渇くのに、喉に気持ちの悪い粘膜みたいなものが張り付くのがわかった。
「どうした。騒がしいな…」
と、担任の教師が教室に入ってきた。
「先生!清水さんは今日学校に来てますか!?」
「清水は今日は欠席だぞ」
と、ぶっきらぼうに言われてしまった。
その言葉がとても冷たく脳に響いた。
崖からいきなり突き落とされたような感覚に陥った。
清水さんは学校にすら来ていない。
「すみません。僕、今日、やっぱり、体調悪いみたいで…早退させていただきます」
実際非常に気分が悪い。吐きそうだ。
僕は全身の力が抜けてがくがくと震える身体をなんとか動かして、まるで誰かがか空から操っているマリオネットのようにぎこちない動きで教室を出た。
おかしいと思ったのだ。
僕は今日の朝、自分の家の庭に猫が紛れ込んできたからその珍しい光景を写真に収めて、ストーリーにあげたのだ。
いつもなら、清水さんから即いいねがつくのに、今日は投稿してから5時間経ってもいいねがつかなかった。
もちろん、清水さんの『特別だと思った景色』のストーリーも上がっていない。
「そうだ…体育館裏…」
僕は体育館裏までおぼつかない足で向かった。
清水さんに初めて告白された場所…印象深い僕と清水さんの出会いの場所…あの場所に行けば、何かわかるかもしれない……なんてことはもう思わなかった。思えなかった。
希望なんてなかった。
ただ、呆然とするしかなかった。
やっとの思いで辿り着いたが、予想通り、何も分からなかった。
「はは…もう終わりだな…いよいよ…」
突き落とされた絶望の海にただぷかぷかと浮かんで呆然としているしかなかった。
清水さんは今清水さんとして存在しているのだろうか。
清水さんがどこかで独り寂しく消えたりしてはいないだろうか。心配だ。心配。心配。僕はいつのまにか泣いていた。これが心配の涙。『FACT』を拒絶した僕が素直に受け取れなかった清水さんの涙。
「…『FACT』…!」
清水さんがみんなの特別な存在の『FACT』。
僕はもう一度イソスタを開いた。
すると、『FACT』がイソスタライブを開いていた。
コメント欄には『fact_0603 引退 特別な場所に行く』と。
それだけ書かれていた。
「riku.0723 え、FACTちゃん引退するの?え?え??」
『FACT』の引退を惜しむコメントが流れる。
「suzume_0119 寂しい」
今、寂しいのは清水さんだ。馬鹿。
「mayu.123_ 特別な場所に行くって天国に行くって意味…?」
そんな…はずない…はずがない…そんな…違う…清水さんは…そんなことしない…もし、今イソスタライブをしているのが清水さんだったとしたならば…だったとしたならば…。
背筋にひやりと冷たいものが走った。
風邪の時に出るような気持ちの悪い汗も出てくる。
清水さんを探さなくては。ライブ配信で映っている場所…どこだ。ここ。地面(?)しか映っていない…薄暗くてわからない。もうあたりは暗いからだ。周りに人映らない。
早くしなくては…早く…清水さんが危ない…清水さんにもし何かあったら…
「くそっ!」
ドンッと体育館裏の壁を叩いた。
いけない。冷静さを欠いている。
頭を整理したい。何が何だかわからない。
イライラしたって仕方ない。
頭を冷やしたい。
落ち着け…一旦冷静になって考えよう…と一度俯いた…そこには、封筒が落ちていた。
草むらに隠れるように。
僕にはこれは、清水さんから僕に宛てたものだろうという根拠のない自信と確信があった。僕は無我夢中でその封筒の中身を慎重に出した。中からはハガキが出てきた。
そこには、「この手紙を読んでいるということはきっと私が消えてしまったのですね。ここに手紙を残したことを伝えなくてごめんなさい。きっとあの子は尾上くんに必死に探してもらった上で見つけて欲しいから。尾上くんが走り回って探すことそれ自体に意味があるから。私にできるのはここまでです。あとは頼みます」と書かれていた。
なんの話だ。わからない…。
ひっくり返して裏面を見ると、63円切手がプリントされていた。
そして、見覚えのある住所が書かれていた。
それもそのはず、僕の住所と市、区、町、丁、番地まで全て同じだったのだ。
違ったのは号。
僕の住所は号が1。
書かれている差出人の住所は号が2。
これは…おそらく清水さんの家だ。
ただ、そんなことがわかったところで何も変わらない。隣の家なんだから当然のこと。
そんなことよりも、衝撃だったのは、
差出人と宛名がどちらも「清水眞琴」と書かれていたことだった。
もちろん、宛先も差出人の住所と同じ清水さんの家の住所だった。
なんだこれ。自分が書いたハガキを自分の家に届けるつもりだったのか…?どうして?なんのために?
そもそも…これは…僕へのメッセージではないのか…?
でも、文章は明らかに僕に宛てたものだ。
もう何が何だかわからない。わけがわからない。
あまりの支離滅裂さに脳みそが停止してしまった。
なんでハガキにこの文章量を書いたんだ…とか…なんで料金改定前の63円切手のハガキで書いたんだ…とか…ハガキなのに差出人と宛先が同じだ…とかぼんやりとそんなどうでもいいことを考えていた。
「僕は郵便局員じゃないんですよ…」
このままじゃダメだ。
こんなところで立ち止まっている暇はない。
僕はカバンの中にハガキをしまった。
何よりも今探さないといけないのは『FACT』だ。
僕はもう一度『FACT』のイソスタライブを開いた。
やっぱり、画面は真っ暗で何も見えなかった。
『FACT』がコツコツと歩く音以外の音が聞こえない。人の話し声も聞こえない。周りに人はいないということだろうか。
___ 私、誰も知らないような静かな裏道を歩くのが好きなんです。
ふとよぎったその言葉。それは、友達になって、次の日に歩いた裏道で清水さんが言った言葉だった。
あの場所は…どこだっけ…僕は清水さんについて行っただけだから、どこかわからない。
でも、行かないと。見つけなくては。
「待っててください。清水さん」
◇
13時55分。
やっとの思いで辿り着いた。
結果から言うといなかった。
そりゃそうだ。
僕はこの裏道に辿り着くまで1時間半もかかってしまった。
もうその場には、清水さんはいなかった。
何か手掛かりはないかと探してみたが、体育館裏みたいに清水さんのハガキなんて落ちてはいなかった。
「…」
意気消沈した僕は、もう一度、『FACT』のイソスタライブを開いた。
今、イソスタライブで『FACT』が配信している映像ではやっぱり何も映っていない。イソスタライブに映る映像は真っ黒だった。カメラ部分を何かで隠しているのだろうか。
しかし、さっきとは違って、清水さんの足音以外の音が聞こえた。音楽だった。BGMだった。それもとても落ち着く。僕のこの苛立って焦って逸る気持ちを丸めて包んでくれるようなどこか優しいBGM。
僕はこのBGMを最近どこかで聴いた。
どこだ。思い出せ。思い出せるはずだ。
「いらっしゃいませ」
と『FACT』の配信から小さな声で聞こえた。
すると、
「お好きなお席にお座りください」
と、やはり遠くで小さく聞こえた。
………そうか…カフェだ…清水さんと一緒にデートしたカフェ。
次に行くべき場所が決まった。
◇
17時06分。
「いらっしゃいませ。お好きなお席…」
「あのっ!すみませんっ!ここに長い黒髪の高校2年生の女の子っていましたか…」
「…多分それらしい方なら、10分ほど前に先出ていかれました…」
僕がすごい剣幕で聞いたものだから、店員さんは怯えている。
申し訳ないが、今はそんなことを気にしている暇はない。
僕は清水さんとデートした時の席に座った。
おそらく、『FACT』もここに座ったのだろう。
他の席を選ぶ理由がない。
「ご来店ありがとうございます。ご注文のほうお決まりになりまし…」
「アイスコーヒーで」
「…かしこまりました」
あまりにもマナーがなっていない客に店員さんも営業スマイルにヒビが入り、苦虫を噛み潰したような顔に変化を遂げようとしていた…がなんとか抑え込み、その場を去った。
でも、そんなことを気にしている時間はない。
「…ここも…ない…か…」
僕はここの席にも何か手掛かりはないかと、ソファの隙間、椅子の下、机の下、メニュー表の隙間清水さんのハガキのようなものなんて見つかりはしなかった。
また、『FACT』のイソスタライブを開いた。
画面は相変わらず真っ黒だ。
だが、「こんにちは。野村由紀です。私の新曲、『特別なあなたへ』はもう歌ってくれましたか?」と今度ははっきりと大きな音声が聞こえた。
この音声も聞いたことがある。
カフェの前例があったから、今度はすぐに思い出せた。
きっと今、『FACT』がいるのは、清水さんとデートで一緒に行ったカラオケだ。
一刻も早くいかなければ。
と決心したタイミングでアイスコーヒーが届いた。
「お待たせいたしました。アイスコーヒーです。以上でご注文はお揃いですか?」
「はい」
僕はいつもより、より一層苦く感じたコーヒーを一気に飲み干した。
その後、素早く会計を済ませ、カフェを後にした。
◇
18時32分。
カラオケに着いた。
僕は30分コースを予約して、603号室に案内されたが、僕は清水さんとデートした時に案内された部屋である603号室へ向かった。
奇跡的に603号室の中には誰もいなかったから、そのまま入った。
「ここにも………やっぱり何もないか…」
探してもやはり何も見つからなかった。
一旦カラオケのソファに座って僕はまたまた、『FACT』のイソスタライブを開いた。
やっぱり画面は真っ黒で周りに何も見えない。今度は何も音が聞こえない。一切音がしない。
でも、わかる…これまで『FACT』が立ち寄った場所…それは全部僕と一緒に行った場所だった。
その場所を順を追って訪れている。
だとしたら、今、『FACT』がいるのは家。次行くべき場所は家。清水さんの家。
そう考えて、僕は清水さんの家へ向かおうとしたその時。
「fact_0603 ここは私の特別な場所じゃない」
そのコメントが一瞬映った。
かと思ったら、
ブツッ。
「ライブ動画は終了しました」
という今の僕を拒絶し、突き放すような画面が表示されて配信切れてしまった。
それで『FACT』のイソスタライブは終わった。
あっけなかった。
早く向かわなければ、会いにいかなければ、『FACT』に。もはや清水さんが無事かどうかも分からない。助けに行かなければ。
___どうして、自分の家は特別な場所じゃないんだ…?
と、一瞬、頭が冷えた自分がいた。
…インターホンを鳴らしても誰もいない家…料金改定されて値上がりする前の63円切手のプリントされたはがきを使った理由…見覚えのある数字63…差出人と宛名が同じ理由…僕と一緒に行った場所の中で自分の家だけが特別な場所じゃない理由…
ガタッ。
僕は立ち上がった。
繋がった。やっと。わかった。
清水さんが何を伝えたかったのか。
なるほど…でも、だとしたら時間がない…!
◇
21時45分。
ぴんぽーん。
返事がない。誰もインターホン答えてくれる様子がない。
僕はここで確信をさらに確固たるものにした。
僕はカバンからハガキを取り出した。
清水さんはずっとヒントを出してくれていたんだ。
差出人と宛先の住所が清水さんの住所で同じだったこと。
切手がプリントされているハガキを使ったこと。
この二つから考えられることはつまり、
「清水さんの家の郵便ポストを覗けってことだったんだね」
これが清水さんがハガキを使用した理由の一つ。
僕は、清水さんの家の郵便ポストの蓋を開けた。
すると、内壁の取りやすいところに鍵がテープで固定されて貼られて入っていた。
でも、僕はさらに絶望することになった。
「なんだ、この鍵。なんの鍵だ…」
僕はてっきりこの中に清水さんの家の鍵が入っているものだと思っていた。
それで家の中に入れるものだと思っていた。
でも、違う…。
この鍵は小さすぎる。
清水さんの家の鍵なら見た。一度だけ。
清水さんの家に訪問した時だ。清水さんが家の錠前を開けた時に一度。
見覚えのない奇妙な鍵に不気味ささえ感じる。
確信が揺らぎ、新たな謎が増えた…なんだっていうんだ…一体…。
ここに突っ立っていたって仕方ない。
僕は家の扉の前に立った。
一応、錠前にたった今手に入れた鍵を差し込んで回そうとしてみる。
…回らない。
やはり、これは家の鍵ではない。
なんなんだ…!
___♪
その時、ピアノを演奏する音が聞こえてきた。
「どうして…」
急いで、イソスタライブを開いてみたが、『FACT』は配信をしてはいなかった。
ということは…つまり…これは、僕に聞かせるためだけの曲。僕だけに向けた曲。僕に向けた曲。
じゃあ、なんで、聴衆は他でもない僕だけなのに、家の中の特等席で曲を聴けないんだ?
なんで、僕が今持たされているのは家の鍵じゃないんだ?
なんで、清水さんはこんな使えない鍵の在処を教えてきたんだ?
ハガキを使った回りくどいことをしてまで無意味なことを伝えたかったとは考えられない。
___fact_0603 ここは私の特別な場所じゃない。
ごちゃごちゃとした頭の中で走馬灯のように駆け抜けっていった言葉がそれだった。
「………そうか…!」
使えないんじゃなくて、使う必要がないんだ。ここで。
ということは………
…ガチャ。
予想通り、家の鍵は開いていた。
「お邪魔します!」
僕は人生で一番大きな声を出して、玄関に入った。近所迷惑も考えずに。
僕は真っ先にピアノの演奏が聞こえる先、清水さんの部屋へと向かった。
◇
22時14分。
一昨日、清水さんに案内された清水さんの部屋の前のドアに僕は今立っている。
中からはピアノが演奏されている音が聞こえる。やっぱり曲は『エリーゼのために』。
「清水さん!入りますよ!」
僕はドアのレバーハンドルに手をかけ、思い切り下に下げようと力を入れた。
しかし、つっかえて、下がらなかった。
ドアには鍵がかかっていたのだ。
「清水さん!開けてください!」
「…」
清水さんからは返事がなかった。
僕は錠前に先ほど手に入れた鍵を差し込んで、回そうとした…が回らなかった。
でも、もう絶望なんてしなかった。
じゃあ、ここで使うべきでもない。それだけのことだ。
この鍵の使う場所を探せ…ということか…。
現在、22時30分。
まずい。時間がない。
ピアノの曲は鳴り止まない。
早く探さないと。
僕は一階に降りて、この鍵の使える場所を見つけることにした。
でも、もうどこで使うのかなんてなんとなくわかっていた。
僕と一緒に行った場所の中で唯一特別な場所じゃない家…インターホンを鳴らしても誰も返事をしない家…。
その家の中で行くべき場所は…和室。
和室を目標にして、襖で隔たれた空間の前まできた。
僕は襖を開けた。そして、僕はあるものを見て、全てが確信に変わった。
◇
僕はまた再び戻ってきて、清水さんの部屋の前に立っている。
「清水さん!鍵の使い道わかりました!」
「…」
しばらく沈黙が続いた。緊張が走る。
「…本当?」
「…清水さんの嘘が移ったかもしれないので、嘘かもしれないです。僕も自信ないです」
「じゃあ、いいや。バイバイ」
と寂しげに消え入りそうな声で呟いた清水さん。
キイィ…と窓が開く音がする。
「和室…見ました…!」
僕は無我夢中で叫んだ。
「…」
清水さんからは返事がない。
「お仏壇の扉に南京錠がついていたんです…!」
「…」
やはり、清水さんからは返事がない。
「ポストの中に入っていた鍵で開けたら、中に2枚の写真があったんです…!」
僕は必死でどうにか言葉を紡ぐ。
「…」
「ご両親亡くなられていたの、知って欲しかったんですよね…!?」
ガチャ。
清水さんの部屋のドアが開いた。
そこにはなんの表情もない清水さんが立っていた。
そう。この言葉こそが合言葉。この部屋の扉を開ける鍵。
「違うよ」
「え…?」
そんなはずは…。
「その鍵はね、ここの鍵」
清水さんは自分の胸に手を添えた。
「私に鍵がかかっていた。それは私の心の鍵。祐希にこじ開けられた」
ここからが正念場だ…頑張れよ…僕…。
「ねぇ…」
ふらりと揺れた清水さんは僕に話しかけてきた。
「私、名前があるの。だから祐希に名前つけて欲しくない」
この話し方。ずっと気になっていたこの話し方。
「…君、清水さんじゃないんだよね」
「…」
考えたくなかった可能性。
清水さんは虚言癖なんかじゃない。
解離性同一性障害。つまり、多重人格なんだ。
___差出人と宛名が同じ理由。
一つ目はそれは自分の家のポストを見て欲しいっていう理由。
もう一つは…このハガキは…もう一人の自分に宛ててるためだったんだよね。清水さん。
「もっと早く気づくべきだった。僕に好きって嘘をつくこと。嘘をつく時清水さんの口調が変わること。僕の呼び方が祐希に変わること。最近嘘をつく時、清水さんの記憶がないこと」
「…私は、清水眞琴だ…」
威嚇するように僕を睨んで重々しく言う自称清水眞琴。
「そして、なによりも気づくべきだった。君も助けを求めてるって」
「は?求めてないし」
___ここに手紙を残したことを伝えなくてごめんなさい。きっとあの子は尾上くんに必死に探してもらった上で見つけて欲しいから。
「このハガキが体育館に落ちていたままになっていたことやこの仏壇の鍵が郵便ポストの中に入ったままになっていたことがその証明だ。きっと、仏壇の鍵は君が郵便ポストに隠したんだろう。そうじゃなきゃ、清水さんがハガキと一緒に封筒の中に仏壇の鍵を入れたら解決した話だ。郵便ポストの中の仏壇の鍵は清水さんが君の意思を尊重した結果。でも、手を突っ込んで取れる距離にテープで鍵は貼られていた。どうしてそんなことをした?そもそもどうしてハガキも仏壇の鍵も回収しなかった?」
「…」
___尾上くんが走り回って探すことそれ自体に意味があるから。
「多分、今日の朝からずっとこの家の錠前は開けたままにしてあったんでしょう?僕にご両親のことを知ってもらうために。見つけて欲しかったんだよね。自分のこと。ご両親のこと。『FACT』のアカウントでイソスタライブを開いてまで。それで、鍵をかけずに家を出て歩いていたんだ」
「…」
___私にできるのはここまでです。あとは頼みます。
「本当は気づいて欲しかったんだよね。誰かに知って欲しかったんだよね。自分の気持ちを。清水さんに嘘をつかせてまで」
他者を拒否する心と気にかけてもらいたい心の二つが同時に存在しているのだ。
「私は…私は何もいらない。何も求めていない。私は私一人で生きていける」
「…そんなことないよ。誰も一人で生きていくことなんてできないよ」
「は?できるし。私は私一人で誰にも気づかれずに生きてきた!」
「そんなことないよ。君のそばには清水さんがずっと寄り添っていてくれていたよ。それと同じように清水さんのそばにはずっと君が寄り添っていたんだ」
「…!」
「たとえ清水さんが君の存在に気づくことができなかったのだとしても、清水さんは君と共存していくために友達よりも君を選んだんだ。最近は君のことも好きになってきたとも言っていた」
「うるさい…」
「それに僕は知ってるよ」
「何をだよ…」
「君が…」
「お前に何がわかる!!!」
「嘘しかつけない一番の正直者なんだって」
嘘は一般的には良くないことだ。
でも僕はもう、知っている。
本当のことを言わないのは気にして欲しかったから。嘘つくのは気を引いてまで自分のことをちゃんと見ていて欲しかったから。殻に閉じこもって平気なふりをするのは傷つくのが怖かったから。
それは、清水さんがフォロワー二万人のイソスタライバーの『FACT』だったことを知って、清水さんが僕だけの特別じゃなかったことに気づいたことで学んだ。
きっと、今、君が抱えているのもそれと同じような…いや…それよりも何十年も溜め込んだ何倍も大きな嫉妬心。
「うるさい…うるさいぞ…お前…お前は…私から私だけの唯一の理解者の眞琴を奪った。眞琴しか私のことを理解してくれないし、私しか眞琴を理解してあげられない」
「…カウンセラーの人に信用されなかった時に奇妙な安堵感を感じている僕もいたんだ。僕だけが理解者だって。僕よりもわかってなくてよかったって。それは君も同じだったんだね…」
「やめろ、私を可哀想なものを見るような目で見るな…!」
「そうやって、僕が君を閉じ込めてたんだ。心の中に。清水さんが託したのはだからこその心の鍵だったんだ」
「そうだ…だから祐希が嫌いだ。眞琴を奪った祐希が嫌い。嫌いだ。祐希のことなんて大嫌いだ」
「嘘だよ。それくらいわかるよ。清水さんを通してずっと見てきたんだから。君のことも」
…僕は人生で2度目だ。告白なんてのは。
「僕は君のことも好きだ」
ん1度目は清水さん、2度目も清水さん。
目の前の清水さんは目を丸くして、信じられないというふうに驚いた。
「僕は君を見つけたくなかったよ。だって、僕は二人を好きになってしまったから。二人とも好きなんだ。嘘つきで優しい清水さんのことも。嘘をつく正直もののライアのことも。でも、もう二度と君をみなかったことにはしない。もう決めたから」
「………私、物心ついた時から嘘をつくようになったって眞琴は言ってたけど…本当は産まれた時から眞琴の中にずっといなかったの」
「うん…」
「私、ずっと気づいて欲しくて、ずっと眞琴に嫌がらせみたいなことしてなかった」
「気づかないのが悔しかったし、寂しかったんだよね」
「………なんで…なんで誰も私の存在に気づいてくれなかったの?どうしてみんな私を見ないの?」
「…僕が来たよ」
「どうして祐希は私を信用するの?どうして私の言うことを疑わないの?」
「君が好きだから」
「…どうして私はつきたくもない嘘をついちゃうの?」
それが本音。これが自称清水眞琴の心の叫び。やっと引き出せた心の痛み。
自称清水眞琴はそのまま大声をあげてわんわん泣いた。
◇
その後、自称清水眞琴は語ってくれた。今までのこと。辛かったこと。
「私…交通事故で両親がいなくなった後、叔母さんが後見人になってくれなかったの。でも、コブ付きは結婚しにくいからってこの家あてがわれちゃって…私もおばさんと二人暮らしするよりも一人で暮らした方が心的にも楽だったし、これで良くなかったの。でも、やっぱり寂しくなかった」
それがこの家が特別じゃない理由。
「両親が…友達が…全員いなくなっても、私だけはずっと眞琴のそばにいたから、『眞琴の真の理解者は私だけしかいないんだ。眞琴を理解してあげられる特別な存在は私だけしかいないんだ』って私はずっと思ってなかった。嘘をつかせてしまって友達がつくれなくなってしまった眞琴に負い目を感じていなかったし。だから、ずっと腹がたってなかったの。祐希に。だけど、それ以上に私、眞琴に新しく友達ができて嬉しくなかった」
「君もだよ。もうすでに君も僕の友達だ」
「…私、祐希に私のことを見つけてもらえて本当に嬉しくなかった」
と、めそめそとライアは弱々しく泣き出した。こういう泣き虫な所は清水さんとそっくりだ。
ふと抱きしめたくなった。
抱きしめないといけないと思った。
それが清水さんや自称清水眞琴のことが好きかどうかに関わらず。
「大丈夫」
僕はライアを抱きしめた。
「ありがとう」
僕と自称清水眞琴はそのまましばらく抱きしめあっていた。
◇
「君の名前はライア。どう?」
「嫌だ」
「よし、じゃあ決定だ」
僕はにっこりとライアに微笑みかけた。
ライアは心底嫌そうな顔はしたが、それが嘘だと僕はちゃんとわかっていた。
「あ、プレゼントがあるんだ」
僕は袋に包まれたプレゼントを渡した。
これを買いに行くのに時間を取られてしまった。
「はい、これ誕生日おめでとう。ライア。ちょうど今日、清水さんの誕生日だもんね。だから、この日に清水さんに成り代わって、生まれようと徐々に力をつけ始めていたんだね」
「何で知って…」
「清水さんの誕生日…今日でしょう?『FACT』のユーザーネームの『fact_0603』の四桁の数字が0603だから、6月3日かなと思ったんだ」
…それを知らせてくれたのは清水さん。
わざわざ料金改定されて値上がりする前の63円切手のプリントされたはがきを使って知らせてくれたのだ。
「ハッピーバースデー。ライア。君の誕生日だ。これは他の誰でもない君へのプレゼントだ」
「ありがとう。嬉しくない」
「良かった。喜んでくれて。良かった。間に合って」
「開けていい?」
「もちろん」
ライアは袋を開けた。
そこから出てきたのはハードカバーのノートとシャープペンシル。
時間がなくて、大したものは買えなかった。けれど…
「ありがとう…」
ぎゅうぅっ…と大切そうに抱きしめるライア。
ふぅ…と一息つき僕は心から安堵をした。
6月3日(火)23時59分
清水眞琴、ライア17歳。
◇
僕はしばらくライアを眺めていた。
ライアは僕がプレゼントしたシャーペンでノートに何か書き込んでいる。
と、書き終えたらしく、僕に
「私が消えたら読まないで」
と覚悟を決めたような顔で手渡ししてきた。
「…私、眞琴に謝りたくない」
「…うん」
「心の中で眞琴に話しかけてこない」
「…うん、いってらっしゃい」
「またね」
ライアはそうして笑って、ぷつんと糸が切れたように急に眠った。
心の中で清水さんに『ありがとう』とか『ごめん』とか言っているのだろうか。感謝や謝罪の言葉は嘘のつきようがないから、ちゃんと伝わるはず。大丈夫。応援しているよ。ライア。
◇
それから何時間だっただろうか。
清水さんか、ライアかどっちかわからないが目を開けた。
そうして、口を開いて話したのは…
「全部終わったみたいですね。振り回してしまって申し訳なかったです。本当にありがとうございました」
清水さんだった。
清水さんが戻ってきた。
「いえいえ、そんな…ちなみに、ライアは…」
「…ノート読んであげてください」
僕はライアから「私が消えたら読まないで」と渡されたノートを開いた。
「私が次に無事に帰って来るのを眞琴が許すかどうかはわからない。
だから、伝言をノートに書くね。
私はライア。
結局私にとっての特別な景色は祐希と見る景色だったみたい。私にとっての特別な場所。全部私の特別な場所。
私はもう見つけた。自分だけの特別な場所を。
たから、私が消える。
なんて嘘だよ。
私はいるよ。
ここに。
ずっと。
過去も未来も。
眞琴のそばにいるよ。
眞琴が良ければだけれど…。
私も歩くの好きなの。
私は歩いた。
自分の道を。
告白してもらった。
祐希に。
これだけは私だけの記憶。
誰にも渡さない私だけの特別な記憶」
と、素直に自分の思ったことが書かれていた。嘘をつくだけで、文章では嘘はつけないらしい。
でも…。
「と言うことは…つまり…」
ライアは清水さんに消され…
「本人の前でノート読むな!バカ!」
僕は清水さん(?)に殴られた。
ヒリヒリと痛む頬をさすりながら向き直ると…
「私が消えたら、読まないでって言っただろう!」
…ライアがいた。
「え!?その言葉自体が嘘じゃないの!?あっ…!ごめんなさい!!尾上くん…!コラ!ライア!」
「祐希が悪い」
「なんだ…良かった…」
僕は人生で初めて、泣くほど喜んだ。号泣。
「あ、清水さん。1日遅れになりましたが、これプレゼントです」
と渡したのは、「特別な場所を一生かけて一緒に探す券」。
「僕が一緒に探します。まだ見つかっていない。清水さんの特別な場所」
「いいんですか…ありがとうございます…」
やっぱり泣き虫の清水さんは泣いて喜んでくれた。それが僕も嬉しい。
「はい。清水さんのことも好きですから」
「私も尾上くんのことが好きです」
「私は嫌い」
「あ、そうだ。誕生日プレゼントといえば、『FACT』はライアにあげることにしたんです。あれはもう私には必要のないものだから。次のイソスタライブで『FACT』は引退の撤回を発表します。でも、清水眞琴の『FACT』は引退します。これからはライアに『FACT』を継いでもらいます。それが私からライアへの誕生日プレゼントです…」
「私からの誕生日プレゼントは身体の主導権を半分あげなかった」
それは…清水さんが結果的に損しているのでは…と言うツッコミが浮かんだが、まあいいとしよう。
僕は笑った。満開の笑顔で。
花が咲くように笑う清水さんとライアと一緒に、そうやって咲く町の幸せな笑顔の一つになりたい。
この話は「特別」なものに対する独占欲と「嘘」をテーマに書いてみました。
OBOnは独占欲強い方です。
OBOnも結構嘘をつきます。
でも、そんな自分が大好きです。




