恐ろしかった原爆のアニメ
朝起きた時、不意に昔を思い出した。
小学生の夏休み、登校日は、必ず八月六日だった。
広島に原子爆弾が投下された日だ。
筆者たち小学生は全員、体育館に集合させられて、原爆のアニメを見せられた。
毎年、毎年である。
正直トラウマになったが、今思うと、見ていて良かったと思う。
戦争を、心底、恐ろしいと思うからだ。
恐ろしい昔を、昔だったと過去形にせず、二度とこのような事があってはならないと、強く思うからだ。
それは、本当に恐ろしかった。広島に原爆が落とされた瞬間なのだ。
人は皆、皮膚が、焼けただれている。
必死に水を求めて、亡霊のように、ふらふらと川に向かっていく。
けれど、そんな姿になって、生きられるわけがないのだ。
全身の皮膚がないのだから。
川に頭を突っ込んで死んでいく。
川は、血で真っ赤に染まり、遺体が、次々と積み重ねっていく。
灰色の雲が立ち込めていた。
その場面を、毎年毎年、筆者たちは見せられた。
また、投下された瞬間、人が影になって、建物に「黒い跡」として焼き付いたのも見せられた。
そして、それら全てが現実だったと教えられた。
恐怖を覚えると共に、腹立たしくもあった。
罪のない人間が、なぜこのような目に合わなければならなかったのか!
どんなに苦しかっただろう!
戦争さえしなければ!戦争さえなければ!
この思いは、恐怖と共に、子供心に刻み付けられた。
戦争による死は、恐れるべきなのだ。それを、急に思い出した。
カクヨムを一度退会する前に、『メメントモリとは何か』というエッセイを書いたが、そのおかげで思い出した。
《メメントモリ》(memento moriと書く)は、《死を想え》《死を忘れるな》という意味だが、第二次世界大戦、原爆によって奪われた命を、決して忘れてはならないと改めて思う。
《メメント》(memento )は、英語でいうところの《メモリー》又は《メモライズ》で、心に留める、忘れないといった意味にあたるそうだ。
調べた所、西洋に古くから伝わるラテン語の格言と書かれている。
戦争を知らない子供が増える、そんな未来は恐ろしい。
地元のある小学校では、『ほたるの墓』を、子供たちに見せていたそうだが、職員室に戻って涙する先生たちも多かったと聞いた。
筆者も、原爆のアニメは、トラウマになっているが、知って良かった。
アニメではなく、現実なのだから。
知らない今があるよりも、知っているトラウマがあった方が、ずっといい。
戦争は、恐ろしいのだ。人の心も、また恐ろしい。
授業中に、戦争の話に触れた先生がいた。
その言葉は、深く心に刺さって、今も抜けない。抜くつもりもない。
「日本人だから、黄色人種だから、核実験したんだ。白人種だったら、アメリカは、原爆を投下しなかっただろう」
非常に考えさせられた言葉だった。一生、忘れないだろう。
日本国憲法の、最も素晴らしい所は、第九条の『戦争の放棄』である。
戦争による死の恐怖を、原爆投下の恐怖を忘れてはならない。
忘れる事が、最も恐ろしい。