3話 統一歴1216年 春 賊との遭遇
佐助さんは、二日ほど滞在した後、町に戻っていった。
それから一カ月くらいで、田畑に積もっていた雪が解けて、春の草花が芽吹きだし、山桜の花が山のあちこちに咲き始めた。まだ寒い中で、秋に種をまいておいた菜の花を収穫したり、家の近くの竹林でタケノコを取ったりしながら過ごした。爺さまが狩ってきたイノシシで、猪肉の燻製をつくったりもした。もちろん、日々の修練も続けてて、桜が咲くころには、田畑のまわりの道を六周走れるようになった。でも、五周目くらいから足がガクガクしてきて、六周目は歩いちゃったりしてるから、十周走り切れるようになるにはまだまだかかりそう。
満開になった山の桜がすべて散ったころに、爺さまや婆さまと田起こしをした。佐助さんが言ってたんだけど、もともとは冬の間も田んぼに水を入れてたみたい。でも、山では冬の間、湧き水の量が減っちゃうから、収穫を終えたら田んぼの水を抜くようにして、春にカピカピに乾いた田んぼの土を耕して肥料を撒いてから水を入れるようにしたら、お米の収穫がそれまでより大幅に増えたから、この方法を半兵衛さんに伝えて、町でも爺さまと同じ方法で冬の間に田んぼの水を抜くようにしてるみたい。結果、町でもお米の収穫が増えて、この水を抜く方法を見つけた爺さまがものすごく尊敬されてるって言ってた。やっぱり爺さまはすごい!
でも、田起こしは冬の間に乾燥して固くなった土を鍬で掘り起こさなくちゃいけないからかなり力が必要で大変。爺さまが子供用につくってくれた鍬で頑張って耕すんだけど、爺さまや婆さまが耕す量に比べたら、悲しくなるくらい少ししか耕せてない。爺さまは、六歳にしては大きくて力もある方だから、焦らなくてもいいって言ってくれるけど、早くもっと大きくなって爺さまや婆さまに楽をさせてあげたいな。
田起こしと同時に、畑にいろんな野菜の種を植えて、稲の苗も育て始めた。種もみを田んぼに直接撒くより、別の場所で苗を育ててから、ある程度の間隔を開けて植えた方がたくさんお米が収穫できるんだって。これは大和って国の偉い人が考え付いた方法だって爺さまが言ってた。稲の育てるだけでも、いろんな人たちの知恵がつまっているからそれを学ぶことは大切だし、学ぶためには難しい文章もちゃんと読めるようにならないといけないから勉強をがんばりなさいって言われた。
それで、一つの田んぼに百二十の苗を植えたら、三つの田んぼで苗がいくつになるかとか、一つの苗が二十株に増えたら田んぼ一つで何株になるかとか、一つの稲穂から四十粒のお米がとれたら全部でどれくらいのお米が収穫できるようになるかとか、それが何俵になるかとか、算術の計算もさせられた。掛け算すごくむずい、割り算はもっとむずい…。
田起こしのあとは、田んぼに水を入れたり、田植えをしたり、畑の手入れをしたりしながら日々を過ごしていたら、梅雨に入る前には、なんとかいつもの道をギリギリ十周走れるようになった。九周目くらいからちょっと歩いちゃうけど、最後まで走り切れるようになるまであと少しだ。
防御の練習もかなり上達して、爺さまが最初の立ち位置を動かなければ、かなり長い時間、棒をかわせるようになった。まぁ、爺さまが動いてもいいことにしたらすぐに転ばされちゃったけど。
棒手裏剣は、かなり上達して、走りながらでも十歩くらい離れた的に命中させられるようになった。立ち止まって的を狙ったら二十歩くらい離れてても、そこそこ的に当てられる。もう爺さまの棒手裏剣の腕は越えたかもしれない。三十歩離れたところを走りながら十本連続で的の真ん中に命中させた婆さまのことは考えないようにしている。
そんな日の夜の夕飯時のこと。爺さまがうれしい提案をしてくれた。
「太郎もかなり体力ついてきたようだし、明日は天気もよさそうだから一緒に山に入ってみるか。まだ、遠くまでは行かんようにはするがの。」
「えっ、俺も山に入っていいの!?うわ~、やったぁ~。」
突然、爺さまに言われて、ご飯のときなのに、手を挙げてはしゃいじゃった。でも、嬉しすぎてほっぺたが緩んでニコニコしちゃう。
「獣に出会ったときにどうすればいいかは覚えているな。」
「うん。まず、こっちが先に獣を見つけた場合はそのまま気が付かれないように風下の方にそっと離れていく。獣に気づかれたときは、獣から目を離さないようにしながらそっと離れていく。獣が襲い掛かってきたときはまず攻撃をさけながら逃げることを優先して、近づいてきたときは手裏剣で牽制する。」
爺さまに、何度も聞かされてきたから、山の中で注意することは、全部暗記してしまうくらい覚えている。
「それだけわかっていれば十分じゃろ。わしから離れなければたいがいのことはなんとかなるから離れないようにするんじゃぞ。」
「大丈夫。すぐ後ろをついてくよ。明日はどっちの山にいくの?」
「そうじゃの。東側は歩くのに厳しい道が多いから明日は西の方へ向かうかの。今の季節だと、山菜と、ヤマモモ、ヤマグワ、キイチゴなんかが取れるはずじゃ。スモモもあるかもしれん。」
「甘酸っぱいのばっかりだね。考えたら口の中がすっぱくなってきた。」
俺が、甘酸っぱい果物のことを考えて口をすぼめると、爺さまにもそれがうつって2人そろってすっぱい顔になってしまった。
夕飯のあと、婆さまが俺に足袋をくれた。子供の足はどんどん大きくなるからそれに合わせて足袋をつくるのは大変なのに、山を歩くときに足を怪我するとその後が大変だからと、厚めの布で足袋を作ってくれていた。毎日頑張っているのが認められて大人の仲間入りができたみたいで、すごく嬉しい。
興奮して寝付けない…なんてことはなく、その日の夜も錬成術で岩から鉄鉱石を抽出してからぐっすり眠った。ちなみに鉄鉱石はお茶碗山盛り一杯分くらい抽出できるようになった。
次の日の朝、朝ごはんに握り飯と漬物を食べてから、山袴と足袋を履いて、山に入る身支度をしっかり整えて、爺さまと一緒に西の山に向かった。空の背負い籠が帰りには山の恵みでいっぱいになる予定。ふふふ。
まずは、爺さまがいくつか仕掛けた罠を見にいく。爺さまが使うのは、くくり罠っていう罠で、表面を土で隠された罠を踏むとまわりに仕掛けてある針金の輪がギュッと締まって足をくくって、動けば動くほど罠が締まっていくという罠だ。猪くらい大きくても、捕まったら逃げられないらしい。熊くらい強い獣だと針金を引きちぎっちゃうみたい。
山の中に罠をしかけている場所がわかるようにいくつか目印があって、それを頼りに歩いていく。いつか一人で来るときに間違って自分が罠にかからないように目印を覚えておくことは絶対に必要だからっていって、目印のつけ方と探し方も教えてもらった。
罠に着くまでに、途中で山菜を摘んだり、ヤマグワを収穫したりしておく。山菜は苦いからあんまり好きじゃなかったけど、大人になったら美味しく感じるようになるっていうから、今回は美味しく食べられるかな。山に入ってもいいってことは俺ももう大人だし。ふふふ。つい頬が緩んじゃう。
一刻(2時間)ほど歩いたところで、一つ目の罠を仕掛けた場所に着いたけど、獲物はかかっていなかった。爺さまが罠の様子に変化がないかを確認して、罠をしかける場合に気を付けなくちゃいけないことをいろいろ教えてくれた。獣道の見つけ方とか、動物のフンの種類とかにおいとか、家にいるだけでは学べないことがたくさんあった。
少し休憩してから、二つ目の罠に向かった。ここの周辺にいくつも罠が仕掛けてあるみたいで順番に回っていく。二つ目の罠も空振りだったけど、三つ目の罠に野兎がかかっていた。弱っているけどまだ生きているみたいで、爺さまが狩猟刀でとどめを刺した。罠から離れたところに穴を掘ってから頭を落とした野兎を逆さに持って、穴に血を流していく。その後、野兎の頭も穴に入れてから穴を埋めて墓標代わりに落ちていた枝を一本立てて、手を合わせて山の恵みに感謝する。
西の山に罠は全部で八個しかけてあるから、あと五つだ。小さい数の引き算はもう完璧!ふふん。
四つ目の罠には何もかかってなかった。そこのそばに、湧き水があったから、そこで休憩。山を歩くときは湧き水のある場所を覚えておくことも重要なんだって。ただ、今の時期は雪解け水で湧き水も豊富だから耳を澄ませて水の音がする方を探せば簡単にみつけられるみたい。爺さまは山のことをなんでも知ってて本当にすごい。
五つ目の罠に向かっているときに、爺さまが立ち止まった。爺さまが何も言わずに立ち止まるのは、熊とか猪とかの危険があるときだから、ぜったいに声を出すなって言われてる。俺は何も言わずに爺さまの後ろに立ち止まって、耳を澄ませた。
『おい…、まだ獲れねぇのか、その罠』
『すげぇ、きつく足に食い込んでて…、い、痛ぇ。』
『刀でその針金を切ればいいだろ。もたもたすんな。』
『さ、さっきからやってんだけど、この針金すげぇ硬くて、全然、刃が通らねぇ。』
『しょうがねえなぁ、おい、こいつの足を押さえとけ。』
『や、そんなに強引に針金引っ張ったらやったら足がちぎれちまうよ。ちょ、ちょっと待ってくれ。』
どうやら、姿は見えないけど四、五人くらいの大人の男たちがいて、そのうちの一人が爺さまの罠にかかったらしい。くくり罠は外し方を知ってれば簡単に外れるはずなのにそれを知らないってことは猟師の人じゃなさそう。爺さまは、猟師以外で山の奥に入ってくるのは、他国の間者か賊か流民で、流民は保護するけど、それ以外は町に行かせないように成敗しなくちゃいけないって言ってた。
――― 少し時を遡る。
山中を歩く5人の男たちのうち、一人だけ目立つ柄の羽織を羽織り、頭に鉢巻を巻いた偉そうな大男がわめく。
「おい、いつまでこんな山ん中を歩きゃいいんだ!もう三日も山の中にいんだぞ。まさか迷ったわけじゃねぇよな。」
「いや、明日の昼には山を出て、開けたところにでるはずなんで、もう少しです。」
「もう少しって、明日までまだ山の中ってことじゃねえか。ちっ。」
弓を背負った小柄な男が、大男をなだめようとするも、イラつきを押さえようともしない態度に集団の雰囲気が悪くなると、槍をもったひょろりと背の高い男が続けた。
「まぁまぁ、芹沢さま、この先の町まで行けば酒も女も楽しみ放題ですから。」
「そうですよ!芹沢さまの剣の腕にかなうやつなんているわきゃないですからね。」
「まぁ、それはそうだな。」
「この先の町は街道が交わるところでかなり栄えてみたいですから、うまい飯も、いい女もよりどりみどりですよ。」
「そうか、ぐふふ。楽しみだな。」
「(へへっ、この人、名前の通り、葱をしょった鴨みてぇにだましやすいな…。)」
大男は機嫌が良くなったのか、饒舌にしゃべり始めた。
「いや、佐々木様もいいところを紹介してくれた。山道じゃなく街道を通れるなら満点なんだがな。」
「街道は、関所につめた兵士がわんさかいますからね。急がば回れって言いますし、美味しい思いをしたいなら焦りすぎないことです。」
「なるほどな、お前はなかなか頭がいいな、この件が終わったあとも…」
先頭を歩く男の「いっ、痛ぇ~!!」という叫び声で、その会話が遮られた。
―――― 再び、太郎視点
爺さまは、俺に待つように手で指示をしたあと、声のする方へ近づいていき、様子を見てから戻ってきて、ささやくような声で話しかけてきた。
「太郎、あやつらは身なりからして流民ではない。賊だ。ここで成敗する。」
「わかった。俺は何すればいい。」
「わしが奴らの逆側に回ってから鳥笛で合図を送るから、遠くから手裏剣を投げて、やつらを牽制するんじゃ。当たらなくても、奴らの気を引きつければそれでよい。」
ぐぐっと気持ちが高ぶって緊張してきた。いつも婆さまと手裏剣を練習してて、時には婆さまに向けて投げるときもあるけど、婆さまにはまったくかすりもしないから、人に当てたことはない。これから初めて人に当てちゃうかもしれない。
「当たってもかまわない?」
「当てようと思って不用意に近づきすぎるなよ。奴ら、弓も持っているから、姿が見つかったら、やられると思え。」
「わかった。見つからないように遠くから投げるよ。」
ドキドキはするけど、今までに爺さまが賊と呼ぶ人たちがどんなに悪い人たちなのか何度も聞かされてきた。悪い人をやっつけるのだからためらう必要はない。何度も聞いた婆さまの『悪人には容赦するんじゃないよ。』という声が頭の中で甦る。
「茂みに隠れて手裏剣を投げて、投げたらすぐに茂みの中にしゃがみこんで隠れるんじゃ。獣と違って臭いをたどって追ってくることはできんし、小さな子供が手裏剣を投げてきたとも思わんじゃろうし、茂みでしゃがんでいればまず見つからん。」
「向こうは何人いるの?」
「五人だ。うち、弓をもっているのが二人。一人は槍を、二人は太刀を持ってる。弓持ちのうち一人は罠にはまって足を怪我してるからまともに動けんじゃろ。太刀持ちのなかで、頭に鉢巻を巻いている大男の動きに隙がないからたぶんそいつが頭目じゃ。太郎が手裏剣を投げて奴らの気がそれた瞬間に、まずそいつをわしがやる。残る四人は目をつぶっててもやれそうな小物じゃ。」
「わかった。気を付けてね。」
俺は、爺さまが指示した茂みの位置までそっと移動して身を潜めた。賊たちはなんとか針金を切ったみたいだけど、くくり罠の針金が食い込みすぎて足から取れないらしく、痛い痛いと大騒ぎをしている。
手裏剣は二本持ってきている。最初の投擲で一番強そうな鉢巻のやつを狙いたいけど、爺さまの言った通り動きに隙がない。この距離からだと背中に投げても音に気付いて反応されそうだ。でも、爺さまならあいつがこっちに向いた瞬間に隙をついて倒すだろうから、無理をせず弱そうなやつを狙おう。
五人の賊をよく観察すると、槍を杖代わりにして突っ立ってるやつがちょうどこっちに背中を向けてるから、あいつから狙うのがよさそうだ。この茂みからだと二十歩くらいの距離があるし、地面が平らじゃないから狙った通りに投げられるかはわからない。婆さまくらいの腕だったら五本速射で全員倒しちゃいそうだけど、いま俺にはどうやったって無理。槍持ちを狙うことに決めて、棒手裏剣を右手に持ち、爺さまからの合図をじっと待っているとじんわり手に汗をかいてきた。大切なところで手を滑らすわけにもいかないので、腰布で手汗をぬぐって、もう一度棒手裏剣を握る。
そのまましばらく待っていると、爺さまからの鳥笛の合図がかすかに聞こえた。こっちを見ている奴がいないことを確認してから立ち上がり、槍持ちの背中に狙いを定めて手裏剣を投げ、すぐにしゃがみ込む。初めて人に向けて投げた手裏剣は、緊張からか狙いを少し外れてしまって上ずったが、その結果、ちょうど槍持ちの首にうしろからブスっと刺さった。
「がはっ!」
槍持ちが声を上げて崩れ落ちると、四人のうち三人が槍持ちの方を見て、鉢巻きの奴だけがこっちを見た。その瞬間、爺さまが鉢巻きの後ろに現れて狩猟刀で鉢巻きの首を切り裂いた。突然のことにたじろいだ弓持ちの二人に対して、もう一人の太刀持ちはすぐさま爺さまにむけて太刀を構えようとする。ここだ、と思って、立ち上がって太刀持ちにむかって二本目の手裏剣を投げると、今度は狙いを違わず、太刀持ちの背中にグサッと刺さった。
太刀持ちに手裏剣が当たると、間髪をおかず、爺さまがうろたえる弓持ちのうち罠にかかった方の首をザクっと切り裂き、もう一人は顎を殴って昏倒させた。さすが爺さま、あっという間だ。
爺さまは、倒れている四人にとどめをさし、昏倒している弓持ちの手足を縛って拘束してから、俺を呼んだ。
「太郎、よくやったの。」
「えへへ。いつも練習してるからね。」
「こりゃ、わしよりも投擲の才能があるやもしれんの。この先が楽しみじゃ。」
えへへ。褒められちゃった。でも一本目の手裏剣が当たったのは運が良かったのもあるし、もっと修練頑張らないと!
「この捕まえた人はどうするの?」
「どこから何をしに此処へきたのか、話を聞いてから処分する。」
「すぐにしゃべるかな?」
「まぁ、しゃべらせる方法はいろいろあるでな…。(じゃが、さすがに太郎の前で拷問を始めるのは気が引けるの。)面倒なのは、こやつらの死体を処分の方じゃ。熊や狼に人の肉の味を覚えさせたくはないが、五人を埋める穴を掘るのは骨が折れるからの。」
そう言われると、周りに四人の男の死体が転がっている。鉢巻の大男とかを埋める穴一つ掘るのだけでもすごく大変そう。
「これからそんなに大きな穴を掘ったら日が暮れちゃうね。」
「仕方ないの。あのちょっと窪んだところまで死体を運んで土をかぶせさせるか。」
「それで大丈夫なの?」
「まぁ、方法はあるから安心せい。太郎には、残りの罠を見てきてもらおうかの。もう罠の場所を見つける目印の探し方は覚えたじゃろ。」
「うん、覚えた!じゃあ、一人で行っていいの?!」
俺に一人で罠の確認をさせてくれるの!?悪い奴をやっつけて、一人前って認められたのかな?やったー!
「何かあったら、一人で何とかしようとせんでここに戻ってくるんじゃぞ。もう賊はいないと思うが、獣には出くわすかもしれん。逃げられないと思ったら木に登って笛を吹くんじゃ。」
「わかった。罠は近くにあと三つだよね。行って来ます。」
俺は、爺さまをその場に残して残りの罠を確認しにその場を離れた。山の中を一人で移動するのは初めてだ。俺も、もう一人前の大人だな。ふふん。
太郎が離れたのを見て、爺さまがつぶやく。
「さて、まずはこやつを起こして死体を運ばせるかの…。」
三つの罠を順に確認したら、最後の罠に小鹿がかかっていた。ただ罠にかかって動けないところを熊にでも襲われたのか、鹿は食い散らかされていた。爺さまが熊は獲物を横取りされたら執念深く追っかけてくるって言ってたから、熊に見られてないかしばらくあたりの様子を伺ってから、鹿にも罠にも触れずにそのまま来た方へ引き返した。
爺さまのところに戻ると、すでに残った一人も始末して爺さまが死体の上に周りの土をかぶせていた。
「爺さま、最後の罠に鹿がかかってたけど食い散らかされてたからそのままにして戻ってきたよ。」
「うむ、それでよい。しばらくはそこの罠には近づかない方がよさそうじゃの。」
「この人達の死体はもっと深く埋めないと、獣に掘り返されちゃうんじゃないの?」
「普通はそうなんじゃがの。これを使うんじゃ。」
爺さまはそういってちいさな小瓶を背負っていた袋から取り出した。小瓶をあけると強烈な臭いがむわっと漂った。
「うわっ、くさっ!何これ?め、目に染みる。」
「これは狼の小便じゃ。これを撒いておくと他の獣が狼を怖がって近寄ってこなくなるんじゃ。」
「狼、怖いもんね。っていうか、本当にすごい臭い。うぷっ、うぇぇ~。」
「大袈裟じゃのぅ。う、うっぷ。」
「爺さまだって、は、吐きそうに、う、うえぇ~。」
鼻をつまみながら爺さまが、賊の死体に土をかぶせた周囲にそれをちょっとずつ撒くと、2人ですばやくその場から離れた。とにかく臭いし、ここをなわばりにする狼が近づいてくるかもしれないんだって。
最初の予定だと、ここまで来た道とは別の道を通って、ヤマモモとかスモモを探しながら帰るはずだったんだけど、賊が持っていた武器とか荷物を持ち帰ることになって、これ以上荷物を増やせないから、来た道をそのまま通って家に戻った。
初めての山歩きは、いろいろあったけど、おかげで俺も大人の仲間入りができたんじゃないかと思う。ふふふ。
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その日の夜。太郎が寝付いたあと、囲炉裏端で、爺さまが婆さまに昼間の出来事についての報告をする。
「今度は、佐々木ですか?」
「で、あったな。佐々木方の六角の手の甲賀者が混じっておって、わしのことも知っておった。」
「それは、頬の傷から?」
「そうじゃな。伊賀や甲賀では、かなり百地の名前が広がっているらしい。なんでも伝説の忍者なんじゃと。」
最近使っていない己の名前が、いつのまにか故郷に広まっていることに気恥ずかしさを覚えたのか、爺さまが苦い顔をして笑った。
「あなたも昔はやんちゃでしたからねぇ。」
「いや、お主のことも知っておったぞ。『げ、げぇ~、ってことは、伝説のくのいち、お江もここに?!』じゃと。」
爺さまの言葉に、婆さまが顔を顰め、鬼も逃げ出すような冷酷な表情を作り出す。
「信じられないことは全部『伝説』の一言で片付ようとするあたり、まだまだですねぇ。それに、人の名前を口にするのに、『げぇ~』なんて失礼な輩。私もその場にいたら来世に至っても逆らう気がなくなるまで心胆寒からしめてあげましたのに。」
「(い、いなくて良かったの…、太郎には見せられん)」
久しぶりに見た伴侶の表情に若干ビビりながら、爺さまが話をそらした。
「佐々木方は、そやつら乱暴者を町に放って混乱させたところで、あわよくば関所を破って攻めてこようと画策してたみたいじゃ。実際、そやつらの頭目はなかなかの使い手であった。太郎の援護なしで、わし一人ではなかなか難儀したじゃろう。」
「半兵衛の頑張りもあって、町は農地改革でかなり豊かになってるみたいですからねぇ。隣国からすると欲しくてたまらないのでしょう。」
「まっ、そう簡単にくれてやるわけにはいかんがの。」
「ですよねぇ。さっそく報復の準備を始めるとしましょうかねぇ。」
「そうじゃのぅ。」
二人は、ニヤッと笑って楽しそうにあくどい計画を立て始めた。