エピソード4 8月9日①
美奈は普段通り、朝食の準備をしていた。平日は美奈が朝食を作ることになっており、炊き立てのご飯、豆腐とわかめの入ったお味噌汁、あまじょっぱく味付けした卵焼きをてきぱきと用意しながら、夫の目覚めを待っていた。
「おはよう、美奈。」
達也が寝室から出てきた。いつも通りの穏やかな表情を浮かべ、寝癖のついた髪をそのままにしてキッチンに入って来る。美奈は微笑みながら、彼に朝食を渡した。
「おはよう、達也。」
心の中で自分に言い聞かせる。 彼を疑っていることは、絶対に悟られないようにしなければ。
そう考えながら、美奈は食卓に座る。達也は美奈が用意した朝食を手に取ると、何の違和感もなく箸を運んで食べ始めた。
「やっぱりうま…美奈は天才だよ。」
「ありがとう。」
美奈はいつものように微笑んで答える。しかし、その微笑みの裏で、彼女の頭の中は平常心を保てないでいた。 この穏やかな人が殺人…? そんな馬鹿な話があるわけがない。
「美奈?おーい、聞いてる?」
達也の声が、少し気になる様子で響く。美奈ははっとして、ぼんやりとした自分を取り戻した。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた。」
「大丈夫?ずっとボーっとしてたけど。」
達也は少し心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫よ。」
美奈は慌てて取り繕う。彼に心配をかけてはいけない。
「それで、どうしたの?」
達也が軽い口調で質問を続ける。
「今日、何か予定があったんだっけ?」
「うん、そうそう。」
美奈はすぐに取り繕った。自分が用意していた言い訳を、まるで本当にそうであるかのように話し始める。
「高校の同級生と食事会があるの。」
「へぇ、いいね。」
達也は少し興味を示した様子で頷く。
「駅チカのちょっとお高めのレストランで、立食パーティー。70~80人は来るんじゃないかな。」
美奈は予定通りに話を続ける。
「開始時間が中途半端で、もういっそのこと有休取っちゃった。」
「そうなんだ。」
達也が無理なく会話を続ける。美奈は思わず心の中でガッツポーズをしていた。 うまくいった、これでバレない。
実際、そのパーティーは半年以上前に案内が来て、彼女は最初に参加予定としていたが、直前になって急に体調が悪くなり、欠席を届けていた。そのため、美奈が言った「出席する」というのは、あくまで現実には実行されていない計画だ。あくまで「パーティー自体は実在する」という事実に、彼女はうまく乗っかっていた。
「だから、帰りは遅くなるけど、夜ご飯は作っておくよ。解凍して食べてね。」
「わかった、ありがとう。」
達也は笑顔で答える。美奈はその笑顔を見て、ほんの少しの安心感を覚えた。のであるが、
「パーティー、楽しんできてね。」
達也のその一言が、なぜか心にひっかかった。達也の笑顔の裏に、何か違和感を感じた。
美奈はその言葉を聞きながら、なぜかふと背筋を冷たい感覚が走るのを感じた。