エピソード1 夫が殺人鬼かもしれない件について
桐石美奈は明るい笑顔を浮かべながら、厨房で夕食の準備をしていた。包丁で野菜を切る手際に、自分でも満足感を覚えつつも、心の奥に何かが引っかかっているような不安を感じていた。最近、夫の達也が仕事から遅く帰ってくることが増え、彼の目に見えない疲労と、時折見せる遠い目が、何かを隠しているのではないかという疑念を抱かせていた。
「達也、今日の授業はどうだった?」美奈は振り返り、夫に尋ねる。
「うん、まあまあだよ。生徒たちも少しずつ慣れてきて、やっと授業が進んできた感じかな。」達也は穏やかな声で答えたが、その表情にはどこか冴えないものがあった。美奈は胸の奥に不安が広がるのを感じた。
その不安の理由は、今日のお昼にあった。美奈は思わず達也の部屋に入ってしまったのだ。プライベートを尊重するためにお互いの部屋に立ち入ることはしない、という約束をしていたにもかかわらず、である。最近の遅い帰宅に疑念を抱き、浮気を疑って仕方なく達也の部屋に入ることにしたのだ。
しかし、そこで目にしたのは、浮気の証拠以上に衝撃的なものだった。
名刺のような物体が、机の上に無造作に置かれていた。その名刺に、見覚えのあるロゴが刻まれていた。チームX、最近横行している殺人事件の背後にいるとされる謎の組織の印だった。心臓がドキリとする。美奈はその名刺を手に取り、息を飲んだ。
「達也、どうして…?」
背筋に冷たいものが走る。最近のニュースでは、チームXによる凶悪事件が連日報じられていた。夫がその組織に関与しているのか、暗躍しているのか、想像するだけで恐ろしい絵が浮かんできた。彼の遅い帰宅、早朝からの出勤、最近変えたスマホのパスワード。それらがまるで一つのパズルのように繋がっていく。
その時、達也の言葉が脳裏に浮かんだ。「愛する人を信じることが大切だよ。」美奈はまだ、夫が殺人鬼だと決まったわけではないと自分に言い聞かせた。何かの冗談かもしれない。彼を信じよう。美奈は名刺を元の場所に戻し、心を落ち着けることにした。
帰宅した達也に色々と話しかけるが、やはり彼の様子はどこかおかしい。美奈は決意を新たにした。守ろう、夫を、と。そして彼が本当に無実であることを証明するために、独自の調査を始めることにした。