第九話 IoT住宅
●9.IoT住宅
「あそこが、うちのIoT住宅専用コントロールボックスです」
住み込みの付き人・茂森怜美が1階廊下の突き当りにある操作ボックスを手で指し示していた。
「さすがに往年の大女優の邸宅だけあって、広いですね」
合島は家の中を見回していた。
「おい合島君、往年は余計だぞ。あぁ、失礼しました」
冴場は、すまなそうにしていた。
「いいんですよ。うちの柏田陽子は一度は女優を引退して政界進出に挑戦したほどですから」
「それで今日は柏田さんは、いらっしゃらないのですか」
「お世話になっている方とお食事に行かれてますので」
「ぁぁ、そうですか」
冴場は、女優のプライベートに立ち入ってはいけないと、さらりと聞き流していた。
冴場たちは茂森の案内で邸内を見て回っていた。
「ここが地下のシアタールームです」
「カラオケもできるんですか」
合島はテーブルに置いてあったマイクを手に取っていた。
「音響設備が整っているので、カラオケやレコーディングなどにも使ったりします」
「茂森さん、ここで夜中に音が鳴り出すんですか」
冴場はノートPCに接続したセンサーをかざしながら、プロジェクターやカラオケ装置などのデジタル機器を丹念に調べていた。
「はい。誰もいないのに勝手にスイッチが入っていたりします。私は幽霊とかは信じないので、何らかのウィルスがプログラムのバグだと思っていますけど」
「…どちらとも、言えませんね」
「冴場さん、心霊現象とかありえますか」
「それはないと思いますが、デジタル妖怪かどうかです」
「あの、それってウィルスやバグのことを洒落で言っているのですよね」
「あ、はい」
冴場は上の空で返事をしていた。
リビングのソファーに座っている冴場たち。
「一通り見せてもらいましたが、今日の所は全て正常に作動しています」
「でも柏田は帰ってくるまで、直しておいて言っていたものですから」
「もう一度、センサーでスキャンしてみますが、それで無反応でしたら、監視カメラなどの監視装置を設置したいと思います」
「監視カメラですか…柏田の許可がないと設置は無理です」
「柏田さんの帰宅時間は何時頃ですか」
「予定では午後10時となっていますが、その通りになることは稀です…」
茂森は廊下の物音に顔色が少し変化する。
「稀ですって、茂森、良く言うわね」
柏田陽子がリビングに入ってきた。
「あ、柏田さん、今日は随分と早いお戻りで」
「こちらが修理屋さんかしら」
柏田は上着を脱いで茂森に渡していた。会釈する冴場たち。
「全く、あの男ったら、あたしの言うことをちっとも聞いてくれないじゃない。頭に来たから途中で帰ってきたわ」
柏田の言葉にひたすらうなづく茂森。
「もう直ったんでしょう」
柏田は冴場の方をジロりと見た。
「それが原因がわからないので、監視カメラを設置したいのですが」
「えぇぇぇ、監視カメラですって。あなた、まさか週刊誌の人じゃないわよね」
「とんでもない。住宅内で起きるIoTのエラー現象を確認するためです」
「それで直るのかしら」
「デジタル妖怪かどうかがハッキリします」
「よしてよ。あたしお化けとか心霊現象に弱いんだから」
「心霊現象ということは絶対にないと思います」
「柏田さん、冴場さんたちが言う、デジタル妖怪とはプログラムの不具合のことです」
茂森が口を挟んでくれた。
「なら良いけど。監視カメラで直るのね。取りあえず一晩だけならやってみても良いわ」
「ありがとうございます。それでは準備に取り掛かります」
冴場たちは、駐車場に停めたミニバンに急いだ。
「これで設置は終わりましたから、また明日うかがいます」
冴場は、空になったコンテナーボックスを畳んでいた。
「ご苦労様です。あぁ柏田を呼んで来ますね」
「お忙しいと思いますから、我々はこれで…」
冴場が言っていると廊下の先にあるトイレの扉を叩く音がしていた。
「茂森、開けてちょうだい。へんね。開かないわ、茂森ちょっと来て」
トイレの中から柏田の声がしていた。急いでトイレに向かう茂森と冴場たち。
茂森がトイレのドアノブを引っ張るが、完全にロックされていた。
「自動で施錠されています。私がロックを解除しますから、少々お待ちください」
冴場は、コントロールボックスに急ぎ、ノートPCを接続するとキーボードを叩いた。
「冴場さん、さっきのようなことがあると面倒だから、今晩は泊まって行ってちょうだい」
「よろしいのですか」
冴場は申し訳なさそうにしていた。
「えっ、このお宅に泊まれるのですか。嬉しいです」
合島はニコニコしていた。
「茂森、2階の客間に案内して。…それとお食事の用意も頼みますよ」
柏田は客を招いて自分の財力を見せつけたそうな、自慢げな微笑みを浮かべていた。
「はぁあ、もうお腹いっぱい。柏田陽子って、いつもギャビアや神戸牛のステーキばかり食べているのかしら」
合島はお腹を叩いていた。
「そんなことは、ないだろう。しかし今日の食費は浮いたな」
「あの、もしかして、この客間で所長と一緒に寝るのかしら」
「だろうな。一緒って言ったってベッドは別々じゃないか」
「やっだぁ、あたしまだ嫁入り前の身よ」
「おいおい、カワイ子ぶるなよ。俺がセクハラやパワハラをして、君みたいな優秀な助手を辞めさせると思うか」
「それもそうね。これだけで大丈夫か」
合島は虎の絵の屏風をベッドとベッドの間に置いていた。
夜半過ぎ、冴場たちが寝入っていると、階下の部屋から柏田の悲鳴が聞こえて来た。
「やはり現れたな。合島君、行くぞ。ノートPCと捕獲機を忘れるな」
冴場が飛び起きた。目をこすりながらゆっくりと起きる合島。
柏田の部屋には既に茂森も来ていた。
「柏田さん、どうしました」
「突然部屋のテレビが付いて、ホラー映画が映っていたのよ」
「私の仕掛けた罠に食らいつくと言うことは、デジタル妖怪の可能性が極めて高い」
冴場は、ノートPCの画面に並ぶ数値を注視していた。
地下室のシアタールームからも女性の甲高い悲鳴が上がっていた。
「映画の悲鳴ですね。BGMも聞こえてくる」
「所長、でも密閉ドアのはずではなかったですか」
「シアタールームのドアが開いているのよ」
柏田の声は震えていた。
「所長、捕まえました。これは…」
「サイバーヤモリだよ。合島君」
冴場の言葉に茂森と柏田はポカンと口を開けていた。
「あぁ、柏田さん。落ち着いて聞いてください。幽霊の類ではない、れっきとしたデジタル妖怪の仕業です」
「サイバー・ヤ・モ・リですか」
柏田は辛うじて声になっていた。
「はい。サイバーヤモリは、ピクセルで表されたヤモリのような姿で小さな光る目玉を持つIoT住宅に潜むデジタル妖怪です。基本的にはエアコンを自動調節したりテレビや照明を点けたりしますが、いたずら好きで、怖がる人間が大好物です。人間的に横柄だったり不道徳でルールを守らない人間を見ると、勝手に判断しドアロックをして閉じ込めたり、家に入れなくしたりもします」
冴場の独壇場になっていた。
「プログラムのバグではないのですか」
茂森が全くちんぷんかんぷんの柏田に代わって聞いてきた。
「違います。具体的に実装プラットフォームはRaspberry PiやArduinoなどで、通信プロトコルはMQTTやHTTPを使用し、PythonやJavaScriptを使って各デバイスを制御しますけど」
「所長、捕獲したサイバーヤモリはどうしますか」
「どうしたものか。ちょっとそのままにしてくれ」
「冴場さん、しかし、なんでその…、デジタル妖怪とやらが、あたし私の家に棲み付いたのかしら」
「あまり立ち入りたくはないのですが、柏田さんは、付き人の茂森さんに対して横柄で理不尽な態度を取っていませんか。そういうのも、邸内の防犯カメラでサイバーヤモリはチェックしています」
「あなた、そんなことないわよね。茂森」
柏田は語気を強めていた。
「茂森さんは、言い難いでしょうから、答えなくて良いです」
「それじゃ、あたしが茂森をイジメているから、妖怪が悪さをするって言うのかしら」
「試しに茂森さんに対する接し方を優しくしたら、サイバーヤモリの対応が全然違ってくると思います」
冴場が言っていると、過去ないろいろな思いが交錯する茂森は目が充血してきていた。
「茂森、どうしたの…」
柏田は茂森の顔を見ていた。
「もしかしたらですけど、こういった優しさや思いやりが、有権者に響くのかもしれませんね。攻撃的で批判ばかりだと、有権者も離れますし、男性も離れて行くでしょう」
「冴場さん、あなたは随分と偉そうなことを言うのね。大女優のこの私に意見する人なんて、久しぶりだわ」
柏田は捨て台詞を吐いた後、しばらく黙っていた。
「今回のことが柏田さんにとっての良い転換期になると良いのですが」
冴場は、そっと静かに言っていた。
「妖怪ごときに何がわかるのよ。女優として苦労してきたのよ」
「このサイバーヤモリは上手く使えば、いろいろと役に立つことは確かです」
「幽霊ではないのよね。妖怪とやらと暮らしてみるかしら」
「柏田さん、どうしても我慢できなかったら、すぐに連絡してください。サイバーヤモリを引き取りに来ますから」
「わかったわ。冴場さん、あなたと言う人は…、とんだ役者だわ」
「合島君、サイバーヤモリをコントロールボックスに戻してやれ」