第四話 電子書籍
●4.電子書籍
冴場は学食の配膳口で注文したカツカレーを受け取っていた。周りを見ると、まだ学生たちは講義中だったので、席はガラガラであった。
「所長、こっち、こっちです」
一足早くトレーを持って席についていた合島が手招きをしていた。冴場はすぐ目の前の席に座りかけていたが、立ち上がり合島の隣の席に向かった。
「やっぱり学食は安いな。これからも、ちょくちょく来てみるか」
冴場はカツを頬張っていた。
「安いけど、味が薄い気もしますけど」
合島は麻婆豆腐定食を食べていた。
「それは合島君の舌が辛さに麻痺しているからだと思う」
「そうですか。所長のカレーはどうなんですか」
「まぁまぁって所だ。しかし図書館司書の話によると電子書籍のデータが改ざんされているというから、たぶんウィルスではないだろうな」
「またしても、あたしたちの裏稼業の出番ですね」
「おいおい、裏稼業は良してくれよ」
図書館司書室の書庫には紙の書籍もあり、紙独特の臭いが漂っていた。
「これが学生の卒業論文ですが…」
図書館司書の木島が備え付けのビュアーモニターに卒論を呼び出していた。
「合島君、ちょっと読み上げてくれ」
「えっ、あたしがですか」
「君は声が良いからな。美声を聞かせてくれ」
「はい。えぇぇ、電磁性体で表面が覆われた球体をワープ球と称し、これを9つ配列することで、相対性理論に縛られず光速を越える移動速度が獲得できる。この実験では各瞬間は停止している状態ではあるが、観測者から見れば光速の2倍の速度になることが実証された」
「木島さん、これはワープ航法論文のようですが、実際にこのような実験はしたのですか」
「いいえ。不可能ですし、できたらノーベル賞ものです。ですから本人は全然書いていないのに、いつの間に改ざんされていたのです」
「卒論はデジタルで保管されていたんですよね」
「はい。今時、紙で保管ということはあり得ませんから」
「なるほど」
冴場は考えがまとまってきた。
「この不正アクセスのウィルスなどは、なんとなりませんか」
「木島さん、我々に任せてください。今晩中にはなんとかします。翌朝からは正常になります」
冴場が言うと、合島は嫌そうな顔をしていた。
「所長、徹夜の作業ですか」
合島が小声で言ってきた。
「デジタル図書魔を捕まえたら、特別ボーナスを弾むからな」
冴場も小声で返してきた。
「所長、デジタル図書魔は現れそうにありませんね」
合島は閲覧室の時計が午前0時を指すのを見ていた。閲覧室のデスクには、ノートパソコンやデジタル妖怪探索装置、妖怪捕獲機などが置かれていた。
「合島君、お腹が減ってきたな。夜食でも買ってきてくれ」
冴場は、ノートパソコンの監視画面から目は離さないでいた。
「構内の売店はもう閉まってますから、大学の近くのコンビニまで行かないと、何も買えませんけど」
「ということは、行きたくないということだな」
「その通り。さすが所長。あたしと所長はグッドバディってという関係ですね」
「どうでも良いが。合島君はお腹が空かないのか」
「このチョコバーがありますから」
「き、君、そんなもの隠し持っていたのか。俺にも分けてくれ」
「いくら所長でも、これはダメです」
「いいから。よこせ」
「あら、靴音がしませんか」
合島は、ちょっと怯え、所長に抱きつきそうになっていたが、我に返って抑えていた。
「デジタル妖怪は、リアルな現場に現れないからな…」
冴場が腕組をしていると、閲覧室のドアが開いた。
「あのぉ、東都大学デジタル妖怪研究会の者ですが、デジタル妖怪師匠ですか」
男女2人の学生が入ってきた。
「いかにも。私のことをデジタル妖怪師匠のハンドルネームで呼ぶと言うことは、チャネル登録者だな」
「お疲れ様です。師匠たちがうちの大学に来ていることを図書館司書から聞いたもので、お夜食の挿し入れに来ました」
学生たちはスナック菓子やらペットボトルの入ったレジ袋を手渡してきた。
「そうか。ありがたい」
「グッドタイミングね」
「そうか。3年と1年で君たちは兄妹か」
冴場は、ポテトチップを口に入れていた。合島はティッシュを使って、手に油分が付かないように食べていた。
「あぁ申し遅れました。私は三条康太です」
「私は三条美麻です」
「それではせっかくの機会だから、デジタル図書魔について簡単に説明しよう」
「師匠の講義を直に聞けるなんて光栄です」
学生たちの目は輝いていた。
「今回捕まえようとしているのデジタル図書魔は、書籍のデジタルデータ化によって生まれた存在で、無数の文字やコードが集まって形成された半透明の姿をしている。その体は時折、異なるフォントやエラーコードのような形にも変化する。データ吸収力に長け、電子書籍やデジタルデータに触れることで、その内容を瞬時に吸収する能力を持ち、一度吸収したデータを自由に改変し、他人に読ませることができる」
冴場はイキイキとしていた。
「移動はインターネットやネットワークを通じて、デジタルデバイス間を自由に移動することができるんですよね」
女学生の美麻が言ってきた。
「他のデジタル妖怪と同様だ。弱点としては、強力なセキュリティソフトやファイアウォールには封じ込めることができる」
「師匠、これのルーツというか、歴史的な背景はなんですか」
男子学生の康太が言ってきた。
「デジタル図書魔は、書籍の妖怪にルーツがあるが、デジタル書籍の普及に伴い、古い書物や未完成のプログラムコードが集まり、意識を持った存在とされる。初めて目撃されたのは、ある図書館の電子書籍サーバーで、そのサーバーに保存されていた書籍が次々と改変されるという事件が発端であった。対策としては、最新のセキュリティソフトを導入し、定期的にシステムをチェックすることが推奨される。また、重要なデータは必ずバックアップを取り、アナログ媒体での保存も検討すべきである」
「所長、図書魔の尻尾を捕まえました」
合島の声に一同緊張が走った。
ノートパソコンから警告音が鳴り出した。
「合島君、シーケンス・オメガで、まずおびき出してくれ」
「了解」
「あぁぁ、ダメか」
「ならばシーケンス・デルタ…で行くか」
冴場は言い淀んでいた。
「師匠、もしかするとシーケンス。ガンマでどうでしょうか」
三条康太は恐る恐る言ってきた。
「ガンマでは弱すぎるが、バージョンアップしたガンマ5なら、行けるかもしれんぞ」
冴場は康太の肩を軽く叩いていた。
「所長、ガンマ5を実行しました」
合島の声の後はしばらくその場は静まり返った。
数十秒後、警告音が止まり、ノートパソコンの画面上に『捕獲』の文字が反転し、捕獲機のLEDが緑色になった。
「一丁上がりだ」
冴場が捕獲機のインジケーターを見ると、メモリー数が格段に増えていた。冴場、合島、三条兄妹はハイタッチし握手をし合っていた。