劇場
「ヨアキム様。どうぞこちらへ」
クサリに案内され、部屋の反対側へと移動する。
そちら側の壁もまた、窓にかけられてたのと同じ柄の、重たそうなカーテンに覆われていた。でも違和感と共に、それが間違いだと分かった。
壁など無かった。
手すりがあった。
胸よりちょっと低いくらいの高さの手すりだ。壁に付けられてるのでなく、床から生えた支柱で持ち上げられている。そしてカーテンの皺が、その向こうに何も無いことを教えてくれていた。
シンダリが、片手を上げる。
カーテンが、左右に開き始める。
徐々に覗き始める景色は、まるで蝋燭の炎の中に入ってしまったかのような明るさに満たされていた。
そこは、劇場だった。
ただ、これまで僕が貴族として歌劇を観に行ったような劇場と比べると、一回り小さい。そして冒険者として観に行った街の芝居小屋よりは、ずっと大きかった。
席数は、芝居小屋と同じ程度。舞台の大きさは、劇場と変わらない。ただ違うのは、劇場には必ずある楽団の入るピットが無いことだった。その代わりというわけでもないのだろうが、太鼓を四角い箱に収めたような器具が客席の前後に置かれ、壁や天井から吊るされている。
さっきまで部屋だと思ってたのは――いま僕がいるのは、劇場を見下ろす桟敷席だったのだ。しかし、桟敷席なら椅子やテーブルが見当たらないのはおかしい。そんな疑問に応えるかのように、シンダリが言った。
「ここには、客を入れません。関係者の作業場所です――客席に移りましょう」
そう促され、下の階に降りる。
ホールに出ると、20数人といったところか、人影が見えた。不思議なくらい、誰もが無言だ。だけど、空気はざわめいている。
全員が10代後半と思しき少女たちで、みな同じ衣装に身を包んでいた。魔道具街でチラシを配ってたメイドさんたちと同じ様で、でもずっと金と手間がかかってるのが見ただけで分かった――衣装にも、それを着る彼女たちにも。
きっと彼女たちが、あの舞台に上がる演者なのだろう。
「「「「「おひゃやらっしゃっしゃーーーーっすっっっ!!!」」」」」」
少女たちが、こっちを見て声をあげる。何を言ってるかは分からないが、挨拶なのは間違いない。全員、頭を膝より下まで下げて、逆さに垂れた髪が靴に着きそうなくらいになっていた。
「ああ……おはよう」
「おはよう」
シンダリとクサリが、それに返すと。
「べらららりりっりりっりりりりっ!! しぇししぇいえいええええららったっぱたたたたたっちべらるるっっっっ!!!!」
再び少女たちから、声がした。
頭は下げたまま、でも今度は一人から。
先頭にいる、燃えるような赤い髪の少女だ。
「うん……うん。うんうん」
シンダリが頷いている。僕には意味不明な言葉だが、シンダリが理解できるのは当然なのだろう。本当は理解できてないのかもしれないけど、それでも問題はないに違いない。
たとえ少女の言いたいことが伝わってなくて、それでトラブルが発生したとしても、シンダリの責任にはならない。シンダリと少女の間からは、僕には見慣れた、そういう類の力関係が伺えた。
「いびびびびびいっびぃっびぃいいいいいいいっっっ!!!!」
「「「「「びばはぁああああっっっっ!!!!」」」」」
号令で、少女たちが駆け去っていく。
僕たちが出てきたのとは、別の扉へ。
それから僕たちも、さっきとは別の扉をくぐった。
客席へ。
席に着き僕たち――というか僕が見せられたのは、公演のリハーサルだった。僕らのちょっと前に座ってる偉そうな男性の指示で、時折やり直しを挟みながら、何曲も続けて歌い踊る少女たち。
シンダリが言った。
「あの中で、誰が人気だと思いますか?」
驚くほどあっさりと、僕は答えていた。
「先頭の中央にいる赤い髪の娘と、それから――」
一人は、さっき先頭にいた娘だ。燃えるような赤い髪が印象的で、踊りも他の娘より迫力がある。踊りだした途端、手足が3割増くらいで長く見える感じだ。客席に向かって笑うたび、派手な顔立ちも相まって、強烈な何かが伝わってくるのが分かった。
そしてもう一人は、
「――それから、赤い髪の娘の斜め後ろにいる、髪の短い娘ですね」
「ほお」
促すような相槌に応え、僕は答えた。
「赤い髪の娘は、見れば分かる。他の誰よりも容姿に優れ、踊り――いや芸能の才に恵まれている。単純に、華があると言ってしまっていいでしょう。そしてもう一人の髪の短い娘。こちらは――そうですね。歌い踊りながら、非常に思いつめたような雰囲気をまとっている。例えばこれが剣闘士の賭け試合だったら、僕は、彼女みたいなタイプには賭けません。いつ気持ちが切れて自滅するか分かったものじゃない」
「では、何故に?」
「ここが、そういう場所ではないからです。彼女たちの踊りを見ていて思ったことですが、振り付けから、優雅さが伝わってこない。伝えようとしていないからです。彼女たちが伝えようとしているのは――振り付けの時点から伝えようと意図されているのは、懸命さ。いや、懸命に歌い踊る彼女たちそのものなのではないですか?」
「…………」
「となると、彼女の張り詰めた糸のような雰囲気は、決して欠点にならない。観客の目を集めずにはいないでしょう。彼女の一挙一投足が気になってしまって仕方がない。そして魅了される。いま、この次の瞬間に彼女がどうなってしまうのか? 観客は、息を呑んで見守ることでしょうね」
このやりとりが、どんな風に終わったかは憶えていない。
僕たちは、リハーサルの途中で客席を出た。
案内されたのは、劇場内の個室だ。
そこで僕とクサリは時間を潰し、夜の公演を観ることになった。
シンダリは仕事に戻り、時間が来たら迎えに来てくれるという。
というわけで、運ばれてきた軽食をつまみながら、僕はクサリからこの劇場についての話を聞いた。
その流れで、彼女はこう言ったのだった。
「シンダリは、ヨアキム様に感服した様子ですね。失礼でなければ『かなり気に入った様子』といってもいいでしょう」
何がどうしてそうなったのか、僕には分からなかった。




