シンダリという男
ちょっとだけ、時間を戻そう。
魔道具街へと降りる階段を降りながら、僕が目を奪われてたのは、チラシを配る彼女たちだった。
彼女たち――メイドさんたち。
赤、黄、紫、ピンク。明らかに実用的でない装飾を過剰に施された、色鮮やかなメイド服。
しかし、通りでチラシを配るというのは、メイドの仕事に入るものなのだろうか? 実は彼女たちはメイドではなく、メイドを装って何かを伝えようとしているのではないかと、ふと、そんな考えがよぎった。
さて、その何かとは……
階段を降りると、屋根や壁が消えて、景色が一気に広がる。ここが魔道具街の入り口なのだろう。道とも広場ともつかない空間を、人々が行き交い、あるいは立ち止まって談笑したりしている。そして声をかけ、チラシを配るメイドさんたち。
そんな光景を見せられ、僕は、ちょっと惚けたようになっていた。
そんな時だった。
メイドさんの一人が、こっちを指さして言った。
「おおおおおお~~~~~~~っっっ!ク、クサリ様ではありませんか~~~~~っっっ!!!! こ、こ、これは凱旋ライブの予感んんんんっっっ!?」
横を見ると、いつの間にかクサリが上着のフードを被り、口もとをマスクで覆い、加えて真っ黒な色眼鏡で顔の肌色をほとんど見えなくさせていた。
それなのに――
「「「クサリ様だぁ~~~っっっ!!」」」
――メイドさんたちや、それだけでなく、陸橋や陸橋前の広場を歩いてる人たちまで、視線をこちらに向け徐々に円を形作りながら、じりじり近付いて来る。
僕もクサリも、魔道具で変装している。加えてクサリは、顔を完全に隠してさえいる。それなのに、誰もが彼女を認識し、興奮に目を血走らせていた。
何故に!?――何が何だか、全く理由が分からない。単純に、クサリが美少女だからなのかもしれないけど、いくらなんでもそこまで単純な話ではないだろうとも思う。でも理由が何であれ、事態は起こってしまっていた――ついに駆け出した、人の群れ。一瞬で縮まる円。
「ちぃっ!」
笑顔と同様、初めて見せる苛立ちの表情でクサリが取り出したのは『跳躍の輪』。
叩きつけるように地面に置くと、クサリは僕の足を取って、その中央に突っ込ませた。
足首、膝、太もも、腰。ずぶずぶと輪の中に沈んでいきながら、僕が最後に見たのは……
「後は……あの……男に………ににににっ!!」
……四方から伸びてくる手に捕らわれ、抗うことも出来ず、上気した人々の顔、顔、顔の中に飲み込まれてくクサリの姿だった。
そして、僕は転移する。
転移した先は、薄暗い部屋だった。
本来なら部屋を満たしてただろう陽の光が、重たげに垂れるカーテンに遮られている。
1メートルも、離れてなかっただろう。
男の、後ろ姿があった。
身長は、180センチ強。一般人としては長身で、同じくその背中の厚みと広がりからは、やはり一般人としては十分以上な鍛えを窺うことが出来た。
クサリの言った『あの男』とは、この男のことだろう。
つまり、この男が――僕は言った。
「私は、ヨアキム・ゴーマン。本日のところは冒険者の『ビーサン』を名乗っております」
言って、男が名乗り返すのを待った。
しかし、返事は無かった。
男は、少しだけ開けたカーテンの隙間から、窓の外を眺めている。
不思議とそれを、僕は無礼と感じなかった。
「…………」
男が、無言で窓の外を指差す。
こちらに来いということだろう。
男に近付いて、僕も窓の外を見た。
どうやらここは、魔道具街を見下ろす場所にあるらしかった。窓の下には大きな通りが広がり、それを挟んで、巨大な建物が建ち並んでいる。
比較すると、いま僕がいるのは、7,8階建ての建物の上の方らしかった。
そして通りが数百メートル続いた先に、馬車の停車場と、その上にかかる陸橋が見えた。
通りの人波は、停車場に向かうに連れ濃くなっている。さっき僕たちが陸橋を降りた辺りで最も濃くなり、塗りつぶされた黒っぽい色彩としか見えなくなっていた。
もちろん、その中央にいるのはクサリなのだろう。
人波がもやりと動くたび、彼女の呻き声が聞こえてくるようだった。
男が呟いた。
「クサリ様……ああ、なんと尊い」
その声に。
うっとりと頬を赤らめたその表情に、僕は確信した。
この男が、シンダリに違いないと。
●
と、そんなひどい状況だったのだが、実は、そんなに心配はしていなかった。
心の何処かで、理解していた。クサリについて、あれは師匠やセリアや母さんと、同類の存在なのだと。
実際、クサリが転移してくるまで、それから2分もかからなかった。
「はぁああ~。しんどい……しんどい」
『跳躍の輪』から姿を現しながら嘆息する彼女の上着には、赤茶色の染みと白っぽい何かの欠片みたいなものがいくつも貼り付いていた。
魔術師として鍛えられた僕の観察眼が、望んでもいないのにその正体を教えてくれる。血と、剥がれた爪だった。もちろん、クサリのものではない。
クサリの紹介から、改めて名乗り合うことになった。
「彼がシンダリです。こちらが、ヨアキム・ゴーマン様。私が、大変お世話になってるお家のご子息です」
「シンダリ・シーナナカッタリです。この街では、ア=ケカスと名乗っております」
「ヨアキム・ゴーマンです。この旅では、冒険者のビーサンを名乗っています」
さっきのやり取りは、自然と無かったことになっていた。暗黙の了解だ。想像できる気がした。クサリがこの街を訪れると聞いて、シンダリは、ずっと窓から街を眺めていたのだ。
そして、人々にもみくちゃにされるクサリを見つけた。その瞬間からだったに違いない。彼の中で、何もかもが平等となったのだ。クサリ以外の何もかもが、同じく平等に低い位置へと、その価値を押し下げられたのだ。
クサリの、あまりの尊さ故に。
クサリが100だとしたら、人間一人一人の地位や能力の違いなど、0から1の間で存在する誤差に等しくなってしまうほどに。
だから、挨拶を返すかどうかなど、それによって何か問題が起ころうかなど、彼にはどうでも良いことだったのだ。
それほどに、シンダリは、クサリを崇拝している。
そんな話を、事前に聞いたりしていたわけではない。あくまで僕の推測、いや想像の域すら出ていない。だけど――『『スネイル』の金の流れを掌握し、陰からその経済活動を操作していた人物』――そんな怪人のイメージとして偏執的な人格を想像するのは、とても容易く安易で、逆らい難いのだった。




