それぞれの時間
そうこうしてるうちに、モッド将軍も帰り――
「なんとか思い留まらせたぞ……『カツラを取ったらモッド将軍』作戦だけはな」
そう言って、父さんが僕らのいる部屋に入ってきた。空いてる椅子はあるのに座ろうとしない。そもそも父さんは当主なのだから、自らこっちに来るのでなく、僕らを自分のいる居間へ呼べばよかったのだ。でもそうしなかった理由も、なんとなく分かる気がした。苦心してるのだろう。親友の奇怪な計画を聞かされた、その直後の微妙な気分から抜け出せずにいるに違いない。
そんな僕の考えを読み取ったかのように、師匠が頷く。
そして、言った。
「いま話しあってたところなんだがね。方針としては『ダラダラ時間を引き伸ばして、モッドがモエラに飽きるのを待つ』という線で行くことになった」
「ああ。それしか無いだろうな」と父さん。
「|『カツラを取ったらモッド将軍』作戦を阻止してもらえたのは、有り難いよ。カツラでモエラに会った後では、モッドも引っ込みがつき難いだろうからね。我々の方針も、支障を来すところだった――ありがとう。流石だよ、君は」
「そうだ、な……」
父さんが言葉をつまらせた。師匠の上から目線な物言いに鼻白んだのかと思ったら、違った。驚かざるを得なかった。父さんの目に、みるみる涙が盛り上がっていったのだ。
「済まない……先に休む」
父さんが部屋を出て、母さんも苦笑しながら後を追って出ていった。
残された僕たちは、顔を見合わせる。
セリアが言った。
「嬉しかったんだよ……褒められたから。マニエラ、彼を褒めたことって無かったじゃない」
「そんなことは無いさ。彼のことは初めて会った時から認めてたし、ちゃんと言葉にして言ってただろ?」
「彼がいない場所ではね。でも、直接褒めてあげたことって無かったでしょ? いつも、彼のこと叱ってばかりだったじゃない」
師匠が言った。
「……そうだな。少なくとも、私たちが彼と冒険してた頃は、そうだった。それから後は――褒めも、叱りもしていなかった」
そういえば、師匠が屋敷の裏に住むようになって随分経つのに、師匠が父さんと話してるところどころか、一緒にいる場面すら見たことが無かった。屋敷を馬車で出ていく父さんとすれ違ったことはあったけど、僕の傍らにいる師匠を、父さんは一瞥もしようとしなかったし、師匠もそうだった。
セリアと師匠が、父さんに失恋してから20年。
つまり彼女たちと父さんが共に冒険していた頃から、それだけの時間が経ったということでもある。
セリアはエルフ、師匠はダークエルフ。
二人とも、長命の種族だ。
同じ20年でも、その長さの感じ方は、人間である父さんとは全然異なってるに違いない。
それでも、ずっと以前に行われるべきだったことや、伝えられるべき言葉が、いま行われ伝えられた。
そのことに、変わりは無いはずだった。
●
家令に案内され、食堂で夕食を取り、僕たちは師匠の小屋に戻った。夕食は僕たちだけだったし、小屋に父さんや母さんが声をかけてくることも無かった。
大きなベッドで、4人で寝た。
4人では何もしなかった。目が覚めた。カーテン越しの夜空は、夜明け近い。隣で、モエラが僕を見てた。ベッドには、僕とモエラだけだった。師匠とセリアは、どこかに出ていったのだそうだ。
モエラも、僕と同じで人間だ。
師匠たちとモエラに違いがあるとしたら、そこなんだろう。師匠もセリアもモエラも、違いなんていくらでもある。でも、師匠たちとモエラを分ける何かがあるとしたら、そこなんじゃないかって思えた。
僕とモエラには、同じ感覚の時間が流れている。
そう思った途端、モエラのことが愛おしくて、僕が彼女のことを守らなくてはならない、そんな気持ちが湧き上がってきた。ずっと埋まってたものが、掘り起こされて、外気に晒されたような。なんだか胸の奥が痛くて、切なくなるような気持ちだ。
モエラは、薄い笑みを浮かべて僕を見てる。
彼女に重なりながら、愛してるとか、色々言ったと思う。彼女も、同じように色々言った。でも僕より、モエラはなんだか余裕があるみたいだった。
とにかく、こうして僕とモエラは結ばれた。
モエラの身体は、柔らかくてすべすべしてて、気持ちよかった。
行為が終わる頃には、外は、もう明るくなってた。
●
ちょっと、心配していたのだけど……
師匠たちに、昨夜のモエラとのことを冷やかされたりすることは無かった。師匠もセリアも、行為の後でうとうとした僕が、目を覚ましたら、もう部屋に戻って着替えを始めていた。モエラも、一緒に着替えていた。
着替えを終えた3人に、順番にキスをして、それから彼女たちに見られながら、僕も着替えた。
朝食は、父さんたちと一緒だった。
ニマニマとした顔で僕らを見る母さんが、師匠と視線を合わせては「なによ」「なんだよ」なんてふざけて言い合ったり。
そんなのを横目で見ながら、父さんが言った。
「今後のことについて、話がある。私が出かける前に済ませたい――朝食の後で、居間に集まってくれ」
確かに、まだまだ打ち合わせが必要だ。
僕とモエラが結婚することで、国として進めていた『モッド将軍の息子とセシリア姫を結婚させる』という計画は意味を成さなくなってしまった。宰相派と将軍派の緊張を考えると、今後僕たちがどう動くかについて、十分に考えておかなければならないだろう。
僕たちが、腰を上げたそのときだった。
食堂から見える、庭が光った。
と、同時に宙に穴が開く。
空ではない。
庭の真ん中の、塀より数倍高いくらいの宙だ。
その穴から、するすると何かが降りてきた。
人だった。背は低い。灰色の、汚れた布を雨合羽みたいに被り、足には遠目にも分かるほど汚れた、ごついブーツ。
それが、庭に降りた瞬間に一変する。
肩の高さで切りそろえた金色の髪に、黒いドレス。
年齢は、10歳くらい。
その美しい少女――
いや、幼女を僕は知っていた。
クサリ。
『スネイル』乗っ取りの際に協力してくれた、僕の妹の親友だった。




