87 それは、降って湧いた凪の日々
新章です。サブタイトルをつけるようにしてみました。
「………………。」
傭兵宿舎の一室にて。
抜け殻のように布団にくるまりながら倒れ伏しているセツナの姿があった。
その顔には覇気がまるでなく、糸の切れた人形か何かのようにベッドに放り出された彼女の姿は、まさに魂の抜け殻といっていいほどの有様である。
こうなった理由は一つ。ギルドマスターからの要請だ。
セツナが退院してギルドに報告に赴いた際、個室に呼び出されたセツナは、職員から書状を受け取った。
内容は、帝国訪問が終わるまでの、危険領域への侵入許可停止という通知と、ギルドマスターからの要請である。
曰く、どうやら帝国にセツナが重傷を伴って帰還したことがバレたらしく、そのことについてギルドに問い合わせがあったようだ。
真偽はともあれ、帝室の名義で送られてきた、帝国への招待状に是と返したセツナたちには、帝国への訪問にもはや強制力さえ生じている、と言える。また下手に冒険をして、怪我でも負って帝国へ赴けなくなるようなことは控えるように……という明確な意図の込められた通知であった。
筋は通っている。確かに、すでに重要な外交カードの一つになっているであろう自分の身に危険がないようにするというのは、ギルドとしては正しい判断だ。なお、同じ通達をアルテミシアも受けている。
この通達を受けて、さらにテンションが下がったセツナは、その日一日、不貞寝した。
ただでさえ、入院中は精神的に気分がよくなかったのだが、それからやっと解放されたと思ったこれなのだから。
日ごろの鍛錬は欠かしていない。しかし、今日は日課ともいえる必要最低限程度のことしか身が入らず。
以降は、本格的に寝床に突っ伏しているだけであった。
こんな日は何時ぶりだろうか……などと考えを巡らせて、思考が霧散する。
入院していた時は、何もできないのが苦痛だったが、今は逆に虚無感が強く、セツナの気を滅入らせていた。
帝国訪問の日まで……つまり、後、約4か月ほど暇である。ハードな仕事は受けられない。セツナに無理をさせないという大義名分があるからか、『狼』のようなこちらに悟らせないような監視ではなく、監視だとばれてもいい人物が今はセツナに配されているらしい。その証拠に、外に出ると監視らしき人物の視線も感じる。負荷の強い鍛錬も行えないだろう。
唐突に突き付けられた平穏の日々。
常に刺激のある日々を過ごしてきた彼女にとって、このような日々に何をすればいいかなど、想像もつかなかった。
「戻ったぞ………これはまた、随分と気が抜けているな。」
「アル………おかえり……なさい……」
「みゅ~~!!」
「ただいま、だ。全く、普段のお前からは想像もつかないな。……それがお前の素というわけか?」
「こんなのは、初めてです………」
「そうなのか。まぁいい。とりあえず、食事を持ってきたぞ。」
「あぅ………」
すでに半日ずっとそうして転がっていたセツナは、漂ってきたおいしそうなにおいに、自分が昼食を抜いていたことを思い出した。ふと顔を上げると、アルテミシアは配膳用の台車を借りて部屋に入ってきており、そこにはやはり、大量の料理が乗せられていた。
そもそも入院期間中はロクな食事がとれなかった。ランクの上がった肉体は、たとえ何もしていなくともそれなりのエネルギーを要求してくる。最低限の栄養は取っていたとはいえ、未だ育ち盛りの彼女の身体は、より多くの熱量を求めていた。
人知を超えた力を引き出す彼らの肉体を根底から支えるのは、やはり食事である。
空腹であることを思い出したセツナの身体は、半ば本能的に這いずるようにして動きはじめた。
椅子に座るまでおよそ3分。珍しい芋虫が部屋の中をはい回って食事をとる姿勢に着くまでの光景は、アルテミシアには新鮮だったらしく、口元に笑みが浮かんでいた。そんな彼女の姿を茶化すことなく、ほほえましいものを見るような眼で眺めている。なお、メイはそんなセツナの頭の上で飛び跳ねたりなどして遊んでいる。入院して以来、大量の魔力を獲得したメイは、最近元気いっぱいなのだ。
「……いただき……ます。」
「うむ。ゆっくり味わってくれ。……いただきます。」
「……おいひい……いつも、アルのごはんは、おいしいですね……もぐ……」
もぐもぐ。セツナの表情からは覇気が抜けたままだ。
しかし、箸を動かすスピードは変わらないのか、彼女の雰囲気からは考えられない速度で食事は減っていく。アルテミシアも、彼女に食欲があることを確認すると、自分も食事をしながら次々と皿を下げて新たな皿を食卓に並べていく。
もともと、退院祝いとしてアルテミシアは献立を考えており、気の抜けたセツナが少しでも元気になれるように、共用キッチンで腕を振るったのだ。
アルテミシアの調理術は、調味料に乏しい地域ならではの工夫と発想から編み出されたもので、ロクな設備もない中でも士気が維持できるような食を提供できる技術だ。
つまり、そんな彼女が比較的まともな設備のある街中で、比較的まともな食材の手に入る環境で腕を振るったのなら……当然、良いものが出来上がるわけで。
「「……ごちそうさまでした。」」
気が付けば、20皿はあった山盛りの食事が、二人(と一匹)の胃袋の中にきれいに収まっていた。
気が滅入っていたセツナの顔には若干の生気が戻り、食事の初めの方は曲がっていた背筋も、今はピンと伸びている。かわりに、メイはすやすやと彼女の膝の上でお休み中だ。
「元気はでたか?」
「少し、マシになりました。……心配をかけて申し訳ありません、アル。」
「気にするな。……しかし、よいものにあふれているのだな、セントラルは。あの量の食材や調味料を使いこなせる気は、到底しない。」
「逆に使いこなせるなら、アルは央都一の料理人になれますよ。……その道を選ぶなら、食材の調達は私がやります。」
「それは頼もしいな。さて、片づけてくるか。」
「私も一緒しますよ。それくらいはさせてください。」
「助かる。」
膝の上で眠っていたメイをベッドの上において布団をかけたセツナは、残った大量の食器を台車に乗せて、そのまま運んでいく。
ここ、傭兵宿舎では食堂も据え付けられているが、共用キッチンもある。しかし、宿泊施設であってもホテルではない。自分たちで使った食器などは自分たちで片付けねばならない。もっとも、魔術に頼れば一瞬で終わる作業ではあるが。
食器洗浄用の魔術刻印の上に一枚皿を乗せ、刻印に魔力を流し込めば、すぐさま汚れが除去されて……厳密にいえば、汚れが浮いて刻印多くに据え付けられている換気口のようなダクトの先に飛んでいく。このダクトの先は廃棄物の集積場となっており、これはこれで利用される。ただ、何に利用されるかは聞かない方が精神衛生上良いとされており、師匠からそう教わったセツナも深く追求しないことにしたのだ。
汚れの取れた食器はそのまま戸棚に戻してしまう。除菌まで済んでいる他、どうせ使うときも気になるなら同様にこの魔術刻印を使用できる。こういった生活面における刻印魔術の利用が可能なのは、魔術師たちの不断の努力の結晶と、ギルドの資金力のおかげである。
そんな風に食器を洗浄しているひと時のこと。別に急ぐわけでもないのでのんびりと二人で作業をしていた折に、不意にアルテミシアが切り出した。
「そういえば、これからどうするのだ?」
「ああ~……この際、いろいろやりたいことはあるんですけどね。どれも止められてしまいそうで。」
4か月というのは長い。アルテミシアはまだ里を出てすぐの若輩であるため、世間を知るべく、日常的な……いわゆる日雇いの依頼を数多く受けてみたいと、セツナには事前に告げており、事実今日も仕事に行ってきたばかりである。
良い経験になるだろうし、そもそもアルテミシアは実力は置いておいて、傭兵としてはまだ駆け出しもいいところだ。駆け出し時代の傭兵は今日のアルテミシアのような経験を積むものだ。その経験がないまま先へ進むのもどうかと思っていたのでセツナとしても止める理由はなく、むしろ推奨していたのである。
が、セツナ当人は実のところそのような依頼にはあまり興味はない。アルテミシアとともにセントラル依頼巡りをするのも悪くはないのだが、経験者のセツナが居てはアルテミシアの経験の邪魔になりそうなのだ。
とはいえ、セツナのやりたいこと、というのは大半が修練の類である。だが、行き過ぎた修行をすると今度こそギルドから大目玉を食らうことになるだろう。そして、その「行き過ぎた修行」の判断基準がセツナ自身にないことも問題である。自分自身については軽んじるきらいがあることをセツナは自覚している。多分自分にとっては何でもないことでも、他者から見れば自殺行為に言えることもあるだろう。ただそれを抑えながらやる修練というのは、時間の無駄な気がするのも事実である。
う~ん……と悩むセツナ。帝国に赴くまでにやっておきたいこと、やりたいこと……を頭の中に思い浮かべては、どれも納得がいかずに消していくのを繰り返す。
「まぁ、時間はあるのだし、考えることに時間を使うのも悪くないんじゃないか?」
「そうですねぇ……」
食器と台車を片付けて部屋に戻るところまで、セツナは悩むようなそぶりを見せる。そんな姿をアルテミシアはほほえましいものを見るような眼で眺めていた。
セツナの意外な一面。彼女は割と頭が回る方である。戦闘中も悩むそぶりは見せず、大胆な判断を下すことが多い。そのため、思い切りがいい性格なのだとも思っていたのだが、どうやら穏やかな日常においては、そうではないのかもしれない。
共に行動を始めて二か月近くになるが、セツナのこんな姿を見るのは初めてなのであった。
「ん。」
「どうした?」
部屋に戻ろうとして、セツナは不意に、廊下の先の光景が目に留まった。
大量の本を抱えた、魔術使いだ。
宿舎ではよく見かける光景である。魔術使いはどこにでもいる。ほぼ原則として魔術師は魔術師ギルドに在籍しているが、傭兵ギルドに加入している者も多い。
傭兵宿舎の利用料は与えられる部屋の質にさえ目をつぶれば安い。破格といってもいい利用料の部屋がいくらでもある。依頼さえこなしていれば。
駆け出しの魔術師たちは、魔術師の登竜門である『アカデミー』への入学を目指して、依頼をこなしては生活費を削りながら大量の魔術書や参考書を買い、一部の者は私塾に通うなどして勉学に励む。
アカデミーを卒業できれば、晴れて一流の魔術師である。アカデミー卒業生を意味する銀烏の証は一種のステータスだ。これがあるのとないのとでは、魔術師としての扱いが根本的に変わってくる。
いい例がユリオットだろう。彼女はアカデミーを卒業しておらず(というより存在をしらない)、今でも彼女はブロンズランクの傭兵である。これでは、どれ程優れた術を持っていても、端から見れば軽視されても仕方がない。彼女が魔術師ではなく、ポーターとして前のパーティーに雇われていた要因の一つがそれである。
逆に、銀烏証さえ手に入れれば、アカデミーでそのまま研究を続けることもできるし、傭兵としての活動に戻るにしても、引く手数多だ。マジックアイテムを作成するなどで生計を立てるにしても、銀烏証があるのとないのでは、まるで商品価値が変わってくる。というより、一部の高度な魔術師系の免許取得の条件に銀烏証の所持が前提条件のものすらあるのだ。
魔術師を目指すうえでは、たどり着きたい一種の到達点。そこを目指すのに、彼らは日夜研鑽の日々を過ごしている。
「ああ、そうだ。……やりたいこと、決まりました。」
「ほう?」
セツナは明確に言語化はされていないものの、その駆け出し魔術師を見て、脳裏に多くの関連用語があふれ返った。そして、そのうちの一つと、セツナの今の悩み事がつながり、ひらめきに至る。
「私、ちょっと勉学に励もうかと思います。」
そうして得た結論。
剣を取れぬなら、筆を取る。セツナはすでに、その覇気を完全に取り戻していた。