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「ううぅ………また、霊体をやられてましたか………」
二度目となる、セントラル治療院への入院。
あの後、三人を抱えて共通キャンプへ帰投したアルテミシアは、その場で冒険者を雇って光鉱領域で倒した命名指定級やら通常種やらの素材を集めさせた。
その場で簡易契約を結んで報酬を支払っての依頼はうまくいったらしく、素材の状態はワードが付けた傷以外にはほとんどない状態だった。
その後、復帰したワードとユリオットと三人で、セツナと素材類を抱えて帰り……彼女は今、治療院へ叩き込まれているというわけだ。
前回ほどひどい状況ではないのだが、それでも彼女の魔力の経路が破損していた。霊体は最高級のポーションであれば直せるのだが、そんなものにいちいち頼っていては破産である。おとなしく入院した方が安上がりなので、数日セツナは動けなかった。
身体狂化の約4秒間の維持。彼女の肉体の限界値はおよそ1秒であり、繊細な器官……例えば眼球であればその程度で破裂する。
しかし、肉体で在れば話は別だ。彼女は操作に極めて慣れており、また霊体も比較的高密度の魔力行使に順応している。3秒までであれば、その後の反動はひどく、それ以上は使用できないまでも継続戦闘は可能である。
しかし、それ以上。3秒を過ぎれば戦闘復帰は絶望的……というのがセツナの自己分析であった。
「みゅ~~♪」
で、その限界を超えてしまった結果が、これである。
全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、その上で飛び跳ねるメイの図の完成だ。
霊体が傷ついたことで、魔力垂れ流しの状態になったので、メイはしばらくセツナの魔力が食べ放題となっているので、上機嫌である。
あの時、3秒間のマイナープレデター指定級の激突の後、ワードの一撃を影化で回避してきた場合の保険として、セツナは身体狂化を維持していた。
そうしなければアルテミシアが『一歩』を使うことになっていただろうが、彼女はあの場面においては最後まで温存するべき戦力であったためだ。もしもアルテミシアにとどめを刺させたのなら、あの後数秒は全員動けなくなっており、その隙を一般種のマイナープレデターに突かれる可能性が否定できなかった。
そこまで計算ずくの、狂化維持超過。そのツケがこれ。
入院費用まで考えて、安全がこの値段で買えるなら、儲けものだろう、とセツナは出費については考えないことにした。一応差し引きは黒字であるが、素材類や指定級討伐報奨金を考えない場合の、純粋な金銭の収支としてはセツナ個人のみマイナスである。冒険好きだが、傭兵としては金銭管理の重要性が骨身にしみている彼女は、入院期間の間はテンションが下がりっぱなしであった。
その後の顛末は以下のとおりである。
光鉱領域のマイナープレデター大量討伐と、指定級の討伐が確認されたと皮切りに、多くの傭兵が光鉱領域に詰めかけては、残党を一掃し、彼らの集落の跡地を発見したらしい。
ほとんどが撤退済みで、残党はほんのわずかしかいなかったが、光鉱領域が比較的安全になったということでしばらくは傭兵の入れ食い状態であるらしい。
そのメンツの中には、嬉々としてツルハシを振るうワードや、それに付き合わされたユリオットの姿もあったという。
集落の跡地には、行方不明となった傭兵たちの遺品があったようで。それらは丁寧に供養されたらしい。どうやら、ユリオットが直前に所属していたパーティーメンバーの遺品もあったらしく、彼女はそれを家族の元まで送り届け、深く頭を下げていた。
「……なるほど。そういうわけでしたか。」
その様子に、セツナは納得した。
ほんのわずかな違和感を抱いていたが、理由が分かったのだ。
”クエストカウンターで申請した前後から盗聴されていた”というアルテミシアの証言からである。
その話を聞くに、光鉱領域か、あるいはヴァイオライト鉱石になんらかの理由があって求めていたと推察していたのだが、どうやらそれは、直前で失ったパーティーメンバーの遺品だけでも取り戻したかったから、というのが本音だったようだ。
生き残ったということは逃げ帰ったということ。
すなわちは見捨てた、と彼女の中では思っていることだろう。
それが負い目であり、彼女はそれをどうにかしたくて行動に移したのだ。
前のパーティメンバーからはロクな扱いを受けていなかったということらしいが、律儀なことである。彼女の性格の良さがにじみ出ているようだ、と、セツナはそう思った。
この辺りの事情については、触れないつもりでいる。もとより、他者の事情に深く踏み入ることを、セツナはあまり良しとしない。不自然な点については気になることもあるので、こうして探ることもあるが……それがセツナにとって害でないのなら、求められない限りは捨て置くのは彼女である。
「ありがとうございます。興味深い話を聞けました。」
『いいさ。アンタとは、これからも長い付き合いになりそうだからね。』
そう歪んだ声で告げた黒い影は、セツナの目の前から消え失せた。
見舞いに来たのは、アルテミシアでも、ワードでも、ユリオットでもない、”誰か”であった。
* * *
「報告は以上です。」
「良い報告が多いことは喜ぶべきことだな。……下がっていいぞ。」
「それでは、これにて。」
リンスィーフィム帝国。
建国から2000年という、長期間もの間、歴史に名を刻み続けた大国家。
歴史上、何度も世界における事実上の覇権国家となっていた時期もある、由緒正しい帝国である。
その帝国の首都。城塞帝都アルファングは、それそのものが、現存する世界最古にして最大の帝城となっている。
セントラルとほぼ同等規模の都市が、丸ごと一つの建造物のように重なり合っている光景は、まさに圧巻の一言。千年をかけて築き上げられたという、至高の都市である。
その都市の中心部には、城塞都市の中核ともいえる軍部がある。
この帝城は、その構造を密に把握し、適切な巡回を行わなければ犯罪の温床となりやすい。事実、数年ほど前までは、その影響からか帝城内の犯罪はその多くが未解決であった。
外敵に対して鉄壁の防御を誇るこの都市の弱点は、内部の統制の難しさにある。よって軍部も、その統制に特化した部門が存在する。
帝国元帥、キーラ・クォークは、その部門……情報部の出身であり、自国内、他国内を問わず暗躍し、帝国へ迫る脅威を未然に防ぎ続けた影の英雄である。今しがたも、内部をかぎまわろうとする鼠を一つつぶしたところだ。
長い金髪に、少女然とした肉体。浮かべる不敵な笑みが持つ深みは、その外見にそぐわぬ年齢であることを容易に想像させる。
この世界では実力者で在ればあるほど、外見と年齢は乖離する。彼女もまた、そのたぐいである。
帝国史に名を刻んでから、たった15年で、長年溜まりにたまった帝城内に巣食う腐敗を消し去った彼女の手腕は、シャルマールをして『偉業』と称えられるほどの手腕であり。
帝国史に未来永劫名を遺すことになるであろう、女傑である。
「………。」
受け取った資料には、傭兵ギルド中央統括ギルドマスターからの返答と、動向を探らせている央都内の工作員からの彼女の近況報告が記載されている。
工作員に直接の監視や接触は禁じている。それが功を奏してるのか、警戒されている様子は見られない。こちらも、害を加えるつもりではないので意図的に、深くは探らない。
ばちり、と音が立ったかと思うと、彼女について記載のあった文書はすべて塵となって消えた。
彼女の書斎には一つとして情報を残すものはない。彼女の脳裏には、すべてがすでに記憶されている。
「……ようやく、だな。ああ、楽しみだ。」
そんな彼女が、自身の感情を漏らすようにつぶやく。
「どう、迎えたものかな。……考える必要がありそうだ。」
自身に波乱が迫っていることを………セツナはまだ、知らない。
次回から新章です。