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ことが起こったのは、それから、さらに30分ほどが経過したころであった。
「……ッ!?」
不意に、剣が宙を舞う。
もとより大剣。振り回すのは相当な体力を要求され。
そしてワードは短期決戦型である。この長時間の間、戦い抜けたのは奇跡といってもよかっただろう。
その奇跡がいつか終わりを告げるのは、わかっていたことであった。
武器を弾き飛ばされるという、致命的な隙。均衡が破れた瞬間である。
「がぁっ?!!」
「ぐっ……まずいっ!」
即座に割って入ろうとしたセツナは、突如として敵の影から伸びてきた影の腕に殴り飛ばされ、同じく助けに入ろうとしたアルテミシアの眼前には突如として黒煙が放たれた。すぐに抜け出そうとするが、そのわずかな時間、ワードを助けられない。アルテミシアは普通の煙ごときで視界を阻害されるはずはないが、どうやらこの煙はそのアルテミシアの特別な視界ですら遮る効果があるらしい。
視界妨害を受けたアルテミシアが介入を行えない時間は、わずか3秒。
この、たった3秒のために、敵は二つの切り札を隠し続けていたのだ。
アルテミシアは、黒煙の中から、一か八かを狙って、ワードめがけて衝撃矢を撃ちこもうとする。ノックバックでワードを横へ吹き飛ばし、敵の攻撃範囲から緊急離脱させるためだ。
ただ、矢をつがえる暇すらない。この三秒の隙を、可能な限り縮めるために矢筒から抜き取った矢をそのまま投擲しようとしたのだ。
絶体絶命の危機。孤立無援。”仕留めた”と言わんばかりに、猛然と爪を振りぬこうとするマイナープレデターの姿が、やけに遅く感じられる。
迫りくる、大切な彼女の死。
ようやく、数百年ぶりに、会えたというのに。
そして、ユリオットは。
「………!」
死にゆく身でありながらも、恐れなど全く見せないワードの姿に。
杖を、無意識のうちに構えた。
* * *
『おう、ユリオット。おめぇまた泣いてんのか。』
『だってぇ、地下に住むエルフなんて、エルフじゃないってぇ……』
『どこのボケだ、んなこと言ったのはよ。』
思い返すのは、今ですらも色鮮やかに記憶している、数百年ほど前の過去。
ワードも、ユリオットも、まだ生まれて十数年しかたっていない頃の話である。
地底妖精界・アールヴヘイム。北部諸島に存在する妖精たちの隠れた繁栄圏においては、多種多様な妖精たちが暮らす。
ただし、エルフ以下、一部の妖精だけは、例外であった。
地底にエルフの好む環境はない。森に愛され、森とともに生きる彼らの肌には合わない土地であるのだ。
だが、エルフの娘、ユリオットはここにいた。
故郷を追われ、ここに流れ着いたエルフの末裔が彼女であり、彼女の両親は彼女を生んでまもなく、アールヴヘイムを襲った厄災によって、命を落としてしまったのだ。
齢7歳にして天涯孤独。彼女に頼れるのは、彼女の母が生前にわずかながら交流があった、面倒見の良い騎士妖精のギャレアという老妖精だけだった。
そして、当時そのギャレアに弟子入りしていたのが、ワードである。
剣術の心得も何もない。だが、”戦い方”を知っていたのは、それが理由だ。
彼女はギャレアの下にやってきたユリオットに対して、まるで姉のように接した。
彼女には地下に住むエルフだとかいう、”どうでもいい”理由で、ユリオットとの接し方を変えることはなかった。
『おいこら!』
『やべぇ、ワードだ!』
『鍛冶妖精のくせに剣なんて振りやがって!鎚でも振ってろよ!』
『うっせぇばぁか!』
彼女は、ユリオットをいじめようとする妖精たちから、彼女を守り続けた。
力を得ようとしたのは、ユリオットを守ることが目的ではなかったが、学んでいた心得は役に立ったのである。
同時に、彼女はよく、ユリオットを連れて探検に出ることもあった。
広大な地下領域であるアールヴヘイムは、彼女たちにとっては良い遊び場であった。ギャレアから学んだ技術を率先して試したがったワードは、ユリオットを連れて小さな冒険を何度も行ったのである。
『すげぇな!ユリオットのマジュツってやつはよ!まるで何倍も強くなった気分だ!』
そんな小さな冒険の中で、ワードはユリオットの魔術に全幅の信頼を置いていた。
ユリオットからしてみればほかの妖精なら簡単にできる程度の魔術であるのだが、使うたびに笑みを浮かべてくれるのを見ると、もっと頑張ろうと思えた。
そのようにして、彼女がギャレアの元を離れるまでの12年間、彼女たちは、まるで姉妹のように暮らしていた。
その間、たびたびおこなわれた冒険の中で、二人は互いに互いを守り合う、一種の信頼関係を築きつつあった。それは、技術の面において言えば、それを見ていたギャレアからすると幼稚なものであったが、その絆だけは侮れないと、彼に思わせるほどであった。
別れの時は、二人が19のころであった。
肉体の成長期を終えたワードは、両親との約束を果たすためにギャレアの元を離れることになった。
本来彼女は鍛冶妖精。武器を振るう者の気持ちを知りたいと弟子入りしていただけで、ずっとギャレアの下に居るわけには、いかなかったのである。
『またどこかで会えるさ。アタシらの人生は長い。どこかであった時は、また一緒に冒険でもしようぜ!』
『……じゃあ、その時までに……、私、もっとたくさん、魔術を覚えて、強くなる……きっと!』
『それならその時、アタシたちは無敵だな!アタシがユリオットを守って、ユリオットがアタシを守ってくれりゃあ、誰もアタシらに勝てねぇ!』
『……そうだね!』
そうして、二人は別れた。
はるかかなた、かつての記憶。エルフやドワーフには、あまりに短い12年という歳月。
ユリオットは不安だった。数百年の歳月の後に、ワードが自分のことを忘れていたらどうしようと。
しかし。ワードは……
『おめぇ……ユリオットじゃねぇか!』
まるで昨日のことのように、ユリオットのことを覚えていて。
まるであの日の続きのように、ユリオットを力強く冒険に誘ったのである。
* * *
(そうだ。)
湧き上がる。今までの諦観が、嘘のように。
魔力が、己の魂の底から湧き上がるのを、感じる。
『アタシがユリオットを守って、ユリオットがアタシを守ってくれりゃあ、誰もアタシらに勝てねぇ!』
(ワー姉が守ってくれたように、私も、ワー姉を守るんだ。)
1秒が永遠のように長くなる。すべてが止まって見える。
全能感。今なら、なんだってできる。彼女のためならば。
これまで、ずっと魂の奥底で眠らせていた激情が、爆発する。
魔力が、あふれる。
全ては、あの日の約束を守るために。
「『ᛊᛏᛟᛈ』ッ!!」
激情と共になされた奇跡の術。それを目の当たりにすると同時に。
ワードが会心の笑みを浮かべた。
* * *
アルテミシアは、かろうじてその手を止めた。
突如として背後で感じた、魔力の爆発を思わせるような力の開放。
それに吹き飛ばされるかのように、煙が吹き消される。
黒煙は強い魔力を伴っており、ただ風などで吹き飛ばすだけでは吹き飛ばせず、魔力の放出でなければ除去できなかったことを、どこか他人ごとのように理解しながら……アルテミシアは、その術式を目の当たりにする。
それは、常識を疑うべきものだった。
ユリオットの構築した術式が、3ランクは差のあるであろう、敵の動きを完全に止めていた。術式に生成されたと思われる光の鎖が、幾条も出現しては、その四肢をからめとり、がんじがらめにしていたのだ。
「ありえ、ない……これは、いったい……?」
アルテミシアがつぶやくのも、無理はない話だ。彼女は今、二つの不可能を目の当たりにしている。
魔術の定義は、魔力を用いた意味の構築によって、事象改変を誘発するもののことだ。
この意味の構築、これは様々な手法で執り行われる。
形成魔法陣はその最たる例だ。魔力を空中に、地上に、体表に浮かべ、意味を持つ図形を描く。この図形によって術式を形成し、魔法を発動させるのだ。
詠唱も、ルーン文字も、その他すべて、術式と呼ばれるものは、意味性を持ち、構築の基幹となる何かを備えている。
だが、どの術式も。”三つ以上の基幹から意味を組み合わせる”などというばかげたことは、できなかったはずである。少なくとも、前例も、それを成し遂げた者も居ないはずだ。
ユリオットの術式は、詠唱を補助とし、メインを文字列を空中投影させたルーン魔術。
しかし、ルーンは一文字一文字が極めて細かく、それらが形成魔法陣の如き図形を描いている。
それに、文章も、ルーン文字による文章ではない。ルーンは単体でも強い意味性を持つがその本性は文字列にある。実際彼女もルーン文字によってつくられた文字列で術式を行使していた。アルテミシアもルーン石を使うので、ルーンによる術式の文字列は解読できる。
今の文字列は、ルーンではなかった。文字こそはルーンだが、また別の言語の並びによる、文字列形成であった。おそらくは、文字列の音だけを抽出して、別の魔術言語の文字列を再現したのだろう。
アルテミシアは、恐ろしかった。これは魔術の概念を大いに覆す、超絶技巧だ。
魔術師の持つ魔力は、魂のランクに比例する。そして、それは肉体のランクとほぼ同じ規格だ。
たとえ大魔術師であっても、Sランクの魔術師が作り出した術式で、SSSランクの魔物を拘束することは、可能かもしれないが、できたとしても、燃費が悪い。だから魔術師は、格上と戦うときは、対象を直接指定する術式ではなく、火球や風刃のような物理的な威力を持った術式で攻撃を行い、対象と戦闘する。効きもしない術式を使うよりは、はるかにダメージが通りやすいからだ。
だというのに、今、目の前で、3ランク差は有ろうかという敵を、一時的にとはいえ、完全に拘束しているという事実。
まさに、天才。この目の前の彼女こそを、”大魔術師”と呼ばずして、なんというのかと、アルテミシアは心底思った。
「へへっ、あんがとよッ!!」
信じていた。その一言すらも必要はなかった。
ただ、それが当然であるかのように礼を言って、ワードは剣を拾って駆けだしたのだ。
「ッ!……なるほど、そういうことでしたか。」
崩れた壁の中から、石を蹴りだして現れたセツナは、見違えるように動きの良くなった二人を見据えながら漏らした。
ワードがバーストファイターにもかかわらず、どうしてここまで粘り強いのか。
セツナはその謎が氷解した。確かに彼女は自身の身体を強化して動くことが多かった。ただ、自身で強化するには時間的限界があったからだ。
「『ᛖᚾᚺᚨᚾᛊᛖッ!!」
「おるぁっ!!!」
彼女の本来の……かつてのスタイルは、ユリオットを守りながらも自身はユリオットの支援を受け、前線を押し上げて切り込みながら立ち回る戦線守護者とは似て非なる、持久型の前衛。
その役の名を、先導戦士。
誰かに背中を預け、前からの脅威をすべて切り伏せる、彼女の本来の姿である。
* * *
「ばかな、こんなことが!?」
同じことを、『狼』が吠える。ありえないことだ。天才的な術師が、驚異的な術式効率によって数ランク上の威力を引き出すのは見たことがある。キヤフやサンキアは、そのたぐいだ。彼らの魔術は究極的に完成されていて、隙がない。そのため、格上にも術式を通す手段を持っている。
だが、そこに至るには数多の研鑽と、そもそもそれをなしうるだけの膨大な経験、そして魔力、位階が必要となるのだ。
位階違いの力には驚かない。だがその領域に、Bランクがその領域に手をかけることなど、あるはずはなかったのだ。
セツナ・レインの再演を見ているかのよう。狼は、新たな可能性の芽吹かせる彼女から、目が離せなかった。
「数百年前ほど前のことです。まだ、ギルドもなかった時代。彼女はエルフの里にやってきた。
長寿種族である我々が蓄える、古代魔術について知りたいと。
ですが、ユリオットさんは控えめに見ても、才能のある者ではなかった。
エルフは普通1000節以上の意味単位を持つ術式を構成できるのが普通だからだ。
彼女はその基準に満たなかった。たった、500節未満の術式しか扱えなかった。
里では、地底からやってきたエルフであったこともあってか、すぐに後ろ指をさされ、彼女は里のはずれで、たった一人で研鑽を続けていた。
つい最近になって、彼女は里を去った。調べによれば、ワード・テンペスト、そう名乗るドワーフの乗った新聞がエルフの里にふらりと舞い込んだところから、彼女は旅の支度を始めたとのこと。もう戻らないから、荷物は処分しても結構ですと告げて、彼女は去りましたが。
その荷物……エルフにしてはあまりに短い、たった数百年の研究資料は、我々の魔術観を破壊した。そう、完膚なきまでに。」
シャルマールは、洞窟の壁を幾重にも隔てた先に居る彼女を見据える。
そこに宿っているのは、慈愛のまなざし。初めから、彼にはこの結果がわかっていたようだった。
彼の軽薄そのものである語り口調に、重みが宿る。淡々と語る彼の言葉に、力が宿るところを、『狼』は見たことがなかった。
「彼女が開発したのは、三重の意味性を複合させることによって生まれる、意味性の多重化、並びに術式強度の上昇。
大魔術師の条件である、構成単位10000の術式強度を形作るのに、彼女はほんの25を三つ、掛け合わせてその領域をはるかに突き放したのだ。
古典的な魔術観を破壊し、一掃する新たな可能性の誕生は、私たちに新たな可能性を与える福音となるる。その未来は避けられない。
……そう、貴方の見守る、彼女のように。」
『狼』は表情をわずかに歪ませた。
……バレている。今回のセツナは才能はあるが、目立った力を行使していない。長時間の1ランクアップを魔力操作のみで成し遂げる事実は特筆すべきものだが、あの雪山……ファールス連山で見せた『天衣無縫』を彷彿とさせる奇跡の討伐劇に見せた、『英雄の資格』に連なる力はまだ見せていない。
少なくとも、『狼』にはそう思えた。彼の知る限り、シャルマールがセツナを直で見るのは、これで初めてのはずなのだが。
「まぁ、彼女の話はひとまずこれで。
『狼』さん。……私からはただ一つ。
西方であるならばまだしも、セントラルでは私の庇護は届きにくい。
……ですからどうか、お願いしますよ?」
「……お前は人使いが荒いな。」
「冗談がお好きなようで。」
羽化を始めたユリオットの輝きの影で暗躍する、シャルマール。
明確なことをただの一つも告げることもなかったはずの彼の頼みに、『狼』は一つ頷くと、これ以上お前と話すのはごめんだといわんばかりに、洞窟の奥の闇へと身を消していった。
お久しぶりです。新章に入ると同時に、書き方を変えてみようと思います。