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「おおおっ!?!!」
弾き飛ばされ、宙を舞うセツナ。空中で身動きのとりにくい彼女に、上下左右から敵の爪が振りかざされる。巨体であるが、素早い。身体強化しているセツナと同等か、それ以上の速度で振るわれる爪の先からは、どす黒いほどに濃い毒が染み出ている。
それを器用に、くるくると独楽のように宙を舞いながら、刀で的確に受け流す。一撃でも受け損なえば死は免れないであろう爪の連撃。
セツナは何とか、攻撃に合わせて自らも刀を振るうことで自分から弾き飛ばされ、敵の爪の射程から素早く脱出した。その数秒の立ち合いの中、爪の先からこぼれた毒のしずくが、セツナの衣服の端を煙を上げながら溶かしたところを見て、セツナは顔をしかめる。
「くぅ……あの毒は、まずいですね……喰らえば、10秒持たないでしょう……!」
「一撃も許せない、というわけか……ッ!」
セツナが気を引いている間に、周辺の通路の遮断を終えたアルテミシア。本来であれば逃げ道を確保するべき局面なのだが、ユリオットが限界であった。
(ああ、あれが……みんなを……もう、終わりなんだ……)
顔は真っ青であり、膝をついて震えてしまっている。その威容は、確かに絶望するに足る存在だった。
ユリオットを責めることはできない。
マイナープレデターに対抗するための監視術式は、普通視覚を用いた監視術式となる。
カメラのような視点を空中に追加し、死角を補う、というものだ。これは、マイナープレデターが、ほとんどの感知術式をすり抜けることがある、という情報をもとに立てられた対策である。
ユリオットの制限時間、30分というのは、視覚共有を行い続けることで、必然的にひきおこる脳への負担の限界値のことを指す。しかし、通常の術者では、脳負担もそうだが、術式の維持に必要な魔力もほぼ枯渇するだろう。
だが、ユリオットは道中、一度もマナポーションでの補給をしなかった。
それどころか、退路の確保までしていたのである。その退路にまで視覚を飛ばすには限界もあったのだろうが、侵入を警戒する設置型の感知術式を置き続けていたのだ。
それ以外にも、ユリオットは常に補助術式を準備しており、戦闘中、一番近くに居ることが多いアルテミシアの弓への付与も定期的に行っていた。
それだけのことをたった一人で成し遂げたユリオットが疲弊するのは無理もないことである。
魔力の大量消費は精神の揺らぎにもつながる。
魔術を酷使し、精神に疲労を抱えたユリオットでは、無理もない話である。むしろ、よくここまでもたせたとほめるべきだろう。
ゆえに、アルテミシアは退路を断つ判断をした。
目に映る通路、すべてをふさぐ。その出口に至るまで。目の前の巨躯にはすべてのリソースを費やさねばならない。不意打ちに気を取られている暇はないのだ。
「終わったぜ。……だがあのデカブツはどうするよ。」
アルテミシアの指示で閉鎖された空間内に残っていたマイナープレデターを掃討していたワードは、最後に残ったあの化け物を見て険しい表情を見せた。
今はセツナが渡り合って時間を稼いでいるが、ぎりぎりだ。かつて出会ったウッドパラサイターと遜色ない覇気。SSランクは確実である。しかし、まるで状況が違った。
「……ッ!!」
ウッドパラサイターの時、セツナらが本当にSSランクの性能を持つ敵と立ち会ったのは、ほとんど戦闘の終盤付近からである。あの巨体、あの本性こそ真の姿で在る。それまでは特性上、木々の末端から放たれる攻撃力はどうしても落ちてしまうがゆえに、脅威度はAからSランク程度であった。
「ぐぅっ……!」
だが、目の前の敵は訳が違う。
目の前のネームド個体は、慎重で在り、狡猾でありながら、隙を見逃さない恐るべきハンターである。
戦闘経験も豊富なのだろう、相手の出方を伺いながら、手札のすべてを切るまで自身の手札を晒してこない。ゆえに、セツナも攻めきれない。明らか……そう思える隙にさえ、飛び込むことはためらわれる。
「やるしかない。だが、我々では継戦能力はないだろう。
三人で、立ち回るしかない……!」
よって、アルテミシアが提案したのは、消耗戦。
セツナとワード、アルテミシアが、三人で代わる代わる立ち向かう、下手をすれば各個撃破されかねない、危険な賭けであった。
「OK、んじゃぁセツナ、下がりなぁッ!!」
「感謝します……っ!」
膨れ上がった魔力。指定級のマイナープレデターがその眼を見開くと同時、耳障りな金属音が響きわたる。戦力を解放したワードの一撃は、SSランクである敵をもってしてもなお脅威であったのか、セツナへの追撃を取りやめて即座に対応する。
両爪を重ね合わせての迎撃。”バギャァアン!!”と破砕音染みた音が響くと同時に、向かい合う両者は互いに距離を取り、得物を構えた。
その間にセツナは引き、懐から取り出した丸薬を飲み下す。疲労回復用の薬だ。即効性はあるが、限度がある。数分、その時間は戦闘に参加しても足手まといだ。
「どうだった?」
「厳しい相手です。凌ぐのが精一杯でした。あの爪、どれだけ切り付けても再生します。部位破壊を狙うのはやめた方がいいでしょう。」
「となると、本体の疲弊を狙うしかないか。」
「ですが、敵もそれを承知の上で戦っています。奥の手を見せてこないのは、こうした消耗戦になることを視野に入れてのことでしょう。
狡猾な知性です。いったいどれほどの年月を、指定級相当となってから過ごしたのか……」
マイナープレデターは、本来B~Aランクの魔物だ。指定級……すなわち進化を果たしたとしても、Aランク上位から、Sランクがせいぜいである。
命名指定級がどうして命名指定級であるか。それは、傭兵などの人間と何度も戦闘を行って生き延びたがゆえに、その存在が露呈し、命名されるからだ。進化した際に獲得する固有的な能力や姿は特徴的だ。ギルドはその危険性を認めると、即座に命名指定を行う。
しかし、それがなされていない、未確認の個体……となると、考えられるのは二つ。
魔物との激しい戦闘で生き延びたか、出会ってきた人間を一人残らず逃さなかったか、あるいは、その両方である。
(うかつに動けないな……)
敵が抱えている鬼札が一体何であれ、それが出るか、使えなくなるまで、敵を削り続ける。
それが、セツナたちが今できる、最善の策であった。