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セツナは、今絶賛走っていた。
それはもう、掛け値なしの全速力だ。本当なら荷物も捨て去りたいところであったが、それは何とか我慢しながら、思いっきり走り続ける。
そんな彼女の背後には、大量の魔物どもがうごめいており、そんな彼女を追いかけ続けていた。
「……こんなことが、あるなんてッ!!!」
スタンピードには、いくつかの発生要因がある。
大規模なものであれば、大量の魔物たちの”母体”が居たり、ゴブリンロードのような指導者が居たり……などだ。大軍をまとめ上げる何かしらに追従するタイプのスタンピードが、一番大きい。
が、小規模なものはそうではない。小規模なものの発生要因は、そのほとんどが地形的要因である。
初め、地響きを受けて目を覚ましたセツナだが、そんなに深刻なことは思っていなかった。
が、直後地響きとともに悪寒がし、荷物をまとめていつでも動けるようにしたところで……あの魔物の大群と遭遇した。
大霊洞に限らず、多くの地形は、数週間に一度大規模な地形変動が起こる。特徴的な地形ではない……行ってしまえば末端部の地形が変動するのだ。セツナが居たのはちょうど外縁部。洞窟地形の改変は、もはや当たり前の場所。セツナはそれは予測していたのだが、そのあと……小規模スタンピードについては、まさか自分が当事者になるなど、夢にも思わなかったのである。
「このっ!」
ドバガァアアン!!と彼女の背後で爆発が起こる。爆裂瓶だ。危険物であるので取り扱いには免許が必要であり、所持数制限もあるアイテム……めちゃくちゃ高額なので、一回投げるだけでも決意が必要なのだが、セツナはもうなりふり構っていられなかった。
閃光石も定期的に投げているのだが、あふれてくる魔物の前方がとまっても、その後方の魔物が前方の魔物を押しつぶすようにして進んでくる。
これは、閉鎖型小規模スタンピードだ。地形変動は基本、無作為に行われる。行われるのは良いのだが、まれに、どこにもつながらない空洞部がつくられ、そこで魔物が大量に発生するケースがある。その場所では蟲毒のように魔物が殺し合い、食い合い、その死体からも魔物が生まれるという連鎖が続き……凶悪な戦闘個体となった魔物が、再度の地形変動によって表に解き放たれると、こうなる。
「ひぃっ?!!」
セツナの位階はBランク。今はアイテムその他の力を借りて脚力だけは一時的にAランクに到達しているが、背後の魔物どもはそれ以上……Sランクはありそうな、個体も混じっていそうだ。
……位階が1つ違えば強敵。二つ違えば死神。今まさに、セツナは死神の群れから脱兎のごとく逃走しているのであった。
幸運だったのは、ここが洞窟だったこと。狭い通路を魔物同士で邪魔しあいながら進んでくるので、Sランクといえど足が鈍っているという点だ。これが開けた土地ならセツナは今頃魔物にひき潰されていることだろう。
今も、ぎりぎり、本当にギリギリ。彼女自身知覚することが許されなかった鉱石の弾丸を、発射直前の魔力を感じ取って全力で避けた。
「………ッ!」
セツナはたまらず、何度目かになる笛を吹く。周囲の傭兵や冒険者に対する警告だ。こんなスタンピードにほかの傭兵や冒険者を巻き込むなど、あってはならない。こんな浅い階層では、自分を含めてこれに対処できる人材はいない。地形変動によって道はわからないが、これを外に連れ出すこともできないので、入口に逃げて脱出するわけにもいかない。
傭兵としての義務として、セツナは外縁部をひたすらに走りながら、時間稼ぎに徹するほかはないのだ。
いずれ異常にギルドが気が付き、上位傭兵たちが来る、その時まで。
* * *
「小規模スタンピードですか。対応はどのように?」
「『覇穿』は低ランク傭兵の避難誘導と、魔物の地上への進出を防ぐため、入り口付近に陣取っておられます。スタンピードの本流と思しき集団は、現在南部外縁部を進行中。一人の傭兵が警笛を鳴らしながら逃走しているという未確認情報があります。幸いにも、本集団は外縁部を回っている様子なので、地上への進出の可能性は低いでしょう。」
「わかりました。即応できる方を派遣してください。……そういえば、そろそろ『凱旋』と『剣術姫』が帰ってくる頃合いでしたね。急ぎ連絡を。」
「ハッ。」
ギルドマスター、キヤフ・モナークは、窓口業務がひと段落したときに告げられた第一報に対して、すぐさま対応した。対応可能な傭兵のリストアップと、避難誘導、迎撃体制の確立だ。
幸いにも中層では現在対スタンピードのに備えた前線建築士たちが居る。大霊洞入り口付近に簡易の陣地を作る程度のことなら、彼らならやってのけるだろう。
その手配を行いながらも、キヤフ・モナークは違和感を覚える。
把握している限りの、今現在序層に潜っている傭兵で、スタンピードを誘導できる傭兵など、いただろうか、という疑問だ。入っている入っていないの審査はされていないが、キヤフは自身が探索の認可を下したすべての傭兵のプロフィールが頭に入っている。このセントラルでは、彼女だけが、高精度で誰が大霊洞に居るのかを予測できる人材だった。
二つ名がついている傭兵なら、難なくやって遂げるだろう。しかし、たかだかBランクやAランクの傭兵が、スタンピード発生からこの時間まで、逃げ延びていることは奇跡に等しいと感じていた。
誰だか把握はできないが。せめて命だけはつないでほしいものだ、とギルドマスターは心の内で願いながら、その者の生存率が少しでも高まるように、対応を急ぎ始めた。
・アイテムその他の力
装備品とアイテムの力で、一時的に自身の速度の位階を上げている。
ゲーム的に解説を加えると、以下のような感じになる。
(この世界には鑑定系技能があまり発達しておらず、鑑定してもフレーバーテキストのようなものは出てこない。)
☆脱兎の護符
要求FAN:Cランク
魔力充填式の護符。設定されたキーワードをわずかな魔力とともに発声することで、事前に込められた魔力を消費されて、一時的に移動速度を引き上げることができる。使い捨て。
加速のために同一方向へしばらくの走行が必要なため、目まぐるしく方向転換や停止を繰り返す戦闘中に使用するには適さない。
☆大烏の装束
要求STR:C
斬撃保護:C
打撃保護:-
刺突保護:D
アウルム大森林などに生息する、巨大な烏の羽から作られた装備。異常に軽く、丈夫なこの素材は、空気抵抗を受けづらく、主にシルバーランクで高速で移動・戦闘を行う者に重宝される。代わりに、物理的な防御力についてはあまりもたらすことはなく、特に打撃属性のダメージは全く軽減しない。