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「………という、ことがあったんだが。」
「(もきゅもきゅ……ごくん)……反応に少し困ってしまいますね。」
アルテミシアは形式上の面接試験を終えたのち、入り口で待っていたセツナと合流して、二人で街の酒場に来ていた。酒場はギルドのある北区画の大通りから少し外れたところにある、店の名前も見ずに、その賑わいだけで目を付けて入ったような場所だ。2階建ての酒場のそのほぼすべてが傭兵で埋め尽くされており、怒号やガラスの割れる音などが響く、なんともにぎやかな酒場であった。
そこでアルテミシアは特に口止めされていなかったことを思い出し、セツナに面接でのことを伝えたのであった。幸いにも、その喧騒は二人の少女傭兵の話など気にできないほどである。
「観察対象であったのは薄々気が付いていたのですが、アルに白羽の矢が立つとは思いませんでした。んっ……ふぅ……」
傭兵用に大量に出された濃い目の味付けのパスタ、そしてステーキを薄い味付けのスープで流し込みながら、セツナはそう返答する。味はそこそこだが、値段も割には量が多い。腹ごしらえにはいいかもしれない。セツナは後でこの店の名前を覚えようと思った。ちなみに、スノーキャットのメイはすでにおなか一杯になり、セツナの頭の上でとろけるように眠っている。
「そうか……ん?まて、気が付いていたのか?監視に?」
「ええ。完全には捉えていませんでしたが、何となくは。……といっても、気づいたのはファールス連山からの帰りでしたが。ほら、私たち、温泉に入ったでしょう。」
「……ああ、そうだな。」
そういえば、とアルテミシアは思い返す。
クーユルドから馬車で買える最中、セツナとアルテミシアが出会った街でもある要所の温泉街・スヴァルバードに立ち寄った際、命名指定級討伐の報奨金を使って二人で余計に一泊して温泉に入ったのである。
セツナもアルテミシアも、短いようで精神的には長かった地獄の鍛錬の後であったので、その効果はてきめんであり、二人して温泉でとろけていたのである。
「温泉から出た後で少しだけ私自身に向けられる微細な魔力の波長を捉えたので。
……魔力は意志に呼応します。ほんのわずか、かすかな感覚でしたがはるか遠くから風呂から出るところを見られたように思えたのです。」
「ああ……それは。」
思い返してみれば、監視役の『狼』と呼ばれていた人物は、明らかに男性であった。おそらく気を使って、温泉に入っている間は目をそらしていたのだろう。そして、温泉から出るところを注視していた。
その監視が復帰する瞬間を、セツナは鋭敏にとらえたのだ。なんというとてつもない感知能力だろう。
「しかし、まさかずっと監視をつけられていたとは。……いえ、今もつけられていそうですが、相当な名手故か、まったく視線を感じ取れません。」
「……いいのか。監視が付いていても。あまり気持ちのいいものではないだろう。」
「まぁ、ギルドの言い分も分からなくもないですからね。」
アルテミシアは、セツナがあまりにもあっけらかんとしているので、少し肩の力が抜けた。
普通監視が付けられているだとか、パーティーメンバーであるアルテミシアが監視になることを薦められだとかの話は、普通当人には不愉快なものだろうと思っていたのだ。自分だっていい顔はできないのだ。
だが、セツナにはそのことへの抵抗がないように思える。むしろ織り込み済み……といったような雰囲気だった。
「ただ一つ、うれしかったのは……アル。貴方がその要求を断ってくれたことです。
冒険に、余計な命綱は無粋です。貴方がそれをわかってくれていたことが、何よりうれしい。」
「そう、か。……よかった。」
それだけ告げて、セツナは何事もなかったように食事に戻った。
アルテミシアも食事の続きをと思い、テーブルの骨付き肉に手を伸ばす。
余計な命綱は無粋。……セツナはそう言い切って見せた。セツナならそう思うだろうと、あの時感じたことが間違いではなかったこと。セツナと共感できたことにうれしさを感じながら、その日の夜は更けていく。
その日以降、彼女たちがこの話題について触れることはなかった。セツナが自身に対する監視に対してどうも思っていない以上、アルテミシアも気にしないことにしたからである。
* * *
「さて、今日は大変ですよ。」
「ん?何かあるのか?」
翌日。ギルドの寮で目覚めた二人は、軽い朝食を寮に備わった食堂でとりながら不意のそんな話がセツナからこぼれる。
ギルドが管理する傭兵宿舎は最低限の品質を保証しているだけの宿だ。普通のギルドに備わっている傭兵宿舎であれば食堂などついていないのだが、ここは世界一の大都市。食堂もしっかりついてきている。食事の質もそこそこだ。
硬めのパンを二人と一匹でかじりながら今日の予定について話し合う二人。
今日は一応昨日の試験の合格発表なので、アルテミシアは内心緊張していたが、セツナにとってはアルテミシアが合格していることなど、火を見るよりも明らかなことだった。
問題は、合格した後のことである。アルテミシアは目利き達が集っていたあのアリーナで、セツナとの死闘を繰り広げ、その実力を惜しむことなく発揮した。彼女の才覚が、陽の下にさらされたのである。アルテミシアが放置されることなど、ありえないだろう。
「説明がしづらいのですが………まぁ、たくさん、声をかけられることになるかと。」
「……???」
セツナは、抽象的にしかこの後に襲い来る苦難を口にしなかった。
それは、彼女が自身の才覚が、世の中でどのように評価されているのか自覚する必要があると、そう感じたのだ。
だから、あえて何も言わない。アルテミシア・エクストル。彼女はその名とともに生きていくのだから。
セツナの言葉に気を取られていたのか、アルテミシアは周囲から時折向けられる視線に気づかなかった。傭兵宿舎では酒場ほどのバカ騒ぎは禁じられている。そのため、周囲の傭兵が声をかけることはためらわれた。誰かが声をかければ最後、歯止めが利かなくなり、一瞬にしてその場は騒々しくなるからだ。
それは単純に、同業者がいつ寝ているかわからないからという、それに対する配慮に過ぎないのだが。傭兵宿舎における慣習的な不文律が、アルテミシアに与えられた最後の平穏だったことは言うまでもない。
「……そういえば、先ほどから視線を感じるな。なんだというのだろう……?」
「すぐにわかりますよ。……メイ、服の中にいてください。」
「みゅ!」
さすがにあまり衆目にさらせないと判断したのか、セツナはメイを服の中へと避難させる。もう情報こそは拡散されているだろうが、それでも念のためというやつだ。
「ではいきましょうか。覚悟を決めてください。……できるだけ離れないように。」
「あ、ああ……?」
食事を終え、宿舎から一歩踏み出すという段階になっても、アルテミシアの頭上には疑問符が尽きないようだった。かつての自分を思い出すようで、セツナは少しだけ懐かしい気持ちにもなったが、今思えば、アレは酷い洗礼だったといえよう。
とはいえ、いつまでも経験させないわけにもいかない。傭兵の先達として、攻めてアルテミシアにはどのような対応ができるのか、それくらいは学んでもらわなければならない。
アルテミシアの方をちらっと一瞥した後で、セツナは傭兵宿舎の扉をあけ放った。
……そして。
「お!出てきたぞ!」
誰かがそう声を上げると同時に、大量の人の波が、セツナたちを飲み込んだ。