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「まず、大前提として……特務職員についてお話せねばなりませんね。」
傭兵ギルド、特務職員。
ギルドの職員は普通、傭兵ギルドに加入している傭兵から志願を受けた者たちから構成されている。
中でも、セントラルのギルド職員は職務の円滑化や、利用する傭兵に不快感を与えないために容姿も含めた厳しい選抜試験が存在し、帝国の将校養成課程、魔術師ギルドの魔術教員免許試験と並んで、世界でも屈指の難易度を誇る試験内容となっている。
ギルド職員は戦闘力を要求されない。求められるのは正確な事務処理能力と、トラブルを未然に防ぐコミュニケーション能力、依頼者や傭兵との契約の際、ギルドの利益を守る交渉力などが求められる。
そのため、ギルドの職務に戦闘力を求められる際、必要となるのが特務職員である。高度に秘匿するべき情報の受け渡しや、危険人物や団体の監視、帝国の内情調査、特定個人の情報の収集など、危険とリスクの伴う活動がメインの活動内容だ。
特務職員はその存在こそは公にされているものの、その業務内容については大半が秘匿されている。特務職員には登用試験は存在せず、職員になる手段はたった一つ、『統括ギルドマスターの勧誘』これのみである。
「特務職員は私の直属となります。業務内容は多岐にわたりますが、多くの場合において、それは諜報活動と呼べるものでしょう。アルテミシアさん。私が、貴方に求める特務内容は一つ……『セツナ・レインの観察』です。……もういいでしょう。『狼』さん。どうぞこちらに。」
「━━失礼する。」
「……?!」
キヤフが呼ぶと同時、アルテミシアの背後から、ずいっと前に歩み出るように、男が現れる。
黒い長髪の男。2mはあろうかという長身の、黒衣の男だ。
背後にたたずまれていたというのに、全く気が付かなかった。アルテミシアが驚いたのも、無理はないことだろう。
「彼の識別名称は『狼』。つい先日まで、セツナさんの監視と保護を請け負っていた者です。……アルテミシアさん。貴方ももう、気が付いているはずですね。彼女の特異性に。」
アルテミシアは、静かにうなずいた。
セツナは特異だ。命名指定級と戦ったあの時に見せた、驚異の3ランクアップ。再現こそはこの世の誰かはできるのだろう。ただ、彼女は魔術すら使わず、あろうことか魔法のみでそれを達成したと思われる。”何か”を犠牲にしていたと感じるが、それが何なのかは見当もつかない。
そうでなくとも、彼女は平時でも平然と身体強化を行使し、戦闘中一瞬ではあるが、身体狂化もできる。ただの技術とはどうしても思えない、彼女の引き起こすいくつかの事象は、アルテミシアにも覚えがある。
そして、それらすべてをギルドが観察していたのなら、彼女を監視したいと思うのは納得のいくところだ。利益になる、ならないを見極めなければ、セツナのような異物を放置はできないのだろう。
そのように、アルテミシアの理性的な思考が答えを導き出す。
導き出すが、そのような回答を、仲間であるセツナに向けることができてしまう自分が、少し嫌になる。
「ギルドは、彼女の技術に注目しています。
彼女の技術は属人的なものではなく、伝播可能な技術である。そのように、認識しています。
無論、傭兵の技術はその者に属します。簡単に広めたいと、当人が思うものではありません。その者の利益につながりますから。
それでも、失われてはならないものである、と私は考えます。……あなたが受け継いだ、『厳歩』の技術と同じように。」
キヤフはそう告げながら、契約書を一枚取り出すとふわりと空中で手放す。
風も何もない室内を、契約書はまるで風魔法でもあるかのように導かれ、アルテミシアの手元まで、やってくるだろう。
「『狼』さんは優れた密偵要員ですが、セツナさんと貴方の索敵をかいくぐりながらこれ以上の追跡を続けるのは、将来的には困難であると私に告げました。
しかし、我々は少なくとも彼女の動向程度は把握しておきたい。彼女に万が一があった時、すぐに対応ができるように。
ゆえに、これからパーティーを組むあなたに白羽の矢が立ったのです。
アルテミシアさん。どうか、ご一考を。」
手元に来た契約書には細かだが、丁寧な字で契約事項が記されていた。特務職員として任務に就くこと。任務の内容。その多くが、今受けた説明の内容と、大差ないことが確認できる。
契約内容を読んでも、アルテミシアにはこれからセツナとパーティーを組んで冒険をするうえで、不利益になることは何一つないことは、確認した。キヤフがアルテミシアに求めるのは、無事かどうかの生存報告と、いざというときにセツナの生命を優先する行動をとることの二つである。
この程度の内容であれば、受けてもいいのではないかと、アルテミシアは理性的に判断した。
この内容は、セツナを裏切ることになる。そう、感情的な部分は判断した。
理性的に考えれば、これからの二人での活動の支障となることは、ほとんどない。むしろ得ですらある。
なのだが、セツナの心情を思えば、これは受けてはならない類の依頼であることは間違いなかった。
これを受けたと知れば、セツナは自身を見限る。そのような確信があった。
彼女が求める冒険に、この”命綱”は、あまりにも無粋なのだ。
「………。」
「決意は、決まったようですね。答えをお聞きしましょう。」
アルテミシアは、己の答えを口にする。
その答えに、キヤフは少しだけ残念そうな表情こそは浮かべたものの、”良いでしょう”と告げ、アルテミシアの手元の契約書は、光とともに消え去った。
* * *
「……あなたの言う通りになったようです、『狼』さん。引き続きの監視はお任せします。」
アルテミシアが去った後、キヤフは何もない空間に向けて、そう告げた。
つい先ほどまでいたはずの男の影は、いつの間にか姿を消し、その気配すらもつかませない。
ふぅ、と息をついたキヤフは、パチリと一つ指を鳴らすと……部屋は再び、無機質な白い壁だけの部屋に戻った。
「………予想以上に、セツナさんとの絆が深かったようです。でも、これでいい。
最低限のことは伝えられました。」
成果はあった。その手ごたえを、キヤフは感じていた。
彼女の目的は、一貫して傭兵全体のレベルの底上げ……それに尽きる。セツナやアルテミシアの技術が途絶えないようにする、という意志を、アルテミシアに伝えられた。
また、アルテミシアには口止めはしていない。伝えてはならない情報は、与えていない。セツナにこの情報が共有されることを、キヤフは望んですらいたのだ。
ギルドは、二人の技術を歓迎する。
そして、二人の生存を希望する。
「この情報が、いずれ二人を再び私の元まで引き寄せる。
………次は逃しませんよ。お二方。」
焦るべき時ではない。あと少し、余裕はある。
……まだ時間だけは、彼女の味方であった。