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試合終了の合図が鳴り響く。
傷だらけの両者も、気が付けば武器も装備も元通りとなっていた。
スタジアムの中では歓声が沸き起こり、目利き達は本来の目的も忘れて熱狂していた。
そうしてようやく、セツナは自身が敗北したことと、アルテミシアへの注目をそらすという目的が達成できなかったことを思い出した。
(まったく、我ながらいやになりますね。全く持って、驕っていました。
……彼女の輝きを、覆い隠そうなどと。私には過ぎたことだったようです。)
アルテミシアもまた、ようやく観客のことを思い出したのかきょろきょろと辺りを見回し始め、セツナに軽く会釈すると、小走りで控室へと戻っていった。
軽く観客席に耳を傾けてみれば、アルテミシアの素性や、彼女の来歴についての情報交換が行われていた。もともと、アルテミシアは北域の限られた地域ではあるが、狩人を生業として生計を立てていたことと、ゼンの娘であることもあって、ある程度認知度があった存在だ。彼らの情報網であれば、瞬く間に彼女の経歴は共有されるだろう。
逆に、セツナは自身がおごっていたことを自覚した。
確かに彼女は強い。普通にやれば、同格には負けない。彼女は何度も自らよりも強いものと対峙し、生き残り、時には打ち破ってきた。ゆえに、心のどこかでアルテミシアを舐めて居たのだ。”同じBランクならば負けない”と。
だが、アルテミシアは正真正銘セツナよりも強く、最初から最後まで、戦いのペースを握り続けられていた。この事実は、セツナの中に深く突き刺さる。
(……しかし、逆によかったかもしれません。これだけぶつかったのです。
もう一人の方は、どうにかなりそうですね。
アルのことは、ギルドに任せましょう。彼女の実力をギルドが認めれば、彼女のことは守ってくれるはずでしょうし。……さて、切り替えますか。)
セツナは、一つ息を吐いて、気持ちを切り替える。考えるべきことも、感傷も、反省も、すべて一度横において、次の戦いへとセツナは臨む。
今日この日、彼女は己の未熟さを痛感した。
* * *
(お、おわった……あとは、面接と……)
二次試験会場から帰ってきたアルテミシアは、疲労困憊といった具合だった。戦いによる疲労ではない。そもそもアリーナでの戦いは肉体や装備への影響を残さない。理由は、ただ一つ。
『すごいなアンタ!』
『強いんだな!どうしたらそんな術ができるんだ?』
『ね、パーティーにならない?女の子同士!』
帰ってきた彼女が、当然のように控室に居た傭兵たちから出待ちされ、質問攻めにされたからだ。
田舎育ちのアルテミシアは、多くの人に詰め寄られた経験がまるでない。あたふたと混乱し、答えるのにまるで要領を得なかったが……
『あんたたち、ちょっとはその子のこと考えなよ。時間はあるんだ、一人ずつでいいんじゃないのかい?』
その中でただ一人、冷静な女性の傭兵の一言で場が収まり、アルテミシアは何とか窮地を脱することができた。もっとも、余裕がなかったためにその後のセツナと傭兵たちの戦いはほとんど目に入らなかったのだが。
今のアルテミシアは、仮免許取得のための最終試験である面接を受けるべく、控室で待機している。この試験では、そのギルドのギルドマスターが直に面接を請け負うことになっている。個別、あるいは数人という少人数……具体的にはパーティー単位での控室が用意されており、それぞれが面接前の準備を行うための部屋となっている。これは、少しでも傭兵たちに試験以外のことでメンタルが乱されないようにするための配慮だ。
この試験では受け答えに窮してしまうと、傭兵として緊張に耐えられないという評価につながり、試験に落ちてしまう可能性もあるのだとか。ただ、この試験は落とすための試験というわけではない。あくまでギルドマスターがその傭兵の人格を直に確認するための場である。
彼女もまた、落ち着きを取り戻すため、自身の拳を胸のあたりにあてて、深呼吸する。
少しづつ、丁寧に。高ぶった心を落ち着かせようと試みる。彼女のルーティーン。本当は、狩りの前に行うものだが。
なかなか高ぶりがぬぐえない。
緊張からなのか、それとも。
「アルテミシア様、ご準備をお願いします。」
「あ、ああ。」
それゆえに、彼女は自身の中で感じた小さな違和感を見逃した。
受験番号ではなく、名前で職員から呼ばれたことを。
* * *
「失礼します。アルテミシア様をお連れしました。」
「どうぞ、お入りください。」
スーツを着た女性のギルド職員がアルテミシアを先導する。連れてこられたのはギルドの13階だ。他の階層と違い、廊下は傭兵ギルドのイメージカラーである明るい青で統一され、装飾もどこか高貴だ。廊下を照らす魔石灯一つとってみても、細部までこだわりのある仕上がりとなっている。アルテミシアの眼は狩人の眼。
高い視力と観察力を併せ持つ彼女の視覚は、他の階層よりも間違いなく高貴であるということを見抜いていた。
「……失礼する。」
中にいるであろうギルドマスターに一言告げて、中に入る。
部屋の中は控えめな装飾だが、どれをとっても一級品であることが、パッと見ただけでもわかった。目に入ってくる情報量がまるで異なるからだ。気合が入っている。入りすぎている。
「ようこそおいでくださいました。どうそ、席に。」
(━━━━っ。)
そして、アルテミシアは直感した。
これは、試験ではない。なにか違う、予期しないものだ。
ギルドで初めて会ったとき、アルテミシアは”彼女がギルドマスターか”と、そう思えるほどの力量の片鱗を垣間見た。契約魔術の力量が、あまりにも異次元であったためだ。
アルテミシアは見逃さなかった。普通契約術式はその複雑さと難しさから、普通は刻印術式と併用したハンコのような魔具を使用する。これは契約内容をあらかじめ記憶させたものであり、ギルドで行われる契約……不特定多数の人間が毎日のように行う契約などに使われる。
しかし、ギルドマスター・キヤフは、セツナとの契約のさい、セツナですら気づかぬ一瞬のうちに編纂を終え、ハンコに偽装して契約術式を行使していた。しかも、これをアルテミシアのように”偽装”させていなかった。驚異的な速度、かつ繊細な編纂ゆえに、魔力波動が一切表に出ていなかったのだ。
アルテミシアも偶然キヤフの手元を見ていなければ、何の変哲もないハンコの裏に、術式によって作り出された契約術式の魔法陣が浮かび上がったことに気づけなかっただろう。
とはいえ、とはいえだ。ギルドマスターが規格外なのはゼンを時折尋ねに来る北部ギルドの統括ギルドマスター・サンキアを見ていればわかっていたことだ。彼らは息をするように理解を超えた所業を行う。
ただ、わかっていたとしても、アルテミシアは今、目の前にいる人物が、本当に窓口で応対していた”あの”キヤフ・モナークなのか、わからなかった。
見た目は、数時間前に試験の受付をしてくれた時とまるで変わらない。変わらないというのに、違いが分かってしまう。形容できない、何かが違うということを。
「………わ、わかった。……失礼する。」
我に返ったアルテミシアは用意されていた席に座る。椅子は高級品であり、座り心地はとてもよかったのだが、その感触に浸る余裕を、アルテミシアは持っていなかった。
汗が、止まらない。彼女の背中は、いま冷や汗が滝のように流れ出ている。のどがカラカラに乾く。
まるで、絶対強者に獲物として品定めされているような、そんな感覚に陥る。
「……なるほど、違いに気づいて居られているようですね。
威圧するつもりは、無かったのですが。」
緊張が伝わっていたのか、キヤフは優しい笑みを浮かべながらぱちり、と指を一つ鳴らした。
先ほどまでの閉塞感が、嘘のように消え去った。どこか、彼女の本質がどこかへと移ったかのような。そんな印象を受ける。アルテミシアは、確信した。普段、あのギルドに居るギルドマスターは、虚像だ。
「これで、楽になりましたか?」
「ああ。……ずいぶんと。」
「申し訳ありません。あなたほどの人材を、一目、しっかりと見ておきたかったもので。」
「……私が未熟なのが、いけなかったことだ。貴方のせいでは……」
彼女は何らかの方法で、自身を投影している。ただそこにいるだけで、あれほどの閉塞感を与えてしまうほどの実力。アルテミシアだから気が付いたということもあるのだろうが、気が付いてしまうごく一部の人間にとってはたまったものではない。ゆえに、普段は虚像を使っているのだろう。
……その影であっても、途方もないほどの実力を匂わせるというのに。
父と慕うゼンでも、あんなことにはならない。世界各地に点在する傭兵ギルドを束ねる中央統括ギルドマスター・キヤフ。まさしく、すべての傭兵の頂点であると、アルテミシアは実感した。
「さて、本題に入りましょうか。もう、気づいて居られるとは思いますが。これは試験ではありません。
……面接という体裁をとっているだけで、実態は勧誘です。」
アルテミシアが予想していることを、的確に当ててくる。
観察の技量も、まるで違う。人の表情の微細な変化や、その立ち振る舞いから、その思考を読み取る技術があるとは聞く。傭兵ギルドのギルドマスターともなればその程度のことは可能なのだろう。
アルテミシアはキヤフに対して緊張を抱くのは無駄だと理解した。諦観にも似た悟り。
キヤフが決定したことに、アルテミシアは逆らえない。それだけ、実力も権力も、かけ離れている。
「アルテミシアさん。貴方を、ギルドの『特務職員』に勧誘したいと考えています。」
そんな人物からの勧誘など、”決定事項”と何が違うのだろう。
アルテミシアは、どこか他人事のように、そう思った。