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大霊洞は、その名が示すとおりに広い、広大な地下迷宮だ。あの亀裂ですらなかなか大きかったのだが、大霊洞の外縁はそれこそ央都セントラルの外縁をはるかに超えた先にあるとされている。
セントラルで地下を掘ることが可能な限り禁じられているのは、単純に落盤の危険性があるだけではなく、万が一通路が開通してしまった場合、一般人(Fランク)では到底対処不可能な化け物が地上にあふれるからである。
これが理由で、上部に向けての攻撃や、地面を陥没させる恐れのある攻撃は厳禁となっている。
大霊洞の入り口の亀裂から、数百メートル下ったところから、迷宮は始まる。ロープもなしに飛び降りたセツナは、地面に衝突する直前でふわりと減速して着地した。魔力を用いた、念力の応用である。
セツナは魔力の直接操作に関して、一定以上の才があった。ここまで鍛え上げるのにはそれこそ血のにじむような特訓があったわけだが、おかげで彼女は単独行動を行う上では実に便利な技能をいくつも習得している。今の念力だってそうだ。
それができない者のために縄梯子やゴンドラなどもあるわけだが、飛び込み台のようなものまであることから、セツナはBランクともなるとやっぱり飛び降りる者はちらほらいるのだろう、と思った。……地面にわずかに残っている赤黒い染みについては、気にしないことにした。
地下は暗い。やはりというべきか、灯りというべきものはほとんどない。はるか上から漏れ出る光だけではどうにもならない。頭部に着けたライトは有用だったようだ。魔力を流し込むだけで勝手に起動してくれるため、セツナ自身が魔術やら何やらを使う必要がないのも高評価である。道中では結構魔力を喰うことになるかもしれなかったが、セツナは戦闘において魔術を使わず、魔力を基本消費しないので相性も良かった。
幸いにして、大霊洞の坑道は今のところ、刀を振り回しても余裕がある程度には広かった。狭ければ徒手空拳になるわけだが、刀が使えたほうがいいに決まっている。よかった……と胸をなでおろしながらも、人の気配のまだ多い入り口付近から、少し離れた場所に向かうと……セツナは自身に向かってくる魔力反応を察知した。
遠目に見える影。造形からして人間ではない。セツナはそっと、バックパックをおろし、腰の刀に手をかける。
やがて現れたのは、薄い紫色の水晶を体のところどころに付着させた、白いカマキリのような魔物だった。鎌一つにしても、人間よりも大きい。鎌を含めれば全長3mほどはあるような大きな魔物だ。
ケイヴマンティス。大霊洞だけではない、一般的な魔物のうちの一種。その大きな鎌は簡単に鉄を切り裂き、半端な傭兵など防御の上から両断するほどの高い攻撃性を秘めている。平均位階はBランク。なるほど、危険度Bである大霊洞の序盤としては、妥当な難易度だとセツナは思った。
しかし、個体の難易度はBでもこの坑道では会いたくなかったなぁ、とも彼女は思う。
ケイヴマンティスは攻撃性だけを見るならAランクの評価……つまり、”位階違い”の力量を持つ凶悪な攻撃性を持つ。代わりに、遠距離攻撃手段を持たず、防御手段もない。一応避けるが、追尾式の魔力弾や投擲物など喰らってはたまったものではないだろう。
代わりに、高い近接戦戦闘力を持つ。よしんばあの鎌の猛攻を潜り抜けて細く見えるあの胴体に一撃叩き込んでも、ダメージが通りにくい。あの大きな鎌を振るうための細くも強靭に過ぎる身体組織と甲殻によって、特に腕や足などの関節部は守られている。火に弱いのはそうだが、洞窟では一部環境を除いて火を見る機会などめったにないだろう。そしてセツナはあのカマキリを火あぶりにするような手段は持ち合わせていない。
耳障りな甲高い咆哮とともに、重いいっきり大きく鎌を振るってくるのを、セツナは跳躍して回避する。洞窟の壁に当たるなどという懸念は、こいつには存在しない。バターか何かのように洞窟の壁の方が引き裂かれるのだから、挙動を邪魔されることはないのだ。
高さ4mほどにある洞窟の天井にやすやすと到達するセツナは、相手の行動を目で追うことなく、間髪入れずに自身の動きを捉えて振るってきたもう一撃の鎌による攻撃を、天井を蹴って跳躍して躱した。
この魔物は高い頻度で連撃を仕掛けてくる。というより、片方の鎌を大きく振るった隙を、もう一方の鎌による攻撃でカバーし、これを左右交互に繰り返すことで隙を埋めようという節が見られる。
隙が完全にないかと言われればそうではないが、セツナでは倒しきれないような隙だ。下手に懐に飛び込んで一太刀入れても、次の瞬間には十字に引き裂かれるだろう。
「ふっ!!」
天井を蹴ってカマキリの後方に回り込むようにして着地するセツナを、振り返りざまの右の鎌による横薙ぎ払い、それを回避するようにしゃがみこんだところを左の鎌が袈裟斬りの要領で狙ってくる。それを地面を転がるようにして避けたセツナは、今が好機と、言わんばかりに、カマキリの鎌にめがけて何かを投げつけた。
このカマキリを体一つに倒せ、とセツナが言われてできるのは、ちょこまかヒットアンドアウェイをするか、魔力を消耗するが大きな威力の一撃を鎌の範囲外からたたきつけるくらいしかできない。
それで帰るのならまるで問題ないのだが、ここには数日滞在するため、下手な消耗は極力控えたかった。本気では戦うが、もてる手段を無制限に、というわけにはいかないのだ。
よって、彼女が道具に頼るのは、当然の帰結である。
ビカァッ!!と閃光がはじける。太陽の光よりも何十倍も強い閃光が、右の鎌に命中した石から発せられた。目を閉じても対応はできない。ましては瞼がないケイヴマンティスには不可避な代物であった。
閃光石。セツナが大商業施設・メビウスで購入したアイテムの一つである。
この石は割れるととてつもない閃光を数秒間発するもので、下手に直視すれば失明は免れないものだ。本来は鉱山系の地形で見られる自然の罠ともいうべき凶悪な代物だったのだが、一応専用の魔法で無効化できるので、その手の鉱山に行けば掘り放題の代物となった。大霊洞でも採掘可能らしいが、セツナはここに来るのが初めてなので、どこでどう掘ればこれが出てくるのかわからない。
そして、その専用の魔法、というのが瞼に魔力を通す、身体強化だ。
遮光性を上げることで、本来目を閉じるだけでは対応できないような光でも無理やり対応できるようにする、というものである。
ともあれ、瞼がなく、洞窟にいるということで強烈な光への耐性を持たないケイヴマンティスには、地獄の世な代物であることには変わりない。閃光が終わり、目を開くと、そこら中に鎌を振り回して暴れるカマキリの姿が見える。そして、セツナの姿は捉えられていない。
これで倒せないことは、ありえない。セツナは腰に差したままの刀に手をかけ、ゆっくりじっくり魔力を練り、溜めた一撃で大きな隙をさらし続けるカマキリの命脈を、一刀にて途絶えさせた。
閃光石
本来は入手難易度Cランクの代物。大量の光を蓄えており、割れるとそれを外に放出する。
市場に出回っているのは光を込めなおしたもので、天然物の光量はそれの比ではない。時折ランクの高い地域でも採れることがある。
超高難易度地域でみられる天然物の閃光石の光を受けると謎の体調不良ののちに死に至るという呪い染みた噂話がある。