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「………もう、半分は、過ぎたと思いますが。」
一向に景色は変わらない。起伏のない坂道。後ろを振り向けば、自身が歩んできた足跡がかろうじてわかる程度。声が曇っている。耐圧効果のある護符や装備のおかげでセツナは平然としていられるが、それがなければ襲い来る不調によって動くことは困難になっていただろう。
音が聞こえにくいのがその証拠。すでに圧力は低く、代わりに大気が半分液状となって沈殿している。
普通減圧下では気温が低くとも圧力が低ければ気体として存在するはずの物質でも、こうして地表近くを流動しており、通常の法則にない世界となっているのは間違いないだろう。
少しずつ、音が減っていく。風の音がやみ始めたころには、感じられるのは己の身体を介しての音だけとなっていた。
「………来ますか。」
そんな中で、セツナは自身に近づいてくるモノを見つけた。
かすかの地響き。巨大な体躯であることうかがわせるほどの振動が、地を通して感じられる。斜面の向こう側から、それはセツナめがけてやってくる。
「……っ!!」
姿を把握しようとして、セツナは視力を強化しようとしたが……直前で身体強化を発動して右側へと大きく跳躍した。
同時、シュパァアアン!!という音とともにセツナのすぐ左を通り過ぎる飛翔体があった。セツナには攻撃は見えなかったが、自身に対して”何か”を向けられたのをセツナは照射された魔力で理解したのだ。
魔力を用いた位置探知。これは一定数の魔物が行ってくる基本的な技術だが、この遠距離、1kmは有ろうかという距離からの狙撃とは恐れ入る。そして、その長遠距離からであっても、セツナはその飛翔体を見切れない。速度域はすでにセツナの感知外。つまりセツナはどの距離であってもあの飛翔体を見てから避けることはかなわない。
「近づかなければ、勝機なし、ですか!」
そして、そんな遠距離に居る敵に対する攻撃手段を、セツナは持ち合わせない。
彼女に許されるのは、攻撃を事前察知しての回避を行いつつ、敵の近くへと寄り、近接戦闘を行うこと。
戦闘を行うことすら無謀な敵だが、どうにかしなければセツナは静寂点までたどり着けない。
この個体を迂回するのは不可能だ。それはすでに、長距離探知能力と狙撃能力によってわかり切っているのだ。
「……ッ!!」
再びの魔力の照射。セツナの体に悪寒が走る。今度は右に回避を行うと、彼女が先ほどまでいた位置から、若干左にめがけて攻撃が放たれた。
敵の全容はわからないが、少なくともこれはセツナの回避挙動を学習しようと試みている。
「なるほど……これは、すさまじい……!」
冷や汗が額で凍るのも気にせず、セツナは笑みを浮かべて突っ走る。今までのそれと比べればなんてことはない。たった1000mのデスレース。先に読み負けるか、たどり着くかの勝負。
セツナは一瞬の判断に命を賭す、その危険な賭けに嬉々として身を投じた。
* * *
「『オールドギア・スローター』…現在も魔物か"兵器"なのか、分別の付きにくい存在の一つ。
連山でも多数の目撃証言があるが…より多くの生命反応のある場所へ赴く性質上、この個体とセツナ嬢が今回会敵することはあり得なかったはずだ。
やはり、ゼン先生の差金か。」
「であろうな。なかなか酷なことをする。命を落としてもおかしくはない…と言うより、ほとんど必然だろう。
……普通ならばな。」
連山の麓の街、クーユルド。多くの傭兵たちが嵐山へ向けて出立するこの街にある、ただ一つの道場。
戦士の館、と呼ばれるその場所には、今は広すぎる建物にはそぐわず、たった二人しか居なかった。その日の道場は休みであったので、門下の生徒が少ないのは当然のことである。
一人は、つい先日セツナに伝言を与えたサンキア・ニグラだ。そして、もう一人は、緑色の長髪の女性である。静謐な雰囲気を持つ彼女だが、その感じられる静けさと、口調の快活さはかみ合わない。
見えているものがすべてではないにせよ、彼女と相対したモノすべてが、彼女の纏う違和感に気が付くだろう。
「……ウィン殿には、セツナ嬢があれを突破できるようにみえると?」
サンキアは、セツナの試練の突破には否定的な見解を持っている。いくらセツナが規格外でも、あれと戦って勝利を収める手段はないだろう、と。彼女が見せたあの”覚醒”をもってしてもだ。
「サンキア。君に逆に問おう。彼女の何を見れば、アレを突破できないと思えるのだね?」
「それは……実力、経験、今現在の疲労度、装備も鑑みて……だが。」
もっともなサンキアの意見を、ウィンと呼ばれた女性は一笑に付した。
「いいや。それは理由足りえない。」
「……なぜか聞いても?」
彼女が、あまりにも自信たっぷりに言うので、サンキアは理由を聞いてしまう。
ウィンの、不可解なセツナへの信頼が、サンキアにはわからなかった。
「……いいとも。
簡単な話だ。彼女の勝利条件は、あれを倒すことではないからな。」
「………まさか。
いや、だが……彼女にその弱点が見極められるとは思えない。」
ウィンが軽く種明かしをすると、サンキアもその意図を掴んだ。だが、つかんだうえでサンキアにはどうしても不可能だと思わざるを得ない。たとえ見極められたとして、いったいどうするつもりだというのだろう。
「見つけられるさ。……サンキア。彼女は君が思っているよりも、ずっと深い世界が見えている。」
「………彼女は、いったい。」
セツナ・レイン。彼女の深奥がどこまで深いのか、サンキアには理解できなかった。
だが、それを察しているウィンが言うのならば、間違いないのだろう。彼女は人材育成という点ではサンキアとは話にならないほど経験を積んでいる。
ウィン・ヴィカイン。東方征討騎士団・騎士団長。その二つ名は『真地』。今は療養中という名目で、冬の村に滞在している……まぎれもない世界最強の一角。
そして、セツナが師事したという、天衣無縫の花嫁として知られている。
「あの人と同じだよ。ついて行っているカイヤ殿も分かっておられない様子だけど。
……彼女は人でなしのように見えるんじゃなくて、すでに人でなしなんだよ。」
「━━━━━。」
サンキアは、言葉が出なかった。もしそれが本当であれば、セツナ・レインという少女は人類の新たな可能性であると同時に、災厄の予兆でもある。自覚なしに、彼女は”英雄の条件”を満たしているということになる。
おそらく、そのことにはゼンも気が付いているだろう。只の試練では意味がないことを知っている。英雄たるものであれば、この程度の試練は超えて見せよ、ということなのだろう。
「……キヤフの胃が心配になるな。」
「今回の件でしばらく治療薬が手放せなくなるだろうね。」
「違いないな。」
哀れな中央統括ギルドマスターの冥福を祈りながら、二人して館の窓からファールス連山を見上げる。常人では見えるはずのないセツナの冒険を、まるで見守っているかのように。




