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「はぁ……っ、はぁ……ぁ、っ、ぅっ…………!」


 静寂点も近く、彼女の呼吸が荒くなる。

 酸素はおろか、大気はそのほとんどが存在しない。今のセツナが呼吸を成り立たせているのは、足元に充満している気体から液体になりかけている大気の一部を吸い上げる魔道具による存在だ。


 正常な大気を周囲から選別して吸い上げる魔力式対極地用マスクさらに上から装着した彼女であるが、さらに魔力消費量は上がっている。そのため、吸い上げることができる大気にも限度があるのだ。


 最大の難関である2000mの崖を上り切った彼女に待つのは、静寂点までの道のりのみ。


 疲労はすでに限界に達していたが、それとは逆に、彼女の眼に映る光は、より強く、鮮烈になっていた。

 一歩進むごとに、命が削れるような感覚。全身が悲鳴を上げ、意識が揺らぐ。


 対低温、対低圧、極地における呼吸補助など、生命維持に必要な魔力を彼女はぎりぎりで供給している。戦闘に運用できる魔力など絶無だろう。


 しかし、セツナの集めた事前情報では、このルートに主だった魔物はもはや存在しない。静寂点にたどり着けば魔物も多いだろうが、この地形は静寂点から吹き降ろされる風が強いほか、地形が平坦に近く、草木も生えていない。風を遮るものがないので、地上を闊歩する魔物は少なく、それを餌にする雪下の魔物も少ない。


 1合目から2合目にかけて、セツナは逃走用のアイテムのほとんどを使い切っており、あれだけパンパンだったバックパックも今や軽くなっている。食料が少しと、緊急用のテントと治療薬、信号弾、それとスノーキャット、今彼女のバックパックとアイテムホルスターに入っている内容物はそれだけだ。


 疲労をごまかすためのポーションや、魔力の回復をわずかに促進させるポーションなどは、すでに飲み切っており、加えて効果も切れている。体温維持の効能のあるポーションは効果が残っているが、それもいつまで続くかわからない。


(……付け焼刃、ですが。やらないよりは、マシでしたね……)


 セツナは絶壁を上る間、魔力の節制手段について考えを巡らせていたが、ついにその答えを掴むことはなかった。思い返したのは、師の言葉。強靭な心の支えを作り、それを頼りとせよ、というものだ。


 セツナにできたのは、魔力の循環をより精密に行うことであった。

 今までもセツナの操作は高精度であったが、彼女の肉体から漏れだす魔力は、わずかだが存在していた。身体強化や力の流動を行う際にもそれはあるが、本来それは無視できるほど小さいものであったはずだ。


 しかし、その無視できるほど小さなものでも、塵も積もれば山となる。久しぶりに感じた慢性的な魔力の枯渇により、逆に漏れ出す少量の魔力にも気づきやすくなった。


 ……思えば、スノーキャットもこの魔力漏れによってセツナの魔力にさらされ、彼女の魔力を喰う特性を得たのかもしれない。スノーキャットをカバンに気づかずに入れていた間、セツナはせわしなく身体強化を使いまくりながら入山と下山を繰り返していたので、間違いないだろう。


 今は食べてはいないようだが、カバンの中でもぞもぞ動くこの愛くるしい毛玉は、確かにセツナの魔力を内包している。仮説としては、間違っていないように思えた。


 ほんのわずかだが、魔力の節約法を見出したセツナだが、それでも、魔力は枯渇寸前であった。

 これ以上の消耗は、環境の魔力に抵抗できなくなる。そうなれば彼女など、一瞬で氷像と化すだろう。


 限度いっぱい。セツナは綱渡りのような、魔力のやりくりを行いながら、先へと進み続ける。


 あと、2000mと少し。彼女の絶望的な道行にも、ようやく光が見えてきた。


「………え?」


 そんな折に、セツナは遠目に何か不穏な影を見た。平坦な地形がまっすぐ上まで続いているように見えるこの領域の先に、何か見える。


 何かが動いている。


 まっすぐ、こちらに向かっている。


「━━━━━━っ」


 セツナの行動は速かった。その物体が何であれ、はっきりと目に映る前に逃れる判断をした自分自身をほめてやりたいと思った。


 液化寸前まで冷やされた超低温の大気が吹き降ろすこの地獄のような雪原には魔物は居ないはずだ。だが、もしも存在しているというのなら。


 ……それは、”静寂点”から降りてきた、途方もない化け物ということになる。


 静寂点以降の魔物の平均脅威度はSSランク。あのウッドパラサイターがそのランクに属する。アレは命名指定級だったので手ごわさでいえばそれ以下の魔物の方が多いだろうが。アレはただ相性が良かっただけに過ぎない。


 隠れるための障害物が極端に少ないセツナがに取れる手段は少ない。ここでようやく、あの緊急用のテントが役に立つ。バックパックから素早く取り出し、ろくに組み立てもせずその布だけを上から自身にかぶせる。


 周囲の環境に偽装されるそのテントは少量の魔力で周辺の環境的脅威から身を守り、周囲の魔物にも発見されづらいかく乱効果をも有している。


 ただし時間制限付きだ。6時間も経てばその効果は失われる。継続してその効果を使用することはできない。まさに”緊急用”というやつだ。製品名を”極地の安らぎ”。ここ以上の極限の環境を行く冒険者でも利用する、まぎれもない逸品である。


(……何者であれ、今見つかるのは危険すぎる……やり過ごすしか、ないみたいですが……)


 ずん、ずんと地響きのような足音があたりにこだましている。

 布をかぶったまま動くのは、周辺の状況がわからず、危険だ。


(………っ、まずい、意識、が。)


 しかし、それよりも深刻なのはセツナの疲労だ。絶え間なく動き、意識を保ち続けていた彼女の意識だが、一時の安全地帯を得たことと、低姿勢となり動かなくなったことで、彼女の緊張の糸が切れかかっているようだ。


(………おきなけれ、ば……)


 極限地帯での行軍は彼女から相応の体力を奪っていた。歩くのも、本来ならば限界だっただろう。眠気覚ましはもうない。強烈な眠気に、抗う手段はセツナにはない。


(せめ、て……)

 

 揺らぐ意識の中、セツナにできたのは、風で”極地の安らぎ”がめくれてとばないように、組み立て用の杭を1本突き刺すことくらいであった。


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