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「………っ、ごほっ、ぁっ……くっ……!」


肺に痛みが走る。咳が止まらない。もう何度目だろうか、セツナは肺が凍り付くような感覚を覚え続けていた。彼女がつけているマスクは極低温の大気を、呼吸可能な温度にまで引き上げるマスクだ。


 しかし、呼吸量が多くなればなるほど、当然消耗する魔力は増える。上り始めて早半日、登山開始から数えると、1日半。セツナは絶えず足を止めていない。


 当然、息も上がってくる。精神的な疲労による魔力出力の低下と、要求呼吸量の増加による、要求魔力の増大は、セツナの体にじわじわとダメージを与え続けていた。


 体内を一定温度に保つポーションの効果により、体そのものが凍り付くことはまだないにしても、呼吸器へのダメージは直接セツナの生命にかかわる。上り切るために必要な体力が、失われ続ける。


 それでも、彼女は手を止めなかった。岩肌を掴み、上り、何もなければハーネスを叩き込み、無理やり足場を作ってその先へ。時折吹き降ろされる地獄の吹雪を耐え忍びながら、彼女は自身の意気を保ち続ける。


「ふぅ……っ、ふぅ……っ!」


 まだ、終われない。

 セツナの眼から、光は失われない。


 心が折れれば、意志に呼応する魔力は彼女に力を与えず、命運が尽きるだろう。

 極限の状況の中で、セツナは笑みすら浮かべながら、過去の情景を幻視した。



*   *   *


『ちび弟子。お前の中の芯ってのを、そろそろつかんでおく頃合いだな。』

『芯、ですか?』


 それは、イーストエリアに存在する大国・華国の傭兵たちが修練場所として利用する華国領の幻想領域・煙仙山と呼ばれる地でのことだった。


 当時12歳にもなった私は、すでに傭兵稼業を始めており、実績を積み重ねながらも鍛錬の日々だった。師からは基礎のほとんどを教わり、戦闘の心構えを教わり、今は教わった事を自分のものとするため、研鑽の日々を続けていた。


 煙仙山は幻想領域でありながら、ほとんど魔物も生息せず、有用な資源も得ることはできない。

 その割には、環境も過酷だ。今は中層……標高2000m付近にいるのだが、大気も薄く、重力も地上の4倍近くある。魔力密度はAランク。もう7年以上も魔力操作に関する修行を続けてきた私でも、気を抜けば環境の魔力が浸透し、魔力酔いを起こすだろう。


 そんな私は、ふいに師匠が告げた言葉に鍛錬の手を止めた。単純に意味が理解できなかった。あと、私はちびじゃない。身長が2mほどもある師匠が高すぎるだけだ。


『おう。

 今のお前は、率直に言ってCランクを名乗っちゃいけねぇ強さに片足を踏み込んでやがる。


 それは、俺がお前を鍛えてやったからだが……そのおかげで、お前はこれから、自分のステータスを超える厳しさの環境に多く身を置くことになるだろう。冒険者になるってんなら、それこそそれが普通になる。

 だがよ。それは同時に、お前の弱さにもなりやがる。』


『……と、いいますと?』


『単純な話だ。お前の今のステータスはCだが、Aランクの環境にも、お前が全力を出せば耐えられるだろう。だが、”全力を出せなければ”どうなる。』


『……死にますね。』


 対して師匠は片手で逆立ちしながら、大岩をつま先の上にのせて腕立て伏せを続け、手を止めずに話を続ける。汗一つかいていないのは人外の証。何年も付き合い続けてきて、私は彼が途方もない化け物であることに薄々感づいていた。今更驚かない。


 ここの重力は、地上の四倍ほどもある。私は若干の身体強化を常に発動し続けている。そして、私は身体強化を切らしてしまうと、血が体の下側に偏って気絶の危険があるからだ。Cランクになり、Fランクだったころとは比べ物にならないほどの身体能力を得た私でも、この領域は死地になり得る。


『そうだ。お前は死ぬ。自身の実力を完全に発揮しなければ死ぬ場所で、最大限発揮できないわけだからな。

 そうさ。今俺がお前に教えてやってるのは、意志の力によって発現する、魔力を用いた技術だ。

 今、多くを知らねぇお前の力の源は、お前自身の心の強さに依存しやがる。


 ……だから、芯が必要なんだ。強く、折れねぇ、お前の力を支え切る強い心の支えがな。』


 そうだ。必要だ。私は言葉をきっかけに、自身を見詰めなおした。

 何年も修行を重ね、己の魂と対話を重ね続けた。

 

 そして、私はついに、自身の魂の奥底に燃え盛る炎のような意志の根源を見つけたのだ。



*   *   *


(………この娘は、英雄になる。)


 セツナの異常性を最も理解している者が誰であるのか。この瞬間、この時点であれば、彼女の後方400m下の崖を、強力な魔力察知能力を持つ彼女の探知にかからないよう、魔力を全く使わず、己の身体能力のみでこの絶望的な環境に立ち向かっている黒髪の男であろう。


 ギルドが有する特務職員。コードネーム『狼』。実名は『カイヤ』。約100年前の大迫害によって絶滅したとされる”人狼”最後の生き残りである。彼のあまりにも複雑な身の上はさておき、彼はセツナでは耐えられないような極限の環境をXXランク(まぎれもない人外)というステータスの暴力でねじ伏せながら、彼女の様子を観察していた。


 当初、彼女の動向の監視を要請されたとき、彼はキヤフの『いつもの期待』かと思いながらも、粛々と業務を全うしていたが、初めに彼女の異常性に気が付いたのは数か月前、アウルムの森でワードと森林探索を行う二人の姿を見ていた時であった。


 彼女は獲物を振るうことなく、苦も無く同格の魔物を素手で仕留めていたが、その時に感じた恐ろしさを今も覚えている。


 彼女には卓越した魔力操作技能がある。それはそうだ。だが、彼の眼には彼女の体内に存在する、すべての魔力が彼女に呼応して動いているように感じたのだ。


 これは”人類”では不可能だ。魔物ではない、厳密に分類されるなら魔獣である人類種は魔力の制御は可能であっても、自分の意識で制御できる魔力量には限界がある。魔力の何割かは意識的な活動では呼応しない無意識に呼応するものもあるからだ。もちろん生命の危機に瀕した時などは、一時的にすべての魔力を操作する事例も見るが、これを自覚して行う者はいないだろう。


 これができるのはスライムのような魔物、無機物に魂だけを宿したような存在だったり、高度な意識を持たないエレメンタルのような魔物くらいだ。それ以外の存在では高度に複雑な意識を持つため、これができない。


 だが、彼女はさも当然であるかのように、それを行使する。周りは誰も気が付いていない。

 このことは、ギルドマスターにも報告していない。……もしもこの事実が公になれば、彼女は”魔物”として処理される可能性があるからだ。

 

 控えめに言って、彼女の才覚はこの世に在ってはならない類のものだ。彼女の精神に何ら異常は見られない。人間と同じ意識的活動をしているはずなのに、彼女は自身の魔力をすべて制御下に置くことができる技能を有している。つまりそれは、自己を完全に支配していることに他ならない。


 何をすれば、それを成し遂げられるのか。彼は理解しがたい怪奇現象を引き起こし続けるセツナをずっと観察し続けていた。


 そして今も。彼女の新たな可能性を目撃する。


(彼女は、人間だ。どこまで行っても、人間でしかない。)


(だというのに、彼女はどうして、ここまで”人でなし”になれる。)


 セツナは自身の死の間際であっても、笑みを崩さなかった。笑みを浮かべ、上へ上へと手を伸ばし、極限の状況の中で喜びすらも感じている。


 彼女の情念に呼応して、魔力が震えている。それは並の者では察知できないものであったが、彼はそれを察知できた。


(楽しんでいるのか。この状況を。)


 その波動はかすかなものであったが、彼女の狂気的な歓喜を感じ取った彼は、魂の奥底から魔力を絞り出して先へ進み続ける彼女の後を追う。魔力が切れれば死ぬという、絶望するには簡単すぎる状況の中で、どうして楽しめるのか、彼には理解できなかったが。


(……常識を平然と踏み越える英雄を、俺は何度も見てきた。)

(今回もそうだ。……『剣術姫』、『逸拳』、『凱旋』、『覇穿』、『穣呪』……彼らと同じか、それ以上のものを秘めているように感じる。)


 今まで成長を見届けてきた多くの英雄たちのように、彼女も突き進むのだろう。


(見届けよう。……この少女が、いかにして世界を屈服させるのか。)


 彼はそんな彼女が死ぬことだけはないように、彼もまた、セツナの冒険に付き合うべく、上へ上へと手を伸ばした。




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