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「へっ?」
「みゅっ!!!」
その時、セツナの時間は確かに凍り付いた。
支度金で大量に購入したアイテムや装備を整理するために、ひとまずバックパックを開いたセツナ。いくつかアイテムを取り出し、最後の一つ、中くらいの箱のようなアイテムを取り出したところだった。
箱を取り出し、カバンの底が見えたその時、そこにへばりついていた白い毛玉が飛び出し、セツナにまとわりついたのだ。
まったく想定外の出来事に、完全に彼女は虚を突かれた形となった。数秒間固まった後で、セツナはようやく状況を理解したのである。
「みゅっみゅっ!」
「す、スノーキャット?!まさか……」
セツナの心当たりは、三日前のあの洞窟である。あれ以来時折バックパックを開いていたが、何分大荷物だったのでカバンの底を確認することはなかったのだ。セツナが今手に持っている箱は、簡易のテント作成キットだ。野営に使うのだが、これを取り出す機会が訪れなかったのも原因に起因するのだろう。
どんな小さな隙間にも入り込む……そう謳われていたが、まさかカバンの底に入り込むとは、思いもよらなかった。
「みゅ~~!みゅみゅっ、みゅ~~~~!!」
セツナがどういうわけだと思考している間にも、スノーキャットは彼女の服の中を這いずり回る。動きがかなり機敏になっているのもそうだったのだが、さらなる異常に気が付いた。ほんのわずか、毛ほどの変化だが、スノーキャットにセツナの魔力が流れ込んでいたのだ。
「……私の魔力を、食っている……?まったく、この子は……!ふぬぬぬ……!」
「み”ゅう”う”う”……!」
ほとんどないが、セツナの胸の中に入り込もうとした不届き者を力づくで引きはがそうとするが、なかなか離れない。こんなに強い生き物ではなかったはずであった。軽く立ち上がっただけでセツナの身体から転げ落ちる程度の、Fランクの魔物が、どうしてこんなトリモチのような粘着力を兼ね備えるに至ったのか。
セツナには、心当たりが一つだけあった。魔物、あるいは魔獣の進化である。
「……はぁ、あなたにはあとで構いますから、邪魔だけはしないでください。」
「みゅっ!」
とはいえ、こんなことに考えを割いている時間はあまりなかった。
このことは後でギルドに報告することにして、セツナは支度を急ぐことにした。このトリモチもどきを引きはがすのに体力も使ってられなかったのである。
肩の上に乗るような形でセツナに頬ずりをするスノーキャットを尻目に、セツナは荷物の中身を入れ替えていく。
ギルドマスターが支度金として用意した金額は、Bランク傭兵が持つにはあまりの大金だが、中腹に行くための特殊装備やアイテムを持ち込むのであれば、相応といったところであった。
本来はセツナのようなBランク傭兵が向かう場所ではない。Sランク以上の傭兵が、パーティーを組んで綿密な準備の後に赴くような場所である。
とはいえ、セツナはこの過酷な旅に赴くための第一関門を、すでに突破していた。
それは、免許である。
「……取っておいて、正解でした。」
「みゅ?」
「食べたら死にますよ。食べるのは私の魔力だけにしてください。」
「みゅ?!」
セツナはBランクになってからセントラルに赴くまでの間に、多くの時間を修練と勉学に費やしてきた。
冒険には知識もつきものであるのもそうなのだが、切実な問題として、装備や所有するアイテムに制限をかけられないように、取得可能な最大限の免許を取り続ける必要があった。
前にセツナが使った無痛針は薬物毒物取り扱い免許……通称毒免許が必要な代物であったりする。
ほかにも、極度の凍土に挑むための装備には”特殊装備取り扱い免許”……通称特装免許が必要だったり、攻撃性が強かったり使い方を誤ると危険な場合がある攻撃性の高い魔具(爆裂瓶や爆瓶など)の取り扱いには、”指定魔具取り扱い免許”が必要になる。
各国家で取り扱いの異なるこれらの免許だが、国家や地域によってはギルドの定める免許を獲得していれば国際免許として機能することもある。セツナは馬車免許なども含めると12種の免許を取得している。資格マニアと言われてもぶっちゃけ反論できなかったりするのだ。
そんなセツナだが、今回は日ごろの苦労が役に立った。普通は手が届かない高度な装備にも、今は資金に余裕がある。必要な免許はすべてそろっているため、万全の態勢でセツナはこの凍土攻略を目指すことになる。
深海探索にも使われる、保温性の極めて高いマリファイト鉱石で作られたインナー装備、すり潰して一定の温度で熱することでゴムのような特性を得るこの鉱石を使った特注(セツナの体にぴったりと密着するように作らせた)のラバースーツのようなインナー装備を筆頭に、冬熊装備にアグニフラワーと呼ばれる、入手難度Sランクの特殊鉱物を溶かした糸を織り込ませて保温性と強度を大幅に上昇させた。なお、注文できるだけしておいたが、まさか本当に一日で終わるとは思っていなかったセツナは、相当腕のいい鍛冶師や裁縫師の存在を疑っている。どんな名工の手によるものか、セツナはちょっとだけ気になった。
マスクやゴーグルも上位品にアップグレードし、耐圧・耐低温効果を与えるポーションや刻印術式の含まれる護符を購入した。本来数千メートルごとに存在する高度への順応が必要な旅路なのだが、それを無視するため、セツナは金でそれを解決した形になる。
一方で、環境への対策はしつつも、火力……戦闘面に関しては一貫して愛刀一つで行く腹積もりであった。本来は武器のロストを想定していくつも装備を持っていくのがメジャーなのだが、セツナはパーティーを組んでおらず、積載限界があるのと、単純な彼女の”わがまま”によって武器はただ一つそれのみである。
調整を行い、何度も所持品点検を行ったセツナは、この日一日だけは、ゆっくり休むことになる。
もとより、4日という時間は短すぎるが、そこへ万全の準備もなしでは余計に難しくなる。
せめて準備だけでも万全に、セツナは自身の命の値段を安く値切るつもりだけは、なかった。
ゼンから借り受けている宿の一部屋で、横になるセツナ。装備調達に丸々一日を使ったので、許される休息は3時間程度。短いが、必要な休息だ。意識を深く沈め、ベッドの上で横になる。
「みゅぅ……」
「ん……抱き心地は、悪くないですね。」
そんな休息の中で、セツナはどうしてこの儚い命の白い毛玉の魔物がペットとしての人気を博しているのか、何となくわかったような気がしたのであった。