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「おい!おい!しっかりしろ!」
アルテミシアは、セツナが引き起こした大火災の中、炎に巻かれかけていた彼女を、かろうじて見つけ出し、運び出した。
セツナが投げつけたのは、太陽鉱。ワードとの探索の折、互いに素材を交換し合って判別しきれなかった素材の一つ。セツナがワードに判別を丸投げした素材の中に混じっていたものだ。
太陽鉱はワードの武器にも使われている、魔力を込められると熱を発する鉱物だ。雪の世界への探索ということで、カイロ代わりにワードから譲られたものだ。ひとかけらしかなかったので使い物にならなかったともいう。
それに大量の魔力を押し込んで投げつけたセツナ。あまりの魔力の密度に耐えきれず、太陽鉱は爆発四散し、強大な熱と爆風がウッドパラサイターの潜んでいた樹木を、周辺の木々ともども巻き込んで吹き飛ばしたのである。セツナのような魔法使いが、太陽鉱を使った武器で一度そのような事故を起こしたことがあることを、何かの記事で読んで覚えていたのだ。
代わりに、すべての魔力を使い切ったセツナは、満身創痍であった。とっさに口にアルテミシアが自分用に持っていたポーション類をねじ込み、全身にもかけたが、彼女が目を覚ます気配はない。
傷の治療は進行しているが、彼女の肌は病的なまでに白く、体温は少しずつ失われている。鼓動も、少しづつ、弱まりつつある。
「くッ、散らばった荷物に、ポーション類は他になかったか……?」
治療薬が足りない。彼女の血を補填するようなものが必要だと判断した彼女は、熱を保つためにセツナに自身の上着をかぶせ、初めに粉砕された荷馬車があった地点に向かおうとする。しかし、その場を離れようとしたその時。
『GYUAAAAAAAA!!!!!!』
悪夢のような咆哮と地響きが、燃え盛る森の中から響き渡った。
「まさか……」
あの爆発を受けて生きているとは、到底信じられなかった。
しかし事実として、燃え盛る森の中で、あの命名指定級の咆哮が聞こえているのだ。
「……?!」
地響きが、強くなる。アルテミシアには、それが何か不吉なものが現れようとしている前兆のように思えた。直感的に、意識に走る悪寒。
アルテミシアの決断は一瞬だった。
即座に武器を手放し、セツナを両腕で抱えて、大きく跳躍する。
『OOOOOOOOOOO!!!!!』
次の瞬間、彼女たちの立っていた地面の下から現れたのは、あまりにも大きすぎる……樹の巨人であった。
「……ッ?!!」
樹木の根で出来ていると思わしき体。体の中心で脈動する赤い肉塊。森全体の樹木の力を少しずつ集め、その樹木の体を借り受けて生み出されたのであろうその巨躯が、今も燃え盛る森の大地をひっくり返しながら姿を現す。
『ZYAAAAAAAAA!!!!!!』
今更ながら、アルテミシアにはどうしてのあのウッドパラサイターが、広範囲の木々を支配下に置けたのか理解した。
この変種、”ゲルダ・ザ・フォレストビースト”は、樹木そのものではなく、樹木の根に寄生し、それを伸ばして近くの木々の根を浸食。それを繰り返し、地の底に広大な地下根ネットワークを作り出していたのだ。
移動も、山から根を伝って降りてきたのだろう。地の底であるのなら、歴戦の勇士の集うあの村の者たちの眼からであっても、かいくぐれたのだ。
先ほどセツナが焼き払ったのは、寄生したウッドパラサイターの本体が一番近い樹だったのだろう。
そしてそんな根の集合体が、重なり絡み合ってできた巨人が、今はアルテミシアを追い込んでいる。
「がっ?!」
振り下ろされる拳が地面にたたきつけられる。かろうじて避けたが、当たってすらいないのに、風圧と衝撃が、激しく彼女を打ち据える。
吹き飛ばされながらも、何とか空中で姿勢を整えようとする。魔力操作による力の流動は、セツナから教わってほんの少し身に着けたばかり。それでも、元から跳躍を主体とした戦いをしている彼女は、整えきれない不安定な姿勢からでも、何とか着地できた。
背後からは、あの森の巨人が、ゆっくりと歩を進めて追いかけてくる。
歩幅が絶望的に違う。いくらアルテミシアが全力で走っても、すぐに追いつかれてしまいそうだった。
「……アル……」
「気が付いたか!済まないが、今はそれどころではな……ぐぅあっ?!!」
二度目の衝撃。空中で2、3回転しながらセツナとともにぶっ飛ばされた。まるで風に踊らされる木の葉のごとく。
「ぐぅっ……!!」
二度目の着地も何とか成功させ、アルテミシアは逃走を続行した。状況は極めて厳しい。
ダメージから立ち直れていない、意識のもうろうとしているセツナでも、それくらいは理解した。
自分が、足手まといであることも。
「……わたしが、じゃま、なら……」
「滅多なことを言うなッ!」
セツナの言葉を、途中で切り捨てる。
今度は、アルテミシアの番だった。
迷いなく、断言する。
「お前は私を諦めなかった。……ッ!!
ならばッ、私も……お前を諦めるわけにはいかない!」
衝撃の中であっても、アルテミシアの言葉に迷いはなく、その足は僅かにでも止まることはなかった。巨躯は、もうほぼ背後にまで迫っている。あの巨人が歩むだけで発生する地響きで、何度もアルテミシアは体勢を崩しそうになる。
それを気合で立て直しながら、なおも村の方向に向かって進み続ける。
ただ一つの希望を信じて。
「ぐうぁっ?!!」
「……っ!」
ウッドパラサイターは、ちょこまかと逃げる二人にめがけて、歩きながら森の木々を引き抜き、足元で逃げ惑う二人めがけてそれを投げおろす。
二度、三度と躱したアルテミシアだったが。
四度目ともなるそれで、ついに体制を完全に崩し、セツナと二人、完全に地面に投げ出される。
何度も弾みながら、付近の木々に体をたたきつけられる二人。痛みに悶えていたからか、少しの間意識を手放していたからか、自分たちを影が覆っているのに、アルテミシアは気づくのが遅れた。
「……!!」
そして、アルテミシアは感じた。
あの巨人は、セツナしか見ていないことに気が付いた。なぜなら地面に投げ出されたとわかったその瞬間に、彼女めがけて足を振り上げ、振り下ろそうとしていたからだ。
おそらく、あの赤く脈動する樹は、あの命名指定級にとっては何かしらの役割を果たすもので、壊されたくはなかったものだったのだろう。それを壊したセツナを、こうして追い立てるまでには。
このまま何もしなければ、セツナは死ぬ。そう、彼女は悟った。彼女は、迷いもなく駆け出す。
セツナが苦い表情を浮かべている。一緒になって死ぬことはないと、そう告げているようにも見える。だが、それでもあきらめることだけは、したくなかった。自身がこの一秒後に命を終えるものだとしても、己自信を裏切ってまで生きるよりはマシだと思えた。
(……頼む。)
生まれて初めて、彼女は祈る。
(……魔力が、私の意志に呼応するというのなら………!)
それは、神にでも天にでもなく。ただ、己自信の源泉に。
(彼女を救うための力を、今、私に与えてくれ……!)
「おおおおおおおおっ!!!!」
咆哮とともに、大地に踏み込む。彼女は自身の右脚に残ったすべての魔力を流し込む。
身体強化。セツナから教わった、もう一つの彼女の切り札。
まだほとんど”習得しただけ”といっていいほどの練度。本来実戦には耐えられないような精度だったが。
それでも、彼女の命を救う、分水嶺となった。
「あぁっ!!」
空中でセツナの体を掴み、巨躯から押しつぶされる結末だけは、避けられた。
代わりに衝撃は再び二人を強く吹き飛ばした。
決して離すものかと、アルテミシアはセツナを抱えながら吹き飛ばされ、木々を折りながら森に突っ込む。
もはや、満身創痍であった。
「はやく、にげ……」
「……いや、ここまで、だな。……ッ。」
セツナが声を上げたが、アルテミシアに逃げる力は残されていなかった。何が起こったのか、すぐにはわからなかったが、苦悶の表情を浮かべる彼女に、もしやと思って視線を下げると、そこには、あまりにも非情な現実があった。
アルテミシアの脚が、折れていた。完全に。吹き飛ばされる前、セツナを救うのに無茶な運用をしたせいだというのは明らかだった。紫色に腫れており、中で骨が折れて主要な血管を傷つけているのは、明白だった。
「……もうしわけ、ありません……」
「……いいさ。私こそ、済まない。」
「……おたがいさま、ですか。」
「ああ、まったくその通りだな。」
互いに互いの命を預け合った二人。わずかな最期の語らいの時間も、すぐに終わりを告げる。
巨人は、吹き飛ばされた二人を目ざとく発見し。今度こそ確実に抹殺するべく、その足を振り上げた。
……二人がその死を受け入れようとしたその時。
「なっ……?!」
「まさか……!」
セツナたちの50倍はあろうかという巨大な樹の巨人は、ピクリとも動かないまま、その体勢で氷漬けにされていた。ほんの一瞬。瞬きほどの時間でだ。
唖然とする二人。何が起こっているか、理解が追いつかない。
そして、強烈な衝撃がそこに襲い掛かる。
何か強烈な力を持ったものが高速で飛来し、その巨人を思いっきり打ち据えた。
巨人の氷像にひびが入る。……それらはすぐに無数に広がっていき。
あまりにもあっけなく、その巨人ごと砕いてしまった。
「よう、嬢ちゃんたち。」
飛来した何かが、セツナたちのいた場所まで落下してくる。地面に跡を残すほどに強烈な着地を見せたのは……男であった。その姿を見て、セツナは目を見開く。
直接会ったことは、セツナの記憶にはなかった。しかし、彼についての情報は、セツナどころか、多くの傭兵が知っていることだろう。ただ世間知らずのアルテミシアは、いったい誰なのか見当もつかなかったが。
「……!」
「よく生きてたな。助けが間に合ってよかったぜ。」
「誰か、知っているのか?」
彼は、世界でも有名な傭兵の一人であった。
ギルドが抱える、三十四人の『二つ名持ち』。
その中でも、今最も勢いがあるとされている男。頬に刻まれた十字傷と、血で染まった旗のついた槍を得物とする、狂戦士。
「まぁ、そこの嬢ちゃんは、二度目だしな。
……まぁ、自己紹介と行くか。
俺はカイン。カイン・セルゲイ。『凱旋』の二つ名持ちだ。」
人類の頂点。その領域に到達している、生ける伝説。
二人を救ったのは、かつてセツナを救った、二人の『二つ名持ち』のうちの一人だった。