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違う。
何かが違う。
セツナは、無痛針を自身に打ってから、いつもとは違う自分自身に困惑していた。
感触が違う。歯車がかみ合わない。動きの精度は上がっている。視野も広がっている。
考えることはできる。魔力も扱える。なのに、気持ちだけが追いつかない。
この正体がわからない。
……だから、セツナはこれを使うのが苦手だった。
「ガァッ!!」
魔力の放出。練った魔力を刀に流し込み。前方に向けてたたき出すことで衝撃波を形成し、攻撃を吹き飛ばし、その中に身を投じる。ダメージを大幅に軽減できるが、代わりに消耗も激しい。
魔法使いであるセツナは、魔力の残量はそのまま戦力になる。意志の欠如している今のセツナでは、これは諸刃の剣であった。
(……違う。)
遅れて攻撃を仕掛けてきた根の槍……おそらくは一気に対応されるのを嫌ったのであろう……での攻撃を、地面からのわずかな振動で察知し、その場で跳躍しながら横回転。刀を振り回し、下から突き出してくる根を切り裂いて迎撃する。
(……何かを間違えている。)
空中で身動きの取れないセツナの隙をつくように、一斉射撃が行われる。先ほどよりは量は少ないが、攻撃はかなり正確だ。
(……このままでは負ける。その予感がある。)
手の中で何かが爆発し、セツナは大きく前方に吹き飛ばされる。
魔力を流し込んで発動する爆瓶である。威力もさることながら、きわめて巨大な音が鳴り響くため、脅しとして使われることも多い。これを自身の回避のために使用した。
威力はBランク。セツナ自身、まともに喰らって無事なダメージにはならない。だが、死ぬよりはマシだった。
(……私は、何を間違えている。)
雪の降り積もった地面にたたきつけられながら、セツナは思索する。
周囲から殺意のこもった気配。
おそらくは”出し惜しみしていたリソース”から攻撃手段を引き寄せているのだろう。伸ばした根か、蔓か、あるいは弾丸補充用の魔力か。
猶予はない。だというのに、セツナは立ち上がらなかった。力が入らない。魔力の強化なしには、彼女は立ち上がる余力すらなかった。
セツナは目を閉じる。諦めではなかった。薄れゆく意識の中、せめてこの違和感の正体だけでも知りたいと願った。いずれ死ぬにしても、このまま死ぬのは悔いが残る。それはごめんだった。
自身の内面に目を向ける、違和感の源泉。その正体を探るための思索。
あまりにも隙だらけな彼女に、攻撃が殺到するのは、そう遠くない未来の話であった。
* * *
『ししょう!むずかしいよう~!』
『ハハハッ!当然だちび弟子!普通はできないな!お前の年齢でできる奴なんて、世界でも数えるくらいだろう。』
『……ほんとうに、わたしにできる?』
『出来るさ。間違いなくな。つか、お前よりも年下のころにやって出来たやつを知ってるんだ。お前ができない道理はねぇ。』
在りし日の、鍛錬の風景を思い返される。
人里離れた森の中、聞こえはいいが常春の森という、サウスエリアのとある島にある幻想領域の中での生活だった。
幻想領域は基本的には魔力濃度が高い。大人や修行後の私ならいざ知らず、まだ魔力も弱い、5歳児だった私が滞在するには、濃すぎる魔力濃度だった。特に厄介だったのは魔力を含んだ霧だった。この霧は害はないが、魔物の気配を読めなくするような性質があったが、それよりもひどかったのは、霧の魔力を吸い込んで、私が魔力酔いを起こすことだった。
自身の許容量をはるかに超える自然の魔力の摂取。意志に呼応する魔力であるが、その逆もしかりだ。自然の魔力を大量に摂取すれば、意識が影響を受けて、酩酊にも似た精神状態になる。酷ければ意識不明にもなりかねない。
数日に一度は、体内に入り込んでくる魔力に侵されて魔力酔いを起こしていた。
そのたびに師匠は、”そいつを自分の魔力で追い出せ”と、無理難題を言ってきたのだ。今の私から見れば、考えられないようなスパルタだった。魔力密度がDランクもあったあの魔力の霧を、Fランクの……2ランク差もある小さな魔力で、いったいどうすれば追い出すことが叶うのだろう。
意識もふらつく中で、私は何度もそれに挑戦した。
何か月もかかったが、私はがむしゃらにその修行を続けて、一度だけ、それを成功させることができたのだ。
無我夢中だった。私には、いったいどうしてできたのか、わからなかった。ただ、やればできるという師の言葉を、ずっと信じてやっていたような気もする。
『よくやったちび弟子!まぁ、どうやってできたかなんて、今のお前にはわからんだろう。だが、わからなくてもいい。ただ、いつの日かその経験が役に立つ。
忘れるな。できないと思わなきゃ、いつかできるもんなんだよ。』
師の言葉が、思い返される。
その言葉を思い出して、ようやく、心の奥底に存在していた疑問が氷解した。
ああ、そうか。なぜできるのかなど、そもそも考えなくてもよかったのだ。
……私はできる。そう思わなくて、どうしてできるのだろう。
* * *
「セツナ!……グッ?!」
倒れ伏したセツナを見て、アルテミシアが援護を行おうと弓を構えたが、邪魔をするなと言わんばかりに攻撃が飛んでくる。今まではセツナにリソースを集中していたのと、アルテミシアが適切な距離にいたので攻撃が来ることはなかったが、セツナにリソースを集中させる必要がない今、アルテミシアへの妨害程度なら、遠距離からでも可能であった。枝の弾丸が散発的にアルテミシアめがけて襲い掛かる。
先ほどの一斉射撃ほどではないが、セツナと違いアルテミシアには迎撃手段が少ない。何とか回避を試みているが、回避に気を取られすぎて射撃の姿勢に映れない。
万事休す。セツナに殺到する攻撃の雨が見えた。アルテミシアには、それがスローモーションのように映った。
「避けろぉっ!!」
叫ぶことしか、アルテミシアにはできなかった。
そして、それは、結果的に最高の援護につながった。
「……!」
攻撃がたたきつけられ、雪が舞い上がる。
その直前。アルテミシアは、強烈な……鼓動にも似た、魔力の波動を感じたのだった。
「……やればできる、ですか。全く、その通りですね。
ありがとうございます。あなたの声で、何とか目覚められました。」
舞った雪の散った中から、人影が一つ。
これまで受けてきたダメージで、彼女は全身血まみれであったが。
足取りに、何一つ不安を感じさせなかった。
「ご安心ください、アル。最後まで、削り切ります。
……どうか、見極めを続けてください。」
(………!!)
むしろ逆だった。今の彼女は、何より”恐ろしい”。全身が総毛立つほどの魔力が、彼女からあふれていた。
波動を感じる。ふつう感じることのできないような、意志を示す魔力の波動。高度な術者ならその微細な波動を術式で読み取って読心を行う者も居るという。
だが、そんなもの必要ない。今のセツナからは、アルテミシアにだって、心が読めそうであった。
「さて、第二ラウンドです。根こそぎ伐採しますので……お覚悟を。」
踏み込みとともに発せられる衝撃。音すらも置き去りにせんと言わんばかりに、セツナは全霊を賭けて切り込んだ。