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この章の終わりのめどが立ちました。ストックがそこそこあるので、順次出していきたいと思います。
「ここをこうして……」
「ふむふむ……」
「この部分は……」
「なんと……!」
早朝。まだ馬車の馬たちが体を休めている、空も白み始めたころに、セツナはアルテミシアの指導を受けていた。
アルテミシアの調理技術の源泉は土着の風習であると予想していたが、経験則と深い理論に基づいて構成された技術は、セツナを夢中にさせていた。
そもそもの話だが、この世界では、特に北部では香辛料の流通量は極めて低い。理由は単純で、アクセスが悪いことにある。一つの超大陸とサウスエリアの島々で構成されているこの人類勢力圏で大規模な運送手段となると、船舶か飛竜以外にない。
転移ポータルはコストがかさむため、人の移動ならまだしも、物流には向かない。馬車は時間がかかりすぎるので、遠隔地への配送に向かない。飛竜は他の地域では物流の要たりえるが、ファールス連山が抱える極限領域の影響で、北部では使い物にならないという実態がある。
そして船舶だが、北部では運河を作れない。水が凍ってしまうからだ。
冬土連邦は物流の要を馬車に設定している。寒い地域での活動に適用した馬型の魔獣の調教・家畜化を国家事業として行い、網の目のような物流ネットワークを敷くことで、国家としての機能を保っている。外部からの輸入にはほとんど頼れないが、国内での物流を潤滑にすることで、食料などの必要な資源が、必要な場所に届きやすくしたのだ。
しかし、そんな冬土連合の中でも唯一、物流が死んでいるのが、クーユルド。「英雄の故郷」と呼ばれる、最果ての村だ。
この村は未踏破領域・ファールス連山の裾野にあり、谷状のくぼみのような土地に作られた村だ。ファールス連山への挑戦を行う冒険者たちの拠点としてつくられたこの村だったが、周辺の魔物の脅威度が高く、通常の物流手段では危険度が高すぎた。配送に必要な手間が多く、どうしても頻度が落ちてしまうのだ。
なので、クーユルドでは外部からの香辛料はおろか、食料の入手も絶望的であった。品種改良された、あるいは元から極寒の地であっても成育可能な農作物だけでは生存は不可能だ。
そんな村が狩猟採集に頼るのは、仕方のないことだろう。
そうしてクーユルドに根付いた魔物食の文化は、ファールス連山に挑む冒険者たちによって磨き上げられた生き抜くための英知の結晶そのものであった。
「なるほど……香辛料をわざわざ作っている、というわけではなかったのですか。」
「ああ。味とにおいだけを再現している。先人たちの知恵だ。」
多彩な味覚や食感の種は、調理の下ごしらえにあった。
この世界では調理に魔術を使うのは極めて一般的な技術である。温度管理や切断、直接触れられないものを移動させたりなど、時間短縮や調理の難しいものの簡略化が行えるからだ。
しかし、錬金術を使うのは、さすがのセツナも予想外であった。
錬金術はワードもその使い手の一人だが、普通は鉱物に使われる。不純物や錆びを取り除いたり、鉱石から純粋な金属を取り出すのに使われる。料理に使われる場面は、ないとは言わないが珍しい。
物質の組成を操作する錬金術だが、組成が全く同じの食材などほとんどない。それぞれの食材はそれぞれ違う成分を持っているのだから、利用するとなるとそれぞれの食材に関する知識を頭に入れ、術式を使い分けなければならない。ハードルが高いのだ。
そして最も大きな理由は、そんなハードルの高い錬金術を使ってまでやりたい処理が調理の中であまりない、というものだ。別に、おいしい料理は錬金術を使わなくたって作れるのだ。
というのが一般論だったが、クーユルドでは事情が少々異なっていた。
彼らは魔物や魔獣を食する必要があるほどには食材が不足していたが、それらは普通の食材とは違い、食べられなかったり、特別な性質を持っているせいで通常の調理が難しかったり、おいしくなかったりすることがあった。
食材が不足しているクーユルドでは、食べられないものを食べられるものにすることは急務であり……研究と研鑽の果てに紡ぎあげられたのが、アルテミシアが有する、調理錬金術式たちであった。
「これらの術式は、普通の肉なら大体存在する成分を合成したりいじったりして味を調えるんだ。肉を柔らかくしたり食感を調整する術式もその応用だ。
これは、見たことのない魔物であってもその組成を解析して一から術式を編むよりは負担が軽い。当然、使えない魔物も居るには居るが、かなり少ないだろう。」
最も、アルテミシアの調理や錬金術に対する造詣は深い。彼女なら一から術式を編むことすら可能だろう。
だが、このように多くのものに適用可能な……一般化された術式は、便利なことこの上ない。一般化されているということは、その術式の術理の深いところまで知っていなくても、やり方さえ知っていれば使えるのだから。
「術式ですが。この度の間に有用なものをいくつか教えていただいても……?」
「構わない。……だが、教えられるにしても、一つや二つくらいだと思うが……」
指導は続く。一つずつ、実演も交えてアルテミシアが、構成や術理を伝えていく。そうして出来上がった本日の朝食も、セツナが恍惚とした顔になるほど、素晴らしい食事であった。