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赤剣と大牙のぶつかり合いを、ある程度遠くからではあったが、セツナは注視していた。
こんなざまだが、魔力はあまり消耗しておらず、一度だけなら魔力を使った念動で何かしら投げ飛ばすくらいのことは可能だ。
そうして何かできることはないだろうか、と思う一方で。
あまりにも実直すぎる正面からのぶつかり合いを、邪魔したくないという気持ちもあった。
「………。」
両者、向かい合う。再度のぶつかり合いを終え、互いに間合いを取って向かい合う。
赤熱化しきった牙は今もなお巨猪をむしばみ続けているが、消耗が激しいのはワードの方だ。巨猪も相当疲弊しているが、ワードの方は表面的には見えておらずとも、セツナには彼女のポーカーフェイスの内側が透けて見えるようだった。
ワードの攻撃は辛くも通らず、しかし巨猪の攻撃は一撃たりとも許せない。
あと、数合。剣を合わせられるかどうか。ワードには、自分の底が見えていた。
対する巨猪も、状況は厳しかった。
高い瞬発力と火力を持つワードに、攻撃を当てるにはカウンターしかない。
しかし、カウンターを行うには自身は鈍重に過ぎ、無理やり魔力を足から噴射させての移動は慣れないうえに大きく継戦能力を奪っている。
攻撃をよけられるのはもはや限界に近い。自身が限界に至るまで、あと数回の魔力噴射が限度。それまでに目の前の剣士を仕留めきらねばならない。
両者の眼に力が宿り、さらなるぶつかり合い、またしても互角の戦いが繰り広げられると思われたその時。
セツナには、不意に予感があった。ワードの構えが、わずかに深い。武人であるセツナには、こうした感情の機微が、戦闘における姿勢から見て取れてしまう。
彼女の見立てでは、まだ何回かのぶつかり合いができるくらいの余力は、あるはずだ。うまくやれば、猪の余力を削り切ることも、できるはずだとも、思っていたが。
何かが起こる。ここで、ワードが起こす。次の一合が、決定的なものになる。
セツナは、手に汗握りながらも、いざというときのために、魔力を練り続けた。
*****
跳躍と同時に、ワードは呼吸を止めた。
極限の集中に入る際の、彼女のルーティーンのようなものだ。
呼吸という僅かな身体的なリソースすらも節約し、文字通り、自身の全力を一撃に込めるための儀式。
雑音を排し、今や理性もない。あるのはたった一つの目的を達成させるために全霊を注いだ、鬼神のごとき精神性であった。
魔力は人間の精神の働き、意思に反応する。ふつうそれは相手の心の機微を読むことができるほどのものではないが。
彼女の集中は、彼方にもわかるほどに、魔力を震わせたのだろう。
巨猪は、ワードに起こった変化を察知した。
それが、最後の、そして両者の勝敗を分けた、致命的な差となった。
爆発的な加速。魔力を推進力とした跳躍的な加速は、使おうと思えばだれでも使うことができる。
それを、ワードが使ってくることくらいは、猪の側としても理解できるものだった。
先ほどまでと一線を画する、圧倒的な速度域での突撃。
しかし、来るとわかっているのなら、対応はできる。
横からのカウンターを狙うため、横方向へ跳躍し、空振ったところをもう一度の跳躍で突進する。そこへ全霊を注ぐつもりでいたのだ。
しかし、甘かった。
ワードの剣速は早く、また鈍重である巨猪は、一時的に1ランク上の速度域にまで自身を強化しているワードの攻撃を、至近距離から、それも攻撃が見えてから避けるなど不可能であった。
ゆえに、横方向への跳躍を行ったとき、ワードが”まだ剣を振るっていなかった”ことに気が付いたときには、すべてが遅かったのだ。
「………ッ!!」
声も発さず、前へ振りかぶる姿勢から、体を一回転させながらの横凪。
跳躍直後、まだ地に足が付ききっていない瞬間を狙った、全力の一撃。
後の先を狙った巨猪には、三つの敗因があった。
一つはセツナとの長期間交戦だ。
彼女を侮れないと判断した巨猪は、戦闘を行う上で駆け引きを行い、徐々にセツナは追い詰めるようにした。使用したリソースはわずかとはいえ、ワードとの戦いだけに全力を注げなかったことだ。
二つ目は相性だ。
ワードの武器は巨猪にとっては打ち合えば打ち合うだけ都合が悪い。加えて同位階といっても、ワードには手札が多く、一方巨猪には 切れる手札のバリエーションが少なかった。
三つめは、全力を注ぐタイミングだった。
ワードはここぞと決めた瞬間にすべてを注いだ。
その瞬間に、自らのすべてを使て衝突していれば、まだわからなかっただろう。
もてるリソースをすべて使いきれなかった、それが、わずかだが、決定的な差となった。
地に足ついていなくとも、と猪はほんのわずかでもダメージを軽減するべく、魔力の放出を行おうとした。
しかしその時、不意に猪の練り上げた魔力を横から吹き飛ばすような波動が放たれた。
セツナの妨害。ロングレンジから見ていた彼女の、精一杯の援護。
圧縮した彼女の魔力は槍のようにはなたれ、最後の抵抗をするであろう猪に対する、致命的な妨害とするために放ったのだ。
離脱手段をなくした巨猪に残されたのは、たった一つの運命。
赤く染まった大剣の一撃が、巨猪の命脈を引き裂いた。