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危機の中においてこそ、人の真価が試される。
普通の人間にとっての危機は、大きな飛躍へのチャンスでもある。
愚かな無謀と、勇気ある挑戦は、紙一重である。
セツナ・レインは端的に言って、危機をよしとする人間である。
自ら首を突っ込むことはしないが、不測の事態を歓迎し、その踏破を全力で目指す……頭のねじの取れた人種である。
冒険においては、この程度の危機など日常茶飯事であり、自身が冒険者を目指す以上は、それは超えるべき試練でもあると考えている。
セツナは17歳という若さでBランクに到達した。
それそのものは珍しくない。彼女の驚異的な点は……
彼女自身が、晩成型であるのにもかかわらず、その速さでランクを上げられたという点である。
* * * * * *
「っ!!!」
紙一重で、強大な牙の攻撃をかわす。かすりでもすれば衝撃で肉ごとえぐられる。受け流しは、初めの一発をそうしようとして、右腕を破壊されたので断念している。
今の彼女の右腕はほぼ粉砕されており、力はまるで入っていない。
2ランク上の魔物の攻撃であっても、大部分を受け流せるはずの彼女の技術。しかし、それは純粋な衝撃にしか通用せず、魔力のこもった攻撃には通用しない。特に、格上のそれは致命的だ。
この魔物、フルタスクボアーは明らかに人間との戦闘を経験しており、過去にセツナと同じような使い手と戦い勝利している可能性が高い。本来はそのような攻撃をしてこないはずだが、どういうわけかこの個体は会得しているのだ。
……”命名指定級”一歩手前の実力。セツナは、右腕を破壊された時点から、単独での撃破は不可能である、という決断を下した。
命名指定級とは、端的に言えば戦闘を繰り返して独自の進化、あるいは戦法を編み出した個体のことを指す。Aランク以降の強敵が戦闘を繰り返すことで到達する領域であり、従来のランク尺度には当てはまらない強みを持っている場合が多い。
「だぁっ!」
紙一重で躱し、さらされた首筋に渾身の蹴りを入れて、その攻撃の反動を利用して距離をとる。ダメージはほとんどなさそうだ。身体強化まで入れた一撃だったが、厚い表皮と頑健な骨格構造がセツナの攻撃を簡単に受け止めてしまう。
得物さえあれば……と思うセツナであったが、実際のところ刀があっても勝てるかどうか、怪しいラインの敵だ。
それでも、なさなければならない。この苦難の先に、セツナは一筋の勝ち筋を見出していた。
「ブムォオオ!!!」
距離をとったセツナに、つかさず追撃を仕掛けてくる巨猪。速度、瞬発力共にセツナの上であるため、ただ距離をとるだけではセツナはすぐに詰められる。
「やぁっ!!……ぐっ?!!」
が、セツナは念力を用いて自身の体を一時的に上方に打ち上げることによって、その攻撃をよけ、猪の突進を背後の樹木に受けさせることに成功する。
頭の奥がきしむような痛みを発する。強烈な動作を念力を用いて行う場合、脳に大きな負担がかかる。一時的に大量の魔力を運用しなければならず、一定以上の魔力の操作は脳に負担をかけるからだ。どうして脳に負担がかかるのかは、まだ研究途上であるが。
あの大霊洞の乱戦ですら、そんな運用は行わなかった。つまりは、無茶苦茶をやっている。こんなものは何度もできない。それを、彼女は使ってみてから始めて思い知った。
巨大猪の背後に何とか降り立った彼女は、続けて振り向きざまに振るわれた牙の薙ぎ払いを、地面に張り付くほどの低姿勢で回避。
その後のたたきつけをため込んだばねを使い、跳ねるようにして左方向へ離脱して難を逃れた。
その後も、セツナは攻撃をよけ続けることだけに、専念する。
攻撃は、予兆が見えてからでは対応は遅すぎた。単純に敵が強すぎるために、反応しても体の動作が間に合わない。セツナに許されるのは、相手の姿勢や視線、魔力の波動から、次に来る攻撃の予測を行い、相手よりも一呼吸早く攻撃を回避することである。
予測を外せば、あるいは予測が当たっていても対応が遅れれば、それだけで終わる、綱渡りのような戦闘。
敵の攻撃は猛烈極まり、森の木々を利用した戦いをしようにも、その木々を根こそぎ破壊しながら攻撃を加えてくる。今は目に見える木々のほとんどが根こそぎ根元から叩き折られている。
そんな牙の嵐を相手に、セツナが耐えながらも立ち回れたのは、25分が限界であった。
「っ?!!」
原因は、巨猪の対応力にあった。
セツナの先読みは限定的だったが、攻撃手段の限られる敵であったがために有効であった。しかしながら、予測の取れない行動を徐々に混ぜ込まれ始めると、セツナも予想が難しくなってくる。
そしてついに、フェイントに反応して大きな回避動作をとってしまったセツナに、巨猪の突進が襲い掛かり、セツナはなすすべなく吹き飛ばされた。
地面を水切り石のようにバウンドしていき、吹き飛ばされた先に合った樹木の幹をへし折りながらたたきつけられる。
一撃まともに喰らっただけで、セツナはもう、瀕死に近い状態となりつつあった。地面や樹にたたきつけられたときの衝撃は何とか逃すことはできたのだが、単純に敵からの攻撃そのものは受け流しがきかなかった。
「ごぶぁ……っ、がはっ……?!」
血の塊を吐く。体の中から熱さと痛みがいくつも広がっていく。……内臓が破れたかのような感覚を覚えながら、まっすぐこちらを見据える巨猪の姿が目に映る。
万事休す。次に攻撃をされれば、セツナに訪れるのは確実な死。
(ああ、でも……)
それでもセツナは、絶望はしなかった。
ついこの間経験したような、望みのない状態ではなかった。
……彼女の”勝算”は成ったのだ。
突進の構えをとる巨猪は不意に爆発的に跳ねあがった魔力の波動を感じて、とっさに地面をけり、転がりながら回避する。先ほどまで自身が居た場所に、深紅の剣が降り落ちるのが見えたからだ。
「おう。待たせたな。」
少し離れた仮設拠点から、たった数秒で駆け付けた彼女……ワードは、先ほどまでとは見違えるような力を纏わせながら、猪の前に対峙する。
「あいにくと、顧客をみすみすあの世に逃しちまうほど、商売捨ててもねぇからな。
……獲らせてもらうぜ。てめぇの首をッ!!」
身の丈ほどの大剣を片手で軽々持ち上げ、振り回しながら、一気呵成に巨猪に向かってワードは突撃を敢行した。