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傭兵という生き物は、基本的には人間の枠にとどまらない大食いであることが多い。
魔力によるサポートがあるとはいえ、人間には本来実現不可能なほどの出力を誇る傭兵の身体能力、それをわずかにでも支えるためである。
「んっ、んぐっ、ぁぐ………」
「…………っ!」
特に、依頼を受けている時や探索に赴いているときなどは、顕著である。
今朝狩ったサイケディアの肉など、一時間と持たなかったのだ。
サイケディアはDランクの魔物であり、森林に生えている特有の幻覚作用のあるキノコや植物などを好んで食べることで知られ、その肉はその植物たちの効力を低減、あるいは解毒する作用を持つ。ちょっと値段の張る薬膳としても人気がある。
そんな鹿の肉を丸焼きにし、持ち込んだ、あるいは現地で採取した最低限の調味料で軽く味付けし、二人して手を合わせたとたんに始まった蹂躙。骨のどこにも肉の残っていた痕跡はなく、気が付けば嘘のように、彼女たちの体の中に納まっていた。
「はぁ……ごちそうさまでした……おいしかったぁ……」
「珍しく食用の魔物だったからな。しばらく筋張った肉ばっかりしか手に入らなかったし、久しぶりにいいもん食ったぜ。」
ばったり、と地面に背を預けながら行儀悪く、幸せそうな表情で天を仰ぐセツナと、同じく堪能した肉の余韻に浸っているワード。
傭兵の食事は現地調達。無論のこと、携帯食料を彼女たちは持ち込んではいるが、それは非常手段であるし、そもそも大量のエネルギーを補給する手段とはなりえない。ある程度彼らはエネルギーをため込めるとはいえ、何の憂いもなく全力戦闘ができる状況を保たなければ、もしものことがあった時、十全に対応できないまま命を落とすことになってしまうのだ。
しかし、必要なこととはいえ、それがおいしい食事であれば、彼女たちの心も満たされるというもの。ワードとセツナは十数日ぶりの良い獲物に、飢えた心が満たされていくのを感じていた。
「……んじゃ、セツナ。今日は”昇華”しちまうから、周辺警戒は任せてもいいか?」
「そういえば、そんな時期でしたか。ええ。お任せください。ゆっくりどうぞ。」
「サンキュ。」
ワードがそんなことを告げたのは、おいしい食事の余韻に浸っていた時のことだ。
セツナは、心当たりがあるのか、すぐに了承し、仮設拠点にへ行っていくワードを見届ける。
昇華中は隙だらけなうえに、気配を察知される危険も高い。セツナが護衛を買って出るのは当然のことであった。
昇華、とは端的に言えば自身を強化する儀式のようなものだ。
人間だけではなく、この世のすべての生物は”経験”を知覚する。
明確な数値ではなく、漠然としたものだが、自身の魂ともいえるものに触れることで、それがどの程度たまっているのかを見定めることができるのだ。
そして、経験は力へと変えることができる。経験は自身の性質を恒久的に、かつ不可逆的に強化することもできるし、武技や魔術の習得にも使える。本来は数年もかかるような修行の必要な奥義を、たった一晩で会得することすらできてしまうのだ。
経験はすべての人間が手順を踏めば知覚することができる。漠然としたものだが、共通認識が存在する以上、明確な量が定められている。そして、一定の経験を身体の性質強化に使うと、ある一定のラインで飛躍的に強化される。その境界が形づくるものこそが、位階というわけだ。
なお、昇華の頻度は人によって異なる。昇華に適した経験量というのは、人によってまちまちだ。
例を挙げるならば、セツナは数か月に一回。ワードは2週間に一回という具合だ。前者は探索に有利で、後者は不利であるが、後者の方が成長速度は速い。実際、ワードはセツナよりも1つ位階が高い。年齢はさておき、本業が鍛冶師であって傭兵ではないワードの位階が高いのは、そういう背景がある。
ワードは仮設拠点に入ると、床の上で胡坐を組み、そのうえで目を閉じて瞑想を始めた。
自身の意識を高め、自身の根底を目指して潜らせていく。
必然だが、魔力は意志に感応する。昇華はある種の魔力を発することにもつながり、好戦的な魔物を引き寄せてしまうことが多い。
「……おや、来ましたか。」
当然のことながら、昇華は集中を要求される作業だ。時間もかかるし、何より周囲の状況を把握できなくなる場合が多い。ゆえに、探索中の昇華はリスクを常に伴う。セツナが護衛に買って出るのは、もはや決定事項だった。
そして、ワードが昇華に入ってすぐ。彼女のかすかな魔力を頼りに、やってきた魔物をセツナは見据える。
「……フルタスク・ボアですか。全く、良い獲物が釣れるものです。」
タスク・ボアと呼ばれる魔物の上位種。
強力な嗅覚が武器であるこの魔物は、生物として備えている感知能力が高く、魔力の残り香を追うことすら可能といわれている。おそらく、ワードかセツナの残り香をたどられたうえで、昇華の気配を感じたのだろう。
生物として最も大きな隙をさらすことになる昇華のタイミングまで気配を感じなかったあたり、セツナらよりも高い感知能力を持っていることがうかがえる。
ワードの作った仮設陣地の中へと入ってくる大柄の猪。体長はおよそ4m。牙は鋭く、長く、歴戦の傷がその牙の持ち主を強者であると示している。
推定、Sランク。相対するセツナでは、本来、ほとんど死が約束されているような相手である。しかも、今のセツナは、素手だ。得物がない。格下や同格ならば、どうにかなったかもしれないが、格上相手に武器がないのは致命的だ。
それでも彼女は、自身の身に魔力を纏わせながら、構えをとる。
普通の人間なら絶体絶命の危機であることには間違いはないはずなのに、彼女はこの危機の中においても、かすかな笑みを浮かべていた。