表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

ガラスの奥のエキストラ


時間が、止まった気がした。

目の前の数十羽のペンギンのことも、隣にいる貴方のことも、全て忘れて、私の視線はガラスの奥を見つめていた。


長い、長い、1秒間。

見慣れたい茶色い髪、耳に光るシルバー、広い肩幅とかがむような猫背。細長い目尻に、黒く丸い瞳。


でも、私は知らない。

そんな柔らかな微笑みも、そこ瞳に映る影のことも、何も知らなかった。知りたくなかった。


ちらり。


彼の視線が動き、私の視線と交わった。


ドクン、ドクンと自分の心臓が驚くほど早く耳障りに高鳴る。これまでの人生でこんなに早く動くことがあっただろうか。


一瞬。瞬きすらいらないほどに、視線は隣の彼女へと移る。

袖をぐいっとひき、おそらく、どうしたのかと尋ねる彼女。

何事もなかったかのように微笑む男。


まるで世界に2人しかいないような、そんな空間が、時間が、その光景が、私の心臓をさらに跳ね上がらせた。


「ごめん、ちょっと」

呑気にペンギンを眺める隣の男に口早に告げ、逃げるようにその場を離れた。


見たくなかった。知りたくなかった。


そんな風に笑う貴方のことも、何も知らずに彼を愛する女性のことも、ひどく脈打つ自分の心臓も、全部、知りたくなかった。



走馬灯のように彼との5年間が脳裏をよぎる。



どこにでもある、ありふれた男女の関係。


自分が都合のいい女だと言うことも、彼に彼女がいることもわかっていた。わかった上で、都合のいい関係、なんて言葉を傘に、貴方の体だけを手にしていた。


「セックスはしたいけど、恋愛はしたくないんだよね。だから、この関係がちょうどいいんだ。」


嘘だ。


「好きとかそんなんじゃないよ。だったら他の人と付き合わないでしょ。」


嘘だ。


気持ちを隠すために貴方に吐いた嘘。


「だよなー。この関係が俺たちにはちょうどいいよな。」


安心したように笑う貴方に、わざと大袈裟に笑って返した。

貴方と触れ合える時間を無くしたくなかった。




「あの人結婚したらしいね」


「そうなんだ〜連絡とってないから知らなかった!奥さんどんな人かな?」

[結婚?どういうこと…?そんなの、知らない。]


友達から聞いた貴方の結婚報告。


「結婚したよ。言ってなかったっけ?」


私への想いなど微塵も感じられない貴方からの返信。悲しみと怒りと虚しさでブロックした貴方の連絡先。



「やっと忘れられたと思ったのに、なんで?」


色を失った顔を覗き込みながら力なく呟いた。


連絡を断って半年。

互いの家から近いわけでもないこの水族館で、ただの休日の、同じ時間に、なぜ、1番見たくない姿の貴方と出会ってしまったのだろうか。

偶然という言葉で片付けるには気持ちが追いつかなかった。


無理やり記憶の奥に追いやった彼に対する愛情が、苦しさに変わって押し寄せる。


視線を逸らされた瞬間思い知った。

彼の物語の中で私はただのエキストラでしかないのだ。

例えるなら幸せな恋愛小説。彼と彼女の幸せな物語の中に彼の浮気相手である私は存在しない。


5年という長い時間、私にとって貴方は全てだった。


「貴方は違ったんだね。」


硬くしまった蛇口に手を伸ばし、両手で水を掬った。

沸々と湧く感情を流すようにパシャリと顔に水をやる。


ブブブッ


ポタポタと滴る水を拭いながら、ポケットのスマホに手を伸ばす。

あまりに長いトイレを心配した彼からのメッセージかと思い液晶画面を開くと、SMSの文字が浮かんだ。


ドクン。さっきとは違う音で心臓が跳ねるのを感じる。


開いたメールアプリの1番上には080から始まるメッセージ。


【綺麗になったね。】


そっと画面を閉じ、ポケットにしまう。

トクントクンと響く胸を抑え、およそ私の変化になど気づいていないであろう男の元へと向かう。


「大丈夫?イルカショー、見れそう?」

「ちょっと人酔いしちゃったみたい。大丈夫だから早く行こ!」


水槽に映る自分の顔があまりに上手く笑っていた。

私はただのエキストラ。で、終わるはずがない。


もう一度震えたスマホを開きながら、助演への階段を登った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ