あそび
「またかくれんぼしよ?」
無邪気で天真爛漫だった小学校低学年の妹、果音は、僕とかくれんぼすることを日課としていた。
「いーち、にーい、さーん……」
彼女が僕を呼ぶ、「兄さん」に似た響きだ。しかし、そのカウントを口にするのはもっぱら僕の役目で、彼女はとてつもなく広い家の中で、ありとあらゆる場所を隠れ家としていた。目を閉じた僕は、遠ざかって行く彼女の足音を頼りにその行方を想像するが、僕の脳裏に浮かぶ彼女の背中は霧の中へと溶けてゆくのであった。
「じゅーう!」
そして僕は捜索を開始する。あっさりと見つけられることもあったが、ほとんどの場合、数十とある部屋を隈なく探すことが僕に課せられた。この頃僕は、そんな広い家に住んでいることを恨んでさえいた。自分の家が所謂大金持ちの類のものであると知ったのは、かなり後のことであった。
「はぁ、はぁ……見つけた!」
「あはは、兄さん、汗だくじゃないっ。あはははははっ!」
へとへとだった。休日の昼下がりを全て捜索に捧げた末に見た笑顔は、西から照らすオレンジの日差しの中で眩しく輝いていた。それは僕にとってまさしく太陽のようだった。華奢で身軽な彼女は、時にシャンデリアの上に、時に浴槽に身を潜め、屋根裏をも支配する。彼女は学年が上がるにつれて、彼女は様々な遊びを僕に提案するようになる。
「兄さん、今日はこれやろう?」
彼女が絨毯の上に広げたのは、市販のボードゲームであった。しかし、ふたりではそのゲームも味気ない。
「悠季くん、一緒にやろうよ」
それは、僕たち一族に仕える従者の家系、由野家の娘さん、果音と同学年の少女であった。外見は少年と見紛うほどの凛々しさで、果音より短く切り揃えられてツンツンと跳ねた水色の髪が、その爽やかさを際立たせていた。
「カノンちゃん、ありがと」
果音は彼女に対して分け隔てなく接していたが、僕は彼女の琥珀色の瞳から溢れるミステリアスな雰囲気に、近寄り難さを感じていた。
「菜音さんの番だよ」
彼女が僕の名前を呼ぶ。僕はぎこちなく応え、サイコロを振り、駒を進める。
「あぁ、また兄さんの勝ちだよ。負けたぁ」
果音は悔しそうにそう口走るが、今思えば、僕の勝率は神懸っており、ふたりが巧妙に接待をしていたのかと勘繰らざるを得ないほどであった。
「でもさ、兄さん、最後に一番資産を持っていた人が勝ちっていうルール、なんか変じゃない?」
彼女はいたずらっぽく床のボードゲームに両手を突き、僕に顔を寄せて呟く。僕は少し開いた彼女の首元から覗く肌に、見てみぬふりをしながら応える。
「へ、変って何が? 大金持ちになるのはいいことじゃないか」
「本当にそうかな? だってこれ、人生が終わる時の話でしょ? 死ぬ前に使い切れない大金を持っている意味なんてあるの?」
僕は彼女が言っている意味がとんと理解できなかった。短絡的に大金持ちは良いことと、世間に信じ込まされていた。いや、普通の子供はそれで良かったはずなんだ。ただ、彼女は普通ではなかった。それは、遊びの趣向にも現れ始めていた。
「兄さん、今日はこれやるよ」
それは、どこから持ち出してきたのか、黄ばんだ白と赤のプラスチックでできた、古びた家庭用ゲーム機であった。どうやら倉庫の奥に眠っていたようだが、時代は既に仮想空間を舞台とするゲームが主流となっていた。点で書かれた平面の世界を四角い画面に映し、3つ電子音を奏でるそれは、僕にとってあまりにもチープに感じられた。しかし、妹はそんなゲームをこよなく愛し、満面の笑顔を作ってみせる。
「兄さん、遅いよ! あはっ、早く登っておいでよっ」
そう言いながら僕を置き去りにして上へ上へと進む妹。そのゲームは、ふたりで協力プレイをするという体裁をとっていたが、片方のプレイヤーが早く進んでしまうと、もう片方のプレイヤーが画面の下に押し出され、ミスとなってしまうようになっていた。彼女はそうやってしきりに僕を弄ぶ。だが、それでも僕は嬉しかった。果音が絨毯の上に正座して、コントローラーを綺麗な指で叩くのを見ているだけで満足だった。
「でもさ、この頃のゲームって脈略ないよね。なんで氷山の上に野菜が落ちてるんだろうね?」
僕は答えることができなかった。隣に座る彼女の小悪魔チックな視線に、固唾を飲み込むことで精一杯だったのだ。しかし、果音も高学年になれば、当然のように僕と遊びに興じることは少なくなり、僕との距離も心なしか開いて行く。そんな中僕は、妹と遊ぶことに費やしていた膨大な時間を使って、ゲームをしたり、主にライトノベルと呼ばれる本を読むことに熱中するようになった。だけど、僕がひとりで遊んでいる間、妹は何をしていたのだろう? 大好きだった彼女の笑顔も、僕が中学に上がる頃にはほとんど見ることはなくなっていた。