表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

自喪の朝

作者: koumoto

 ぼくはこれから死ぬぼくの寝顔を眺めていた。これから目覚めて、これから家を出て、これからかれて、これから死ぬぼくを眺めていた。

 窓から差す朝の光。快晴だった。気持ちのいい朝だった。死ぬ日の天気は、死後も思い出されるのか。雨が好きだった。雨の日に死にたかった、というほどではないけれど。晴れの日に死にたかったわけでもない。

 ぼくはまだ目覚めない。これから死ぬことも知らずに、まだ眠っている。夢でも見ているのだろうか。自分が死ぬ夢。何度か見た覚えがある。ある意味では予知夢だ。絶対に外さない未来予知。死ぬということ。自分も他人も分け隔てなく。

 ぼくは自室のオーディオ機器をいじくり、音楽をかけた。死ぬ日にうってつけの音楽は何だろうか。自分の葬式にかけたい曲、なんて、生きていた時に人と話したことはある。しかし葬式というのは、半分は生きている人間のために行う儀式であって、死人の音楽の好みなんて関係ない。そもそももったいぶった儀式が嫌いだし、儀式で流れる音楽なんて最低だ。集団を酔わせる情緒に触れたくない。個人に語りかける音楽であってほしい。だから死ぬ朝にかける音楽は、静かな音楽を選んだ。耳を澄まさないと消え入るような、かすかな音色。これから死ぬぼくに届くかはわからないけれど。これから死ぬぼくの眠り。もう死んだぼくの祈り。音楽のまにまに溶け合ってうつろだった。

 目覚ましの音が鳴った。これから死ぬぼくがそろそろ目を覚ます。ぼくは名残を惜しみながら音楽を止めた。ずっと音楽を聴いていたかった。死ぬ前も死んだ後も夢のなかでも。沈黙も静寂も音楽のように聴きたかった。そのために音楽は必要だった。静けさを聴くための音楽が。

 これから死ぬぼくは眠りから覚めて身体を起こした。空気を確かめるようにぼんやりしている。朝が疎ましいのかもしれない。これから死ぬならなおさらだろう。それとも、貴重な朝を恩寵として受け取るのか。窓の外では鳥が鳴いていた。鳥にとっての朝は、どんな恩寵なのだろう。

 これから死ぬぼくは身支度を始めた。洗面所で顔を洗う。鏡に映ったこれから死ぬ顔を、これから死ぬぼくが見ている。もう死んだぼくがそれを眺めている。別に死相が出ているわけでもない。これが死相なら、ぼくは毎日のように死んでいるだろう。いつも通りだった。いつも通りの朝で、いつも通りに出かけて、いつも通りではない死に出会うのだ。もう死んだぼくは、鏡に映らない。鏡に映っているのは、これから死ぬぼくだけだった。

 ぼくは自分のために自分を弔っていた。死ぬ朝に。ひとりきりで。これから死ぬぼくに捧げる、もう死んだぼくの告別の儀式。

 これから死ぬぼくは、オーディオ機器をいじくり、出かける前に音楽を聴き始めた。激しい音楽だった。でも攻撃的ではない。むしろ優しかった。穏やかではない優しさのかたちもある。そんな音楽を聴いて、これから死ぬぼくは、これから過ごす一日を乗り切ろうと、自分を鼓舞していたのだろう。もう死んだぼくにもその気持ちはわかった。乗り切ることはできないのに。人生は朝で終わるのに。

 これから死ぬぼくは、音楽を聴きながら本を開いた。何度も何度も読んだ本。自分が言えなかったことを、言いたかったことを、言うべきだったことを、静かに教えてくれるような――こころを預けて、記憶を解放してくれるような、付き合いの長い大切な本。まだ心臓が動き、まだ息をしているぼくが、人生の最後に読んだ本。それは悪くない朝だった。言葉と音楽に守られて、満ち足りていた。これから死ぬことを知っているぼくにも、それは納得できる朝だった。

 これから死ぬぼくは水を飲んだ。喉を潤す、最期の滴。それもまた恩寵なのだろうか。神の涙のような朝の水。末期まつごの水の味がした。魂に水分が染み渡った。

 これから死ぬぼくが扉に向かって歩いていく。死ぬための道をたどろうとしている。もう死んだぼくはそれを見送ろうとしている。朝は過ぎる。死は止められない。扉は開かれる。ぼくは消えていく。

 さようなら、他人のように遠かった自分。いままで生きてくれて、ありがとう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ