次の手段を考えた
「もーっ! 酷いよコリアンデちゃん! 私すっごく心細かったんだからね!」
「ごめんなさい! 本当に申し訳ありませんでしたわ!」
食堂に戻った瞬間、泣きそうなソバニに抱きつかれたコリアンデは、何とか彼女をなだめて手早く昼食を終えると、這々の体で寮の部屋へと戻ってきた。すると緊張の解けたソバニが猛然と抗議の言葉を口にし、コリアンデはそれにひたすら謝罪の言葉を重ねていく。
「はーっ、本当に怖かった……みんな私の事凄い目で見てくるのに、そのくせ誰も話しかけてはこなくて……まあ何か聞かれても何も答えられなかったけど。
っていうか、コリアンデちゃんいつの間にあの下着を無くしてたの?」
「いえ、無くしてはおりませんわ。おそらくですけれど、私達がいない間に誰かがこの部屋に忍び込んで、私の下着を盗んでいったんでしょうね」
「ええっ!? まさか本当にアッカム君が盗ったの!?」
驚きに目を丸くするソバニに、コリアンデはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、それはまずないでしょう。本当にアッカムさんが盗んだのであれば自分であれ程驚くことはないでしょうし、何よりアッカムさんはそんなことしませんわ」
「だ、だよねー! よかった……」
コリアンデの言葉に、ソバニはあからさまにホッとした表情を見せる。基本的にコリアンデにばかり突っかかってくるアッカムだったが、だからといってソバニを無視しているわけではない。普通に話もしてくれるしおやつも分けてくれるので、ソバニとしてもアッカムがそんなことをするとは思いたくなかったからだ。
「でも、それじゃ誰が? 何でアッカム君のポケットに入ってたの?」
「誰が、というのはわかりませんけど、アッカムさんのポケットに入れていたのは……おそらくは私とアッカムさんを仲違いさせたかったのではないかと」
「コリアンデちゃんとアッカム君を? 何で?」
「アッカムさんはあれで高位の貴族ですから、私のような田舎貴族と仲良くしているのが許せなかった……とかでしょうか?」
「うーん、よくわかんない……自分が仲良くなりたいとかじゃなくて、誰かと誰かが仲良くするのが許せないなんて、どうしてそんなこと思うんだろう?」
「まあ、そういう考えをする方もいるかも知れないというくらいの認識で構いませんわ。きっとソバニさんには理解できないでしょうから」
「えーっ!? それ、私が頭が悪いってこと!? 確かにそんなに成績はよくないけど……」
むっとした顔をするソバニに、コリアンデは苦笑してソバニの正面から隣へと居場所を移す。肩が触れそうな距離で並び立つと、コリアンデはグッと近くなったソバニの顔をみて微笑みながら言葉を続けた。
「違いますわ。ソバニさんは本当にいい人ですから、そういう人の気持ちはわからないと思ったんです。そしてできることなら、ずっとわからないままでいて欲しいですわ」
「そう、なの? やっぱりよくわからないけど、コリアンデちゃんがそう言うなら、まあいいかな?」
「ええ、そうしてくださいな」
コツンと額をくっつけ合って、互いの吐息を感じられるほど近づいた顔で二人一緒に笑い合う。その幸せな瞬間をソバニは無邪気に楽しんで……しかしコリアンデの方は、これを仕掛けた「誰か」の影に、しばし内心を曇らせるのだった。
「気に入りませんわね」
学生寮の一番端にある、高位貴族のための部屋。コリアンデ達の部屋とは広さも豪華さも段違いの一室にて、据え付けの高級なテーブルで紅茶を嗜むイジワリーゼが、不機嫌そうにそう声を漏らした。
「申し訳ありません、リーゼお嬢様」
「ごめんなお嬢様。アタシ言われたとおりにやったのに……」
「構いませんわ。貴方達はよくやってくれました」
取り巻き二人の謝罪の言葉を、イジワリーゼは特に責め立てること無く受け入れる。実際今回の作戦における二人の働きは、ほぼ完璧なものだった。
「こっそりと下着を盗み出し、アッカムのポケットに忍ばせたミギルダの手並みも、衆人に紛れて意識を誘導するよう呟くヒダリーの働きも、本当に素晴らしいものでしたわ。ただ……」
言って、イジワリーゼはカチャリと音を立ててティーカップを皿の上に置く。そんな初歩的なマナー違反をするのは、それだけイジワリーゼが冷静では無い証拠だ。
「あの田舎娘が、ワタクシが考えるよりずっと強かだったということですわね」
そう呟くイジワリーゼの指先が、怒りにワナワナと震える。通常ならばあの場でアッカムの評価は地に落ち、如何にベイダー伯爵家の威光があろうとも完全に孤立することになったはずなのだ。
そして、そこを取り込む。甘く優しい言葉で傷ついた心を癒やし、更にそこに毒を吹き込むのだ。
――アッカム様があのような下賤な娘の下着など盗むはずがない。そんなことをする人物でないことはワタクシが一番わかっておりますわ。
――ですが、アッカム様のポケットに下着が入っていたのは事実。これは一体どういうことでしょう?
――ええ、ワタクシ聞いてしまったのです。あの子がアッカム様の服のポケットに自らの下着を忍ばせたと、もう一人の田舎貴族の娘と話しているところを。今までされたイタズラの仕返しとして、アッカム様の面子を潰してやるのだと言っておりましたわ。
――ええ、ええ、酷いですわ。こんなこと……田舎貴族の娘達が結託して高位貴族であるアッカム様に復讐するなど、決して許されることではありませんもの。
――フフ、大丈夫ですわ。ワタクシ達が名乗りをあげれば、アッカム様の悪評などすぐに覆せます。そうしたらあの娘達にも、相応の報いを味合わせてあげることに致しましょう。きっとご満足いただけますわ……
あの野蛮なカエル男に媚びるような発言をするのは気に入らないが、それでも一度手懐けてしまえば後はどうとでもなるはず……何なら説得の際には夜の自室に招き、少しだけ薄着になって誘惑くらいしてやろうかとまで考えていただけに、まさかその最初の段階で躓くとは、イジワリーゼはこれっぽっちも思っていなかった。
「……ヒダリー、おかわりを」
「畏まりました、お嬢様」
新たに注がれた紅茶を、イジワリーゼはゆっくりと口に含んでいく。高級な茶葉のふくよかな香りが鼻をくすぐり、ほのかな渋みと共に温もりが喉を滑り落ちていくことで、イジワリーゼの中に少しずつ冷静さが蘇っていく。
「認めなければなりませんね。あの田舎娘は単なる田舎娘ではないと」
「そう、ですね。まさか咄嗟にあのような行動に出られるとは、とても思っておりませんでしたので」
「アイツ、随分と気合いが入ってるよな! アタシなら『このヘンタイ!』って言って、絶対殴っちゃってるところだぜ!」
「それはミギルダだけよ。ですが、確かにあの娘……コリアンデでしたか。コリアンデは侮りがたい相手だと思います」
今回イジワリーゼ達の考えた作戦は、場の空気を操って思い通りの流れを作り出すことを肝要としていた。そういう曖昧なものであれば、イービルフェルト侯爵家の家名を持つイジワリーゼの言動だけで白でも黒でも好きに染められるからだ。
だが、今回はそれを逆に利用された。あの場の何処にも確たる証拠などないからこそ、コリアンデの嘘もまた嘘だと証明する手段がなく、その立ち回りのみで何となく解決した空気を作り出されてしまったのだ。
そして、それを深く突っ込むことなどできない。曖昧さを何処までも無くしていけば、最後に残る事実は「ミギルダが下着を盗んでアッカムのポケットに仕込んだ」というものなのだから。
「これはもう、優雅さがどうなどと言っている場合ではありませんね」
「ということは?」
問うヒダリーに、イジワリーゼは含みのある笑みを浮かべる。
「勿論、この手でもう一度立場の違いというものをわからせてあげるのですわ! まずは、そうですわね……」
イジワリーゼの脳内に、様々な「淑女教育」の手段が浮かんでは消えていく。一つ一つを吟味し、どれがあの田舎娘を泣かせるのに相応しいかを選んで……
「よし、まずはこれに致しましょう」
ニィッと浮かぶその笑みは、窓の外から除く三日月のようであった。





