ヤバい女に睨まれた
入学から二ヶ月経った、とある日。アッカムのイタズラも鳴りを潜め、コリアンデは平穏ながらも賑やかな日々を送っていた。
「おい、貧乏女!」
「あら、アッカムさん。どうされましたか?」
「……これをやる」
「まあ、これはありがとう存じます。お返しというわけではありませんが、一緒に紅茶を如何ですか?」
「……飲んでやってもいいけど」
「ふふふ、ではこちらへどうぞ」
昼食の時間、食堂で食事をしているコリアンデとソバニのところに、おおよそ三日に一回くらいの割合でアッカムがやってくるようになった。コリアンデ達はそれを笑顔で受け入れ、三人で紅茶を飲みながら雑談をする。
「なあ、お前達って俺と話して楽しいのか?」
そんな日常のなか不意にそう問い掛けられ、コリアンデとソバニは顔を見合わせ首を傾げる。
「え? ええ、私は楽しいと思いますけれど……ソバニさんはどうですか?」
「私も楽しいよ。でも、何で?」
「いや、俺が好きな話をすると、大抵の奴は野蛮だとか何とか、つまんねーことばっかり言うから……」
ベイダー伯爵家は、交流を望む貴族が多数いる有力な家だ。だというのにアッカムの周囲にあまり人が集まらないのは、上品な貴族教育を受けた人物ほどアッカムとは話が合わないからである。
無論それを乗り越えて付き合いを持とうとする、あるいは持たせようとする者もいたが、所詮は子供。無理をして引き合わせてもすぐに限界が来てしまうため、アッカムに取り入るのはもうちょっと彼が成長し、落ち着いてから……というのが周辺貴族家の共通見解だった。
「ふふふ、それはまあ、わからないこともありませんわね。アッカムさんは何と言うか……ごく普通の子供という感じですから」
「何だよそれ、馬鹿にしてんのか!?」
「そんなことありませんわ。子供が子供であって何が悪いというのです?」
「そうだよ! 私だって、未だにちゃんとした口調で話すの苦手で先生には怒られてるから、普通に話せるのって凄く嬉しいよ?」
「そ、そうか。ならいいけどよ……」
飾らない二人の言葉に、アッカムはまんざらでも無さそうな笑みを浮かべる。最近ではアッカムもこの会合を楽しみにしており、これを二日に一回にするためにどうおやつを切り詰めるかに頭を悩ませたりしているほどだ。
また、コリアンデ達のこの交流は学園の教師達からも歓迎された。問題児でありながら強く出ることのできないアッカムが精神的に落ち着いてくれたことは、教師達としても願ったりである。
多くの者が望みながらも敵わなかった有力貴族と繋がりを持ち、教師達からも間接的にとはいえ評価を得る。コリアンデの学園生活は一見すれば順風満帆であったが……そうして目立ってしまえば、望まないものも呼び寄せてしまう。
「……気に入りませんわね」
食堂の中央付近で盛り上がるコリアンデ達に、片隅に陣取った少女が……と言っても窓際なのでこちらの方が一等席なのだが……忌々しげな視線を向ける。その金髪の揺らめきに合わせるように、同じテーブルに着いた残りの二人もまた苛立ちを込めて追従の言葉を述べる。
「だよな。なんていうか、チョーシに乗りすぎじゃね?」
「そうですね。あれほどわからせてあげたというのに、どうやらリーゼお嬢様の誠意は全く伝わっていなかったようです」
「残念ですわ。本当に残念です……」
ミギルダとヒダリーの同意を受けて、イジワリーゼが悲しげな顔つきでそう呟く。といっても当然ながらそう見えるだけで、イジワリーゼの腸はこれでもかと言うほど煮えくり返っている。
(どういうことですの!? このワタクシの声を無視した挙げ句、カエルを投げつけるなどというあり得ない蛮行を働いたあのお子サマが、どうしてあの娘にはあんなに懐いておりますの!? あり得ませんわ、あり得ませんわ!)
この学園に入学するに当たって、イジワリーゼは自分の手足となるべき存在をきちんと勉強してきていた。その中でもベイダー伯爵家の長男であるアッカムは家柄的にも取り込んでおきたい相手であると同時に、イジワリーゼ個人としても目をつけていた。他家の子女に好き放題に悪戯を働く問題児。そういう相手をひれ伏させて自分の思い通りにするのがとても気持ちよさそうだったからだ。
だが、現実はそう都合よくはいかなかった。アッカムは「学園内に身分差は無い」というのを真に受ける、極めて珍しい……あるいは単純な存在であったため、侯爵家の威光が通じなかったのだ。
そしてそれがないのであれば、アッカムにとってイジワリーゼはやたらと上から話しかけてくるうるさい女でしかない。なのであっさりとカエル爆弾を喰らい、顔に感じるひんやりねちょっとした感触にイジワリーゼはその後三日、部屋から出てこないほどの衝撃を受けたのだ。
(まったく、あの時の衝撃のせいであの田舎娘に対する「淑女教育」も全然できませんでしたのに……それがどうしてあんな風に仲良くなっておりますの!?)
初日に自分に恥を掻かせた田舎娘と、高貴な自分の顔に下等生物を投げつけてきたお子サマ。その二人が……正確にはもう一人いるのだが……仲良くしている姿を見せつけられるのは、イジワリーゼにとってこれ以上無い屈辱であった。
「これはもっと本格的な『淑女教育』が必要ですわね」
「でも、どうするんだ? いつもみたいに呼び出して何かするのか?」
「それもいいですけれど……ワタクシが直接手を下すのは、あまり優雅ではありませんわね」
ミギルダの提案を、イジワリーゼがやんわりと否定する。ミギルダとヒダリーの二人だけは幼少期から共にしていた取り巻きであり、今までも幾度となく気に入らない相手をそうやって「教育」してきたのだが、今回ばかりは気が進まない。
「確かに、あの娘に直接手を出すのは……何と言うか、あまりよくない感じがしますね。色々と」
イジワリーゼの言葉に、ヒダリーが同意する。三人の中でもっとも冷静なヒダリーは、あの時のコリアンデの倒れ方がおかしかったことにきちんと気づいている。というか、そもそも三人がかりになるまで倒れなかった時点で普通の相手であるはずがないのだ。
「なら、どうすんだ? アイツ、お嬢様の家名もあんまり効かなかったよな?」
「となると、裏から手を回して怖がらせるのはどうでしょう? 部屋に入ってドレスの一つも切り裂いてやれば……」
「ドレス、ドレスですか…………」
二人の声を聞き流しながら考えを深めていたイジワリーゼだったが、そこでピンと頭に閃くものがあった。それをきっかけに次々と組み上がっていく思いつきは、何もかもを思い通りにする最高の作戦へと変わっていく。
「フフフ、ワタクシ、いいことを思いつきましたわ」
「ホントか!? さっすがリーゼお嬢様だぜ!」
「ふふ、褒めてもご褒美は出ませんわよ? それにこの作戦には、ミギルダに協力してもらう必要があります。勿論やってくれますよね?」
「オウ! アタシに任しとけ!」
悪そうな笑みを浮かべるイジワリーゼに、ミギルダは内容すら聞かずに承諾する。勿論立場的に断ることなどできないというのもあるが、そもそもよほどの事でなければミギルダにイジワリーゼの頼みを断るという考えが無いのだ。
そしてイジワリーゼもその辺の見極めはしっかりやっている。危ない橋を渡らせることはあってもきっちり抜け道や逃げ道は用意しておくし、何なら自分の名を出して保護することもある。
ミギルダやヒダリーにとってイジワリーゼが主人であるように、イジワリーゼにとっての二人もまた替えの効かない大事な配下なのだから。
「ふふふ、見てらっしゃい。このワタクシを怒らせたこと、後悔させてあげますわ! オーッホッホッホッホ!」
「何だ、笑うのか? アッハッハッハッハー!」
「おーっほっほっほっほー」
食堂の一角に、突如として高笑いが響き渡る。自分達のテーブルの側に誰も座らないのは侯爵家の威光を恐れているからではなく、単に怪しすぎて近づきたくない者ばかりなのだということを、イジワリーゼ達は誰一人として知ることはなかった。