備えがあるので助かった
「では、本日のお茶会を開始致しますわ」
「わー!」
「ぱちぱちー……これ毎回いるか?」
「フフッ、そこは様式美というやつですわ」
その日の放課後、コリアンデの宣言に良くも悪くも慣れきった二人がいい具合に緩い返事をする。既に何度も招かれているため、女子の部屋であってもアッカムに緊張の色は無い。
ちなみにだが、別にこっそり連れ込まずとも、ちゃんと申請を出せば常識的な時間であれば異性の寮に立ち入ることに何の問題もない。逆に無許可でこっそりやってくる方が問題になるので、アッカムが今ここにいるのはきちんと許可を取ってのことである。
「それで? 何か話があったんだろ?」
「そうだよ。あんまり人に聞かれたくない話って、コリアンデちゃん何かあったの?」
出されたお茶をとりあえず一口飲んでから、アッカムとソバニがコリアンデに話しかけてくる。一体何がと若干心配そうな顔をする二人に、コリアンデもまたお茶を一口飲んでから話を始めた。
「では、順番にお話していきましょうか。まずはソバニさんが軟禁されていた部屋に関することなのですが、あの部屋に開いていた床の大穴は、『大きな本棚が倒れた時に床板が割れてできた』ということで結論が出たそうです」
そこにソバニが閉じ込められていたことは、関係者以外に知る者はいない。が、ショーネが申請していた使用期限が切れた後に、用務員が室内を見回せば異変があったことはすぐに気づく。
そしてそれを調べた結果、床に大きな穴が開いているからという理由で件の離れはしばらく立ち入り禁止という通達が掲示板に貼られており、それを更にコリアンデが確認した結果がその内容だった。
「あれ? そうなの?」
「はい。一応『私が壊しました』と名乗り出たのですが、ふざけて調査の邪魔をしてはいけないと怒られてしまいまして……」
「そりゃまあ、そうだろうなぁ」
苦い表情で言うコリアンデに、アッカムが然もありなんと頷いてみせる。床板の割れ方からして、道具などを用いずに大きな力で破られたのが明白であるならば、たとえ裂けた断面が下から上に力がかかっていたという矛盾を飲み込んでも、目の前の小さな女生徒がやったと考えるよりは、巨大な食器棚が倒れた衝撃で破れたと考える方がずっと常識的だ。
「なので、修理費のおおよそを計算したうえで、匿名で寄付をしておくことに致しました」
「そっかぁ。私も出せたらいいんだけど、私のお小遣いじゃどうしようもないよね……」
「ソバニさんが気にする必要はありませんわ。あの床を破ったのは私の意思ですし、そもそもソバニさんは被害者ですもの。ソバニさんに修繕費をたかるような厚顔無恥な方がいたら、むしろ私がウホって差し上げますわ」
ションボリと肩を落とすソバニに、コリアンデがそう言って微笑む。無論アッカムもその意見に同意しているが、それとは別の疑問に首を傾げてコリアンデに問う。
「ん? でもなんでそれを誰かに聞かれたくなかったんだ?」
「それはその……ほら、モブリナさん達に聞かれてしまうと、我先にとお金を出されてしまいそうで……」
「あー、確かに。むしろ誰が出すのかを巡って喧嘩とかしそうだよね」
「元はと言えばアイツ等が悪いんだから、別にいいんじゃねーか?」
「そうはいきませんわ。自分でやったことは、きちんと自分で責任をとりませんと」
名乗り出てすら否定されたのだから、放っておけば何事もなく床の修繕は終わることだろう。だがそうして自分の為したことから目を背けてしまえば、いずれは自分の力に溺れてしまう。
所詮は自己満足であり、自分勝手な拘りと言われればそれまでなのだが、そういうものこそが人の在り方を形作るのだとコリアンデは固く信じていた。
「ふーん、そんなもんか。でも、床の修繕費ってどのくらいなんだ? おやつ一〇日分くらいか?」
「それは流石に……いえ、伯爵家のおやつとなれば、ひょっとしたらそのくらいの可能性も否定はできませんけれども。とりあえず私の手持ちで払える額ではありませんでしたので、やむを得ず『ウホ資金』を崩しましたわ」
「ウホ資金?」
全く聞き覚えの無い単語に、ソバニが不思議そうにコリアンデの顔を見て問う。
「そうですわ! 『ウッと困った時にホッと胸を撫で下ろす余裕を生み出す森の恵みで稼いだ資金』……略してウホ資金です!」
厳しくも豊かな大自然たる森の中には、稀少な薬草やキノコの他、宝石や貴金属などの換金性の高い物も多少なれど存在していた。それらを回収して地元の信頼のおける商人に委託し、必要に応じて引き出せるようにしているのが「ウホ資金」である。
王都とローフォレス子爵領は結構な距離があり、送金には時間と手間賃がかかるためそう頻繁に引き出したりはできないが、今回はやむを得ずそれをいくらか取り崩して修繕費に充てたのだ。
「ということなので、ソバニさんは心配しなくても大丈夫ですわ。それとそうやってようやくお金が作れましたので、こちらはアッカムさんに」
そう言ってコリアンデが立ち上がると、クローゼットの中から小さな箱を取り出してアッカムに手渡す。
「先日お借りしたハンカチですわ。どうぞお納めくださいませ」
そう告げるコリアンデの頬が、心なしか赤くなる。ショーネをウッホウホにした際、またしてもコリアンデの衣服はその動きに耐えられず、何故かお尻の部分だけがすり切れてしまっていた。
それに気づいたソバニがアッカムからハンカチを借りてすぐに隠してくれたのだが、自分の尻を覆ったハンカチをアッカムに返すわけにはいかない。そのため新品を用意しようとしたのだが、伯爵家の嫡男であるアッカムの私物だけあって絹製のハンカチは相応に高価であったため、今回ウホ資金を送金してもらったことでようやく調達することができたのだ。
「ん? これ新品か?」
手にした箱からハンカチを取りだし、広げてみたアッカムがコリアンデに問う。
「ええ、そうですけれど?」
「……前のは、返してくれないのか?」
「えぇ? あれは流石に……」
「アッカム君、何であのハンカチが欲しいの?」
「いや、だって……あれ、こいつが一生懸命刺繍してくれたやつじゃん」
「あっ、そっか……ごめんね」
ジト目を向けたソバニが、アッカムの言葉に申し訳なさそうに声を落とす。そしてそんな二人の態度を見て、コリアンデはフゥと小さく息を吐く。
「わかりましたわ。でしたらそちらにも新しい刺繍を刺しましょうか?」
「いいのか!? で、でも、刺繍って、その……こ、婚約者とかにしか、しないって、こ、この前……」
何故か突然しどろもどろになるアッカムに、コリアンデは思わず苦笑しながら答える。
「確かに一般的にはそうなのでしょうけれど、私の刺繍はそれほど大したものではありませんもの。それにアッカムさんのようにあれを貰って喜んでくださる方にならば、刺繍のし甲斐があるというものですわ」
「そ、そっか! なら、まあ、あれだ! 頼んでやるから、してくれよ!」
「フフッ、わかりました。とはいえ三回目ともなると、図案が……何か刺して欲しい刺繍の柄というか、絵などはございますか?」
「何でもいいのか? うーん…………あっ、そうだ!」
しばし考え込んだアッカムが、パッと表情を輝かせて叫んでから、その内容を語っていく。
「――っていうのはどうだ?」
「うえぇ!? それはまた、難しい注文ですわね」
「うわ、それ凄くいい! それ私も欲しいなぁ」
「ならさ、ハンカチは俺が三人分用意するから、刺繍はお前達二人がやって、それでみんなが同じのを持つってのはどうだ?」
「アッカム君、最高! 天才だよ! うん、それなら私が外枠を刺繍するね!」
「え、本当にですか!? それ私の責任が大きすぎるというか……」
「じゃ、早速ハンカチを用意させるぜ!」
「頑張ろうね、コリアンデちゃん!」
「…………はぁ、まあ、はい。精一杯頑張らせていただきますわ」
二人の勢いに押され、コリアンデはその頼みを了承してしまう。そうして三人の手に渡ることになるハンカチの刺繍は――――





