夢見た話を語ってみた
「あー、よかった! 私、本当は凄く緊張してたの。お祖父ちゃんの寄親の伯爵様が、『せっかくイールセン家で初めての生まれながらの貴族なのだから』ってことで気を遣って私を入学させてくれたんだけど、上手くやっていけるかずっと心配だったんだ」
二段ベッドの上からひょっこりと顔を出したソバニが、ご機嫌な様子でコリアンデに話しかける。豪華……というよりも荘厳な感じさえした入学式にすっかり物怖じしていただけに、こうして普通に話のできるコリアンデと同室になれたことを、心の底から喜んでいるからだ。
「そうなんですか。私の方も似たようなものですわね。当家も普通ならこの学園に通えるほどの家格はありませんし」
「そうなの? コリアンデちゃんはすっごく貴族のお嬢様って感じだけど……私なんて喋り方も全然なのに」
「そこは確かに、少し練習した方がいいかも知れませんね。ですが大した違いはありませんわよ。今日だって本物のお姫様方から、手痛い洗礼を受けましたもの」
「えっ、それって……?」
不思議そうな顔をするソバニに、コリアンデは床に脱ぎ捨てられた泥だらけのドレスに視線を向ける。
「えっと……ぬかるみで転んだんだよね?」
「ええ、そうですわ。正確には『突き飛ばされて』ぬかるみで転んでしまったんですが」
より正確に言うならば「どれだけ押されても転ばなかったので、やむなく自分から転びにいった」のだが、流石にそこまでは説明しない。
「ええっ!? そんな、酷い……」
そしてそんなコリアンデの言葉に、ソバニは悲しみと心配の入り交じった視線をコリアンデに向ける。純粋に自分を気にかけてくれていることが伝わり、コリアンデは柔らかな笑顔をソバニに向けた。
「貴方は優しい方ですね、ソバニさん。でも大丈夫! 何せ私はいじめられることを覚悟したうえでこの学園に来ましたから」
「いじめられる覚悟!? え、何それ!?」
笑顔でそう断言するコリアンデに対し、ソバニは逆に混乱を深めてしまう。
「いじめられる覚悟って、どういうこと!? それ、ひょっとして私もしないと駄目なやつなのかな?」
如何に田舎貴族の娘とはいえ、身分差によるいじめが存在すること自体はソバニも知っていた。だがそれは「そういうこともある」という知識があるだけで、まさか自分がいじめの対象になると考えていたわけではない。
だが、コリアンデが事前にそれを覚悟していたというのなら、身分差によるいじめはほぼ確実に自分の身にも降りかかることになる。ならばこそ不安げな声をあげてしまうソバニだったが、コリアンデは小首を傾げて少しだけ考え込む。
「うーん、ソバニさんがいじめ……『淑女教育』を受けるかどうかは何とも言えませんわ。運悪く高位貴族の方のご不興を買ったり、あるいは悪目立ちしたりすればその限りではありませんが、別に高位貴族の方が必ず下位貴族の娘をいじめるわけではありませんもの」
流石に「貴族の嗜み」のレベルでいじめが発生するのであれば、学園側も何らかの対応をしたことだろう。だが実際には下位の貴族のことなど気にもしない令嬢の方がずっと多い。わざわざいじめを働くのは、あくまでも一部の紳士淑女だけだ。
「なら、何でコリアンデちゃんはいじめられる覚悟なんてしてたの?」
「それは……ソバニさんに信じていただけるとは思えない話になりますけれど、それでもお聞きに――」
「聞くよ!」
最後まで言わせること無く、ソバニがコリアンデの言葉に被せてくる。
「聞くよ。だって私達、もうお友達でしょ!」
何の計算も打算も無い、まっすぐな目で「友達」と言われたことで、コリアンデの胸に優しい温もりが満ちていく。
ならば誠意には誠意で答えなければならない。それで生まれたばかりの友情が破綻してしまうとしても、嘘で塗り固めた脆い絆を結ぶよりもずっとよい。
「……そうですか。では、お話しします」
小さな笑みを浮かべてから、コリアンデはかつて自分に降りかかった「奇跡と悲劇」の話を、ゆっくりと語り始めた。
「あれは、六歳の誕生日のことでした。普段よりも大分豪華な食事と、この日ばかりはと甘いお菓子も一杯食べて、幸せな気持ちでベッドに入った私は……その晩謎の高熱に見舞われました」
「うわー、誕生日の夜に熱なんて、可哀想……」
「ですわね。ただ幸いだったのは、私自身はその熱を特に辛いと思わなかったことですわね。頭がボーッとして、体全体がフワフワするような感じで……気づいた時には、私は夢を見ておりました」
「夢?」
「そう、夢ですわ。私はその時、この学園での出来事を夢に見ていたのです」
「じゃあ、コリアンデちゃんはその時にここでいじめられる夢を見たの?」
「それは……合っているとも言えますし、間違っているとも言えますわね」
「? どういうこと?」
「その時私が見ていた夢は、私自身の夢ではなかったのです」
不思議そうに首を傾げるソバニにそう告げると、コリアンデは更に話を続けていく。
夢の中でコリアンデが見ていたのは、見ず知らずの誰かの背中だった。その誰かは特別な才能を持つ外部生として、初等学部から高等学部に切り替わる一五歳の時にこの学園に編入し、以後卒業までの三年間をここで過ごすことになる。
その学園生活は正しく波瀾万丈で、平民である彼女は疎まれ、いじめられたりしつつも強く逞しく学園生活を送っていき、そんな彼女の輝きに惹かれて彼女の周りには沢山の人が集まってくる。
格好いい人、やんちゃな人、大切な親友に面倒見のいい先輩。素敵な人達に囲まれ波瀾万丈の学園生活を送る彼女だったけれど……ある日その目に、とても見過ごすことの出来ない酷い光景が映ることがあった。
『ねえ、イケテリアス。あれは何? 何であんなことが学園の中でまかり通っているの!?』
『あれは我が国の闇だ。身分を盾に上の者が下の者を虐げる……力を持ちすぎて腐敗した貴族の在り方が、まさか学園にまで蔓延しているとは……』
『なら、今すぐに止めなきゃ!』
『……すまない。それはできないんだ。王子である私が高位貴族の令嬢の行動に口を挟むと、政治問題になってしまう』
『そんな!? なら私が――』
『駄目だ! 今君がもめ事を起こせば、君の後見をしてくださっているウシロダテン侯爵の問題になってしまうんだぞ!? 君の我が儘のために侯爵様とあの家の対立関係を生み出すつもりなのかい?』
『それは…………くっ、なら今の私には何も出来ないってわけ!? そんなのあんまりじゃない!』
『…………堪えてくれヒロイルナ。大きなものを支えるためには、辛い現実を受け入れる必要もあるんだよ』
悔しそうに言う男の子の言葉に、彼女もまた思いきり拳を握って堪える。そしてそれをきっかけとして、彼女はこの学園からいじめを無くすことを目標にすることになった。
彼女は頑張った。言葉と態度で説得し、生徒みんなに「あんなものを許してはいけない」と伝えていった。勿論それを気に入らない人々からの反発や、もっと具体的な嫌がらせも沢山あった。
でも彼女はその全てにめげること無く、ひたすら地道に努力を重ねていく。それに心を動かされた人々が少しずつ彼女を助けるようになり……そして卒業を間近に控えた夏、彼女は遂に当時の生徒会長との公開討論で勝利し、この学園から「淑女教育」あるいは「紳士指導」と呼ばれるいじめを根絶することに成功した。
その後彼女は誰もが認める最優秀生徒として表彰され、国王陛下からの覚えもめでたく大好きな王子様の婚約者となって、皆に祝福されながら笑顔で学園を卒業していくのだった……