こっそり(?)部屋まで連れてきた
「ん…………」
泣いて泣いて泣き疲れて、気づけばまた眠ってしまっていたソバニが再び目を覚ました時、部屋の中は静かな闇に包まれていた。格子窓から差し込む月明かりは慣れない室内をぶつからずに歩ける程度には明るかったが、逆に言えばそれだけだ。
「夜……夜、かぁ……」
小さく呟き、力なく立ち上がったソバニが壁に掛かっているランタンに近づいていく。脇に置かれた着火具はすぐに見つけられたが、長く使われていないのか残念ながら油が切れており、灯りを得ることはかなわない。
もっとも、ずっとここに居たソバニの目は既に暗闇に順応している。そのまま今度は扉の方に近づいて耳を当ててみたが、その向こうからは何の音も聞こえない。
「誰もいないのかな……? 扉は……開かないや」
試しに扉に手を掛けてみたが、カタカタと音がするだけでやはり開かなかった。
「出て行ってもいいって、ショーネさん言ってたのになぁ……」
そして扉が開かなかったことに、ソバニは心の何処かでホッとしてしまう。
閉じ込められているのだから、コリアンデのところには行けなくて当然だ。助けに行けないのも、謝りに行けないのも、全部自分のせいじゃない……そんな昏い考えが胸の奥から湧き上がり、キュッと唇を噛みしめる。
「私、こんな嫌な子だったかなぁ……」
暗く冷たい部屋の中、たった一人でソバニは膝を抱えて座り込む。その頭に浮かんでくるのは、辛そうに口元を押さえていたコリアンデの姿。
「頑張ってるつもりだったんだけどなぁ……」
友達の為だと思ってしていたことが、全部裏目に出ていた。どうしようもない無力感がソバニの体を満たし、心の中を黒いドロドロが渦巻いていく。
「会いたいなぁ……」
心も体も腐り果て、最後に残った純粋な一欠片がソバニの目からこぼれ落ちる。それが床を塗らした時……それは起こった。
バリッ!
「えっ!?」
突如として、床から何かが生えてきた。黒くて太い何かは音を立てて床板を突き破り、だがすぐに引っ込んでしまう。
バリッ!
「ひっ!?」
そして、開いた穴から少し離れたところで、また何かが生えてくる。引っ込んだ跡にはちゃんと穴が残っているので、幻ではあり得ない。
バリッ! バリッ! バリッ!
「な、な、何!? オバケ!?」
ゆっくりと弧を描くように、床から生えてくる何かはソバニの方に近づいてくる。あまりの恐怖に腰が抜けたソバニは、叫ぶこともできず必死に部屋の隅へと這いずっていく。
バリッ! バリッ! バリッ!
「た、たす、助け…………」
近づいて来た黒い何かは、ある程度まで近づいたところで再び離れて行った。それで少しだけ落ち着きを取り戻したソバニは、いつも持ち歩いている刺繍入りのハンカチを取りだしてギュッと握りしめる。
バリッ! バリッ! バリリリリッ!
「助けて、コリアンデちゃ……」
「えいっ!」
可愛らしいかけ声と共に、円上に穴の穿たれた床が大きく弾け飛ぶ。月の光に照らされて穴から飛び出して来たのは、顔を真っ黒に煤けさせたコリアンデであった。
「こ、コリアンデ……ちゃん…………?」
「ああ、やっぱりここにおりましたのね。探しましたわソバニさん」
「わ、私を探してたの……?」
「ええ、そうですわ。何人かの方とお話しした結果、こちらにいると伺ったので」
「何で床から……?」
「うっ、それはまあ……壁や天井を壊すよりは、まだ床の方が誤魔化せるかなぁと……ちゃ、ちゃんと後で弁償しますわよ!?
ということで、さ、行きましょう?」
「行くって、何処へ……?」
呆気にとられるソバニの手を、コリアンデがそっと掴んでニヤリと笑う。
「それは勿論……深夜のお茶会ですわ!」
「はい、到着ですわ!」
コリアンデにお姫様抱っこされて運ばれた先に待っていたのは、見慣れた自分の……自分達の部屋だった。自分を抱えたまま窓からひょいと飛び込んだコリアンデが、ソバニを部屋の中に下ろす。
「……私の部屋だ」
部屋を出て、まだそれほど経ったわけではない。だというのにソバニの胸には、例えようもない懐かしさが溢れてくる。ずっと窓を開けっぱなしだったために室内の空気は冷え切っているのに、ここは暖炉の前よりも温かい。
「それじゃ、次はアッカムさんを招待致しますので、もう少しだけ待っていていただけますか?」
「アッカム君を? うん、いいよ」
「では、行って参りますわ!」
そう言葉を残すと、コリアンデはまたも窓から飛びだして言った。その後ろ姿を見送ると、ソバニは改めて部屋の中を見回していく。
「帰ってきた……私の部屋だ……」
テーブルに置かれた小物もクローゼットの中身も、自分が出て行った時と何も変わらない。ベッドの梯子を登ってみれば、当然そこにも何の変化もない。
「柔らかい……暖かい……」
ベッドに身を投げ出すと、ふかふかの感触がソバニの全身を包み込む。心身共に疲れ切っていたソバニがついうとうとしてしまうと……次のお客さんが部屋の中へと運び込まれてきた。
「ふごっ!?」
「はい、到着ですわ!」
開け放たれたままだった窓から、再び人影が飛び込んでくる。コリアンデが肩に担いだアッカムを床に下ろすと、アッカムは恨みがましそうな目でコリアンデを見上げた。
「お、おい貧乏女! これは一体どういうことだよ!?」
「ですから、深夜のお茶会へのご招待ですわ! 昼間にこちらからお誘いするのは駄目らしいので、この時間にお会いすることにしたのです!」
「したのですって……滅茶苦茶だなお前!?」
「フフッ、淑女にだって、このくらいの遊び心はあるものですのよ? ではお茶の準備をしてまいりますので、少しだけこちらでお待ちください」
「あっ、おい!?」
アッカムが呼び止める間もなく、コリアンデが部屋を出て行く。そうして部屋に残されたアッカムは、何とも落ち着かない気持ちで室内を見回した。
「てか、何処だよここ。女子寮……だよな?」
真っ暗闇のなか、下手に体を動かしたら落ちてそのまま死ぬんじゃないかという勢いで運ばれてきたのは、如何にアッカムと言えども相当な恐怖だった。なので何処をどう移動したのかは正直よくわからなかったのだが、室内の様子からここがコリアンデの部屋だと推測することくらいはできる。
「すげー狭い部屋だな……ん?」
机の上に置かれた女の子らしい小物や、衣服が詰まっているであろうクローゼット。そんなものを見ているアッカムの目にふと飛び込んだのは、コリアンデが寝ているであろう小さなベッド。
「…………ここでアイツが寝てるのか」
何の気なしに、アッカムはそこに近づいていく。仕切りがあるわけでもないのに何となく閉じた空間を感じさせるベッドの上に身を乗り出すと、コリアンデの体温が籠もっているかのように少しだけ温かい。
「……………………」
何となく、本当に何となく、アッカムはコリアンデの寝ている枕に鼻を近づけ、匂いを嗅いでみた。上位貴族の娘と違ってコリアンデは寝るときに香水をつけたりはしないので、そこから漂うのは純然たる体臭なのだが、鼻孔をくすぐる何処かホッとする匂いがどうにも気になって、アッカムは更にクンクンと鼻を近づけ――
「……アッカム君、何してるの?」
「うわぁっ!? あぐっ!?」
この騒ぎで目覚めたソバニがベッドの上から頭を垂らし、アッカムに声をかける。それに驚いたアッカムは想いきりベッドの天井に頭を打ち付け、その強烈な痛みに頭を抱えて床の上を転げ回った。
「ぐぉぉぉぉ…………いってぇ…………」
「大丈夫? アッカム君」
「ああ、大丈夫だけど……………………見たか?」
「んー? 何にも見てないよー?」
「嘘だっ!」
もの凄くいい顔でニヤニヤしているソバニに、アッカムは器用にも小声で叫ぶ。
「言うなよ!? 絶対言うなよな!?」
「ふふーん。何のことか全然わかんないなー」
「くっそ……違うからな! そういうのじゃないからな!」
「へー」
「ただいま戻りましたわ……って、あら。私をのけ者にして二人で先にお話を始めてしまうのは狡くありませんか?」
と、そこに音も無く扉を開けてコリアンデが戻ってくる。その姿を見たソバニは滑るようにベッドを降りると、すかさずコリアンデの側に駆け寄っていった。
「ねーねーコリアンデちゃん! アッカム君ったらね……」
「おっま、ふざけんなよ!」
「きゃー! コリアンデちゃん、助けてー!」
「待てよ! 待てったら!」
「あー、もう! 二人とももう少し静かにしてくださいませ! いくら深夜でもそんなに騒いだら気づかれてしまいますわよ!?」
自分を中心にグルグルと追いかけっこを始めてしまったソバニとアッカムに、コリアンデがお湯の入ったポットを持ったまま困り顔で注意する。
それはいつもの光景、いつもの関係。まるで離れていた時など無かったかのように、皆が心からの笑顔を浮かべていた。





