助けに行こうと飛びだした
「辞めます!」
学園内に幾つもある、休憩室の一つ。最近はずっと貸しきりとなっているその部屋のなかに響くソバニの声に、部屋の主として悠然と紅茶を嗜む貴族の少女が手にしたカップをそっと皿の上に置く。
「……それはどういうことかしら?」
「だから、辞めるって言ってるんです! 私、帰ります!」
「ハァ……まずは落ち着きなさい。ほら、そこに座って」
「……………………」
憮然とした表情を浮かべつつも、ソバニは少女の前に座る。それを確認すると、少女はジッとソバニの顔を見つめながら言葉を続けた。
「それで、辞めるということだけれど……貴方、自分がショーネ様の紹介でここに来ていることは理解しておりますわよね? だというのにそれを投げ出すということは、ショーネ様に貴方のお世話を頼まれたこの私、タブラ・カステルの顔を潰すのみならず、ショーネ様の温情を足蹴にする行為だということは理解しておられるのですか?」
「そーよそーよ! 何様のつもりなのかしら!?」
「ショーネ様のお言葉を無視するなんて、あり得ませんわ!」
休憩室の中には、ソバニとそのタブラの他にもショーネ派閥の少女達が幾人かおり、その全員がソバニを激しく責め立てる。だがそれを制したのはソバニの前に座る少女……この場唯一の三年生であるタブラだ。
「はいはい、みんな静かに。で、ソバニさん。どうなのかしら?」
「それは……そんなつもりはないですけど……」
「なら、どうして?」
「だって!」
タブラの言葉に、ソバニが大きな声で叫ぶ。
「だって! コリアンデちゃんが……私の大切な友達があんな顔をしているのに、一緒に居てあげられないなんて! そんなの違う! それじゃ私が離れた意味がない!」
まさかコリアンデが葉っぱの裏で蠢く芋虫を想像して顔をしかめていたとは思わないソバニが、必死にそう訴える。友達の辛そうな顔を思い出せば、先輩達に囲まれた重圧など何でもない。
「私はコリアンデちゃんの迷惑になりたくないから! コリアンデちゃんとお友達でいられるように頑張りたいって思ったからここに来たんです! なのにコリアンデちゃんが辛いときに寄り添えないなら、そんなの……っ!」
「なるほど……だから今すぐあの子のところに行きたいと。ですがソバニさん、行ってどうするのですか? 貴方に何ができると?」
「えっ!? そ、それは……」
タブラに問われ、ソバニは思わず言葉に詰まる。ただ近くに、一緒にいたいという想いが先走っているだけで、それ以上のことはソバニの頭になかったからだ。
そしてそんなソバニの態度に、タブラは再び細いため息をつく。
「フゥゥ……いいですか? 今の貴方があの子の元に戻ったところで、何もできません。ですがここで研鑽を積めば話は別です。貴族としての立ち振る舞いを身につけ、ショーネ様のご紹介だという強みを生かして人脈を築くことができれば、あの子にまとわりつく噂だって多少はどうにかできるようになるかも知れません。
なのに貴方はその機会を自ら捨て去り、何も出来ない貴方のままでここを立ち去ると言うのですか? それがどれほど愚かな主張であるか、一から全て説明しなければ理解できませんか?」
「でも……でも……っ!」
「……貴方のその優しさは人としての美点かも知れませんが、貴族としては落第点です。いい機会ですから、あんな近づくだけで人生の汚点となるような娘のことは、これを期に切り捨てなさい。そしてここで美味しいお茶とお菓子を楽しみ、皆とお喋りをして過ごすのです。そうすれば平穏で楽しい学園生活を送ることが約束されるのですから――」
「嫌!」
たしなめるように言うタブラに、しかしソバニははっきりと拒絶の言葉を口にする。その言葉にタブラの眉がピクリと釣り上がるが、ソバニはもう怯まない。
「コリアンデちゃんは、私の大切なお友達だもん! あんなくだらない嘘の噂を真に受けてそれを悪く言うような人達とこれ以上仲良くするなんて、絶対に嫌!
賢い選択なんて知らない! 美味しいお茶もお菓子もいらない! コリアンデちゃんと食べるなら、道に生えてる草だってここのお菓子より美味しいもん!」
「言うに事欠いて、草の方が美味しいですって!?」
「これだから下級貴族の娘なんて嫌だったのよ!」
「というか、草を食べたことがあるんですの……!?」
周囲から上がる批判と驚愕の声を、ソバニは全身で受け止める。イジワリーゼ達の責め苦に心を折られたか弱い娘は、もうここにはいない。
(そうだ、今度こそ! 今度は私がコリアンデちゃんを助けるんだ!)
自分に何ができるのかは、未だにわからない。あるいはタブラ達の言う通り、何もできずに終わってしまうかも知れない。長い目で見るならば、その言葉に従いここで自分を磨き貴族としての力を蓄えるのが賢い選択なのだということも理解できる。
でも、違う。そんなことじゃない。本当に辛いときに欲しいのは、賢い解決法なんかじゃなく隣に誰かが居てくれることなのだ。泣くまでくすぐられ、その後抱きしめられてまた泣いてしまったソバニだからこそ、それが痛い程にわかる。
「私、行きます! それじゃ、タブラ先輩、短い間ですけどお世話になりました!」
ガタッと音を立てて席を立ち、ソバニが颯爽と歩き去ろうとしたが……その背後から重い声が呼び止める。
「お待ちなさい、ソバニさん」
「何ですか先輩? 引き留めても――」
「それが無理なのはわかったわ。でもせめて、入れられた紅茶くらいは飲んでいきなさい。それが貴族令嬢としての最低限のマナーよ」
「……………………わかりました」
一刻も早くコリアンデの所に行きたいソバニだったが、今日まで色々と世話を焼いてくれたタブラにはきちんと感謝している。ならばこそソバニはテーブルまで戻ると、席には着かずに目の前に出されたティーカップを手に取る。幸いにして話をしている間に紅茶は冷めてしまっていたようで、それをソバニは一気に飲み干し……
「それ……じゃ…………?」
不意に、ソバニの体から力が抜けていく。そのまま膝から崩れ落ちて床に倒れてしまうと、抗いようが無いほどに下がってくる瞼の隙間から自分を見下しているタブラの顔が見えた。
「な……に……………………」
「…………どうやら大丈夫なようですわね。まさか一気に飲み干すとは……これだから礼儀のなっていない子は」
目を閉じ倒れ伏したソバニの胸がきちんと上下していることに若干の安堵を漏らしつつ、タブラが呆れたような声を投げかける。当初は少量ずつ口にさせることでもっと緩やかに眠らせるつもりだったのだが、ショーネから預けられている眠り薬はどうやら一気飲みにも対応してくれたようだ。
「タブラ様。この後はどうされるのですか?」
「そうですね、いつもの離れに運びましょう。殿方達に声をかけて運ぶ手筈を整えて下さい。それと、ショーネ様に連絡を。この程度の相手を御しきれなかったお叱りを受けなければならないのは辛いですが……」
「そんな!? この娘が貴族にあるまじき粗野で下等な存在だっただけで、タブラ様は悪くありませんわ!」
「そうですわ! タブラ様のお手を煩わせるなんて、このまま一生寝ていればいいのですわ!」
「ふふ、二度と目覚めないほどにしてしまえば、そちらの方がショーネ様に怒られてしまいますわ。ショーネ様はお優しい方ですから」
「あっ!? そ、そうですよね。申し訳ありません、タブラ様……」
「構いませんわ。それより手配を宜しくね。私は……もう一杯紅茶を頂こうかしら」
「はい! すぐにご用意致しますね」
気絶した後輩が目の前に居るというのに、誰一人取り乱す者はいない。そんな異常な空間で、タブラは派閥の男子生徒がやってくるまで二杯目の紅茶をゆっくりと堪能するのだった。





