想定通りになってみた
「ふぅ…………」
いつもの食堂、いつもの昼食。だが遂に一人になってしまったコリアンデは、自分でも意識せずに小さなため息を漏らしながらパクリとサンドイッチを一口囓る。いつもと同じ料理のはずなのに、その味は何処かぼやけて感じられ……そんな風に一人で食事をしているのは、数日前にソバニが部屋を出て行ってしまったからだ。
と言っても、勿論喧嘩別れをしたわけではない。ソバニが「私もコリアンデちゃんみたいに、自分の力で色々できるようになりたい」とコリアンデに告げ、見知らぬ先輩の部屋で厄介になることになったからだ。
無論引き留めることはできたが、コリアンデとしても頑張りたいというソバニの決断は応援したいし、何も部屋まで変わらなくてもと思ったことも「一緒にいるとどうしても甘えちゃうから」と苦笑しながら言われれば、確かにそうかもと認めざるを得ない。
その結果、コリアンデはここしばらく一人きりの学園生活を送っていた。
「ご一緒してもいいかしらぁ?」
と、そんなコリアンデに不意に声をかけてくる人物がいた。聞き覚えのあるその声にコリアンデが顔をあげれば、そこには笑顔を浮かべるショーネの姿がある。
「ショーネさん……勿論ですわ。席は沢山空いておりますので」
冗談めかして言うコリアンデに勧められ、ショーネが正面の席に腰を下ろす。そうして気怠げに頬杖を突くと、コリアンデに向かって粘るような声で話しかけた。
「それにしても、随分と寂しそうねぇ」
「まあ、寂しくないと言えば嘘になりますわね。ですがこちらからお誘いするわけにもいきませんし」
ショーネの言葉に、コリアンデは苦笑して答える。アッカムはああ見えてベイダー伯爵家の嫡男だ。今までのように向こうからこちらに来てくれる分には何の問題もないが、下級貴族の娘でしかないコリアンデが上級貴族の男性であるアッカムを食事に誘うのは重大なマナー違反になる。
ソバニの方はもっと駄目だ。ソバニ自身が一人で頑張りたいと主張していることもあるが、彼女が現在お世話になっている上級生は総じて家格が自分よりも高い。そんな相手のいるところに招かれてもいないコリアンデが訪ねても門前払いを受けるのは明白で、それに加えてソバニの決意に水を差し、その顔を潰すことにも繋がってしまうのだから、誘いになど行けるはずもない。
つまり、どちらに対しても相手からお誘いがあるまでコリアンデが直接声をかけることができない状況……それがコリアンデが一人で食事をしている理由の一つ。そしてもう一つは……
「それに、今の状態で私と一緒に食事をして欲しいとはとても言えませんわ」
「確かに、これはちょっと酷いわねぇ」
コリアンデが一人で食事をするようになってから、コリアンデの周囲に流れている噂が加速度的に悪質なものに変わっている。「魔性の女」と「お漏らし姫」の二つの噂が合わさって「不特定多数の相手と口にするのも憚られる背徳的な行為を楽しんでいる」などというものまで囁かれているのだから、これでは一緒にいるだけで「あの人ももしや……?」と疑われるのが免れない。
「そういう意味では、幸いだったと言えますわね。ソバニさんやアッカムさんを私の噂に巻き込んでしまったら、それこそ取り返しがつきませんもの」
「そう……ねぇコリアンデちゃん? 以前に私がした話、覚えてるぅ?」
「以前ですか? えーっと……ああ、私に関する噂をどうにかしていただけるという話でしょうか?」
「そうよぉ。あれ、今からでも遅くないわよぉ? 私を頼ってくれるなら、綺麗さっぱり……とまではここまで来ると保証はできないけれど、でも普通に生活できる程度にまでは抑えてあげるわよぉ?」
「それは…………」
改めてのショーネの提案に、コリアンデは少しだけ考え込む。確かにここまで状況が悪化してしまったのであれば、ショーネに頼るというのも一つの手だ。元々学園内に人脈のないコリアンデには噂をどうこうする手段などないのだから、大きな派閥とそれに伴う影響力を持つショーネに助力を得るのは理に敵っている。
「……いえ、やはり遠慮しておきますわ。ご厚意だけは、ありがたく」
だが、コリアンデはそれを選ばなかった。微笑んでそう答えるコリアンデに、ショーネは僅かに眉をひそめながら問う。
「何故断るのか、理由を聞いてもいいかしらぁ?」
「改めて口にするほどの理由ではありませんわ。この程度のことであれば気にすること無く生活できるというのもありますが……一番の理由は、アッカムさんもソバニさんも一人で頑張っているというのに、私だけショーネさんに頼るようではいけないと思った。それだけです」
「……そう。ならまあ、今回も無理にとは言わないわぁ。でも気が変わったらいつでも声をかけてねぇ?」
「はい。ありがとう存じます、ショーネさん」
貼り付けたような笑顔を浮かべて、ショーネが席を立ち去っていく。平然と食事を続けるコリアンデに背を向けたショーネの胸に浮かぶのは、当然ながら可愛い後輩の現状を憂うものではなく、哀れな獲物の予想外のあがきに対する次の一手だ。
(うーん、思ったより応えてない感じかしらぁ? ならもうちょっと過激に責めても壊れないわよねぇ? ウフフフフ……)
甘い香りをまき散らしながら笑うショーネの意思は、彼女の取り巻き達の手により即座に反映されていく。その結果コリアンデに対する責め苦はますますその勢いを増していき、コリアンデの日々をいわれの無い悪意が覆い尽くしていく。
「見て、あの子よ? 汚らわしい……」
「よく平然と姿を見せられるわよね」
「おい、あれが噂の?」
「そうそう。どうだ? お前お願いしてみろよ?」
「は? 冗談言うなよ。いくら何でもあんなゲテモノ相手にできねーっての」
囁く悪口は投石よりも強く打ち付け、蔑む視線は釘より鋭く突き刺さる。幸いにして物理的な接触は無いが、それは自重されているわけではなく、コリアンデを転ばそうと足を引っかけてきた女子生徒が悉く己の足を痛め、コリアンデの悪評に「足首を挫く悪魔」という何とも言えない二つ名が加わったからでしかない。
(はぁ……これは遂に始まったと見るべきなのでしょうか……?)
この学園に来るに当たって、コリアンデが想定していた「ひたすらいじめられ続ける日々」というのは、正しくこんな感じだ。それが遂に始まったのだと思えばある種感慨深くもあるが、だからといって嬉しいはずがない。
(幸いなのは、思ったよりも全然平気なことでしょうか。この程度の敵意でどうにかなるようでは、あの森では到底生き抜けませんものね。フフフ……)
森での修行中、コリアンデに向けられていたのは巧妙に隠された殺意だ。それからすれば周囲から聞こえる悪口など寝入りばなに聞こえる虫の羽音よりよほどマシであり、見下してくるだけでこちらを餌だと思っていないような視線など気に留める価値すらない。
(ええ、ええ。葉っぱをひっくり返した時に大量の芋虫がウゾウゾしていたのに比べれば……うっ、あれだけはちょっと無理ですわ……)
余計なことを思い出してしまい、コリアンデが思わず口元を押さえる。そうしていじめとは全く関係の無いところで自爆して顔色を悪くしていたコリアンデを、遠くから見つめる視線が三つ。
一つは、甘い香りをまき散らす美しい女性。苦しむコリアンデの顔を愉悦に満ちた目で見つめ、ニヤリと笑いながらその場を去って行く。
一つは、まだ幼さの残る少年。己の不甲斐なさに拳を握り、だが駆けつける勇気を持てずその場から逃げるように走り去っていく。
そして最後の一つは……
「っ…………」
「さ、行きますわよソバニさん」
年上の女生徒に連れられ、引きずられるようにして友人に背を向けた、泣きそうな顔の少女であった。





