真っ正面から近づいた
ジワジワと夏が近づき、微妙な刺繍の入ったハンカチでアッカムが汗を拭くようになったとある日。いつも通り昼食をとるコリアンデ達三人のところに、その日は珍しく見ず知らずの人物が近づいて来た。
「ここ、いいかしらぁ?」
「えっ!?」
突然声をかけられて、ソバニが驚く。振り返って見てみれば、そこにはふわふわと波立つような髪型をした大人っぽい女性が立っていた。
「えっと……どうしようコリアンデちゃん?」
「勿論構いませんわよ。別にここは私達の専用席というわけではないのですから」
戸惑うソバニに声をかけられ、コリアンデがニッコリと笑ってその女性に答える。よくも悪くも……基本的には悪い方で……何かと話題のコリアンデ達がいつも座っている席ということで今までは誰も座ろうとしなかったが、丸いテーブルに据え付けられた五脚の椅子には後二つ空きがあるのだから、それを拒否する理由はない。
「ただ、少しだけ騒がしいかも知れませんけれど。それでも構いませんか?」
「勿論よぉ! というか、その騒がしい中に私も混ぜて欲しいわぁ」
コリアンデの言葉に人好きのしそうな笑顔を浮かべ、その女性がコリアンデとアッカムの間にあった席に座る。そうして手にもっていたいくつかの包みを広げると、そこから野菜を挟み込んだ色とりどりのサンドイッチと、ふんわりとバターの香る焼き菓子が姿を現す。
「これ、お近づきの印ってことで、みんなも食べてねぇ」
「お、いいのか!?」
言われるままに、アッカムがひょいと焼き菓子を一つ摘まんで口にする。さくりとした歯ごたえの後、強いバターの風味を残して口の中でサッと溶けていくそれは、自分が普段用意しているおやつと比べても遜色の無い味だ。
「美味いなこれ! お前達も食っとけよ!」
「アッカムさん……申し訳ありません、えっと……」
「私はショーネよぉ。クサットル伯爵家の娘で、三年生ねぇ」
「あ、やはり先輩でしたか。私は……」
先輩と知り席を立って挨拶をしようとするコリアンデを、ショーネが笑顔を浮かべて手で制する。
「知ってるわぁ。コリアンデちゃんでしょぉ? いきなりお菓子を食べちゃった子はアッカム君でぇ、そっちの子はソバニちゃん! どぉ、合ってるかしらぁ?」
「おう、合ってるぜ! 宜しくな先輩!」
「よ、宜しくお願いします!」
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいのよぉ。面白い新入生がいるって聞いたから、ちょっとお話してみたいって思っただけですものぉ」
ザクザクと焼き菓子を食べながら言うアッカムと、背筋をピンと伸ばして緊張気味に言うソバニの二人にも、ショーネは笑顔でそう告げる。ただコリアンデだけは二人とは対照的に眉根を寄せてショーネに問う。
「面白い、ですか……?」
「ええ、そうよぉ。コリアンデちゃん、随分と派手にデビュタントしたみたいねぇ」
「あはははは……そんなつもりは全く無かったのですけれど」
楽しげに言うショーネに、コリアンデは苦笑いで答える。仕方なかったとはいえ、魔性の女だのお漏らし姫だのという呼び名を与えられて喜べるはずもなし。どれだけ心と体を鍛えていたとしても、乙女心は壊れ物なのだ。
「ふふ、その様子だと、やっぱりあんな呼ばれ方はしたくないみたいねぇ」
「それはまあ……ですが、不本意ながらもどちらも私がしでかしたことの結果ですので、潔く受け入れておりますわ」
「ふーん……それ、どうにかしてあげましょうかぁ?」
「どうにか、ですか?」
自分の言葉に興味を示してきたコリアンデに、ショーネは内心でほくそ笑みながら言葉を続けていく。
「そうよぉ。私こう見えて、割と大きな派閥を取りまとめてるのよぉ。だから私から皆に声をかければ、この程度の噂話なんてすぐに消えてなくなっちゃうわぁ」
別に被害者が存在していたり、あるいは高位貴族であれば噂一つでも侮ることはできない。だがコリアンデは取るに足らない下級貴族であり、噂の内容もコリアンデ自身を揶揄するもので、それを否定されることで名誉や権利を損なう人物もいない。
そして、ショーネはこの初等学部における最高学年だ。一番上で権力を握っている上位貴族から睨まれてまで、ただ自分達が楽しむためだけにコリアンデの噂を囁き続けるような者はまずいない。仮にいたとしても、そこまでの愚か者ならばショーネにはどうにでもできる自信があった。
「だからぁ、もしコリアンデちゃんがイヤだって言うなら、私がパーッと無くしちゃうけど、どうかしらぁ?」
「それはまた……気遣っていただけるのはとても嬉しいのですけれど、それは遠慮させていただきますわ」
「あら、なんでぇ? 別に借りを作ったなんて思わなくてもいいのよぉ?」
「そういうわけにはまいりません。していただいたことには必ずお礼を致しますが……それ以前の問題として、多少気になるというだけで困っているというわけではありませんから」
「そうなのぉ? この状況を困ってないと言い切るなんて、やっぱり貴方面白いわねぇ」
「は、はぁ……」
何故か機嫌よさそうに微笑むショーネに、コリアンデは曖昧な笑みを浮かべる。貶されているわけではないが、然りとて褒められていると受け取るのも微妙なため、どうにも上手い返し方が思いつかない。
「なら、無理にとは言わないわぁ。でももし辛くなったら、いつでも頼ってねぇ? 先輩として、できる限り後輩の力にはなるわよぉ」
「ありがとう存じます、ショーネ様」
「ふふ、様なんてつけなくていいわよぉ。私だって、コリアンデちゃんのことをコリアンデちゃんって呼んでるものぉ! ああ、今更だけどいいわよねぇ? ソバニちゃんとアッカム君もぉ?」
「あ、はい。私は全然」
「ちゃん付けじゃないならいいぜ!」
「勿論構いませんわ。では私もショーネさんと呼ばせていただきますね」
「うーん、呼び捨てでもいいんだけどぉ……とりあえず今はそこで妥協しておくわぁ。改めて宜しくねぇ、コリアンデちゃん」
「はい、宜しくお願いします、ショーネさん」
ショーネの差し出してきた手を、コリアンデが握り返す。するとショーネの細くて長い指がコリアンデの手に絡みつき、ただの握手だというのに何故だか絡め取られたような気分になってしまう。
「んー? どうかしたのぉ?」
「い、いえ。何でもありませんわ」
「ならいいけどぉ。ほら、それよりせっかくこうして一緒にいるんだから、貴方達のことをもっと教えて欲しいわぁ。私のことも知って欲しいから、聞きたいことがあったらどんどん聞いてねぇ」
「ならこの焼き菓子を何処で買ってるのか教えてくれねーか?」
「アッカム君、いきなりそれ……?」
まさかの初手でお菓子の出所を聞いたアッカムに、ソバニが思わず呆れた声を出す。だが当のアッカムには悪びれた様子はない。
「いや、だってこれ美味いぜ? お前だってそう思うだろ?」
「そりゃまあ、美味しいけど……」
「ふふ、構いませんわぁ。でもごめんなさぁい。これは連れてきたメイドが焼いているものだから、売ってはいないのよぉ」
「あー、そうなのか……」
高位貴族が通うだけあって、この学園では世話係を三人まで同伴させることが許可されている。勿論許可されているだけで絶対ではないので、コリアンデやソバニは誰も連れてきていないし、アッカムは子供の頃から世話をしてくれている男の使用人を一人、ショーネはメイドをきっちり三人連れてきているという違いはあるが。
「でも、そういうことなら後でメイドをそちらのお部屋に行かせますわぁ。そうすれば作り方を教えることもできるでしょうしねぇ」
「いいのか!? 何だよお前、いい奴だな!」
「ふふふ、それほどでもありませんわぁ」
笑顔の奥で、ショーネの舌がちろりと動く。こうして三人だけだったコリアンデ達の世界に、新たな一人がぬるりとその存在を滑り込ませることに成功した。





