お礼の品を考えた
「うぅ、最悪ですわ…………」
見事イジワリーゼ達を撃退することに成功したコリアンデだったが、その日以来聞こえるようになったヒソヒソ声にゲンナリとした表情を浮かべている。そしてその原因は、またしてもイジワリーゼではなくアッカムであった。
「あれが例のお漏らし姫? 見た目通りのお子様ってわけか」
「一二歳にもなって粗相をするようじゃ、手を出すのはやめておいた方がよさそうだな……」
「ああ、誰も彼もが好き勝手に言っておりますわ……」
「あはは……」
昼食時、いつもの食堂。漏れ聞こえる言葉は事実無根なれど、それが事実であると肯定してしまったのは他ならぬコリアンデ本人である。だからこそどうすることもできず死んだ魚のような目をするコリアンデに、ソバニが何とも言えない苦笑を浮かべる。
そしてそんな二人の前では、問題の元凶であるアッカムもまた決まりの悪そうな顔をしていた。
「……悪かったよ」
「いえ、アッカムさんは悪くありませんわ。お願いしたのは私ですし、アッカムさんのおかげで呼び出しを無視したのを不問としていただけたのですもの」
ションボリとするアッカムに、コリアンデは努めて優しい笑みを浮かべて答える。
教員の呼び出しをどうにか誤魔化したい……そうコリアンデに頼られ対処を引き受けたアッカムだったが、実際にどうすればいいかは全く考えていなかった。なのでその後すぐに教師の前に立つと、アッカムはその場で言い訳を考え始めた。
「アッカム君? コリアンデさんがこの場にいないのは何故ですか?」
「それは……えっと…………」
(どうしよう? どんな言い訳なら通用するんだ!?)
教師の呼び出しを無視するとなれば、それ相応の理由が必要になる。逆に言えば、それならば仕方ないと思ってもらえるような理由があればいいわけだ。誰にでも起こりうることで、この場では追求されず、また見逃してもらえるような都合のいい理由。それをアッカムは必死に考えて……
「う、うんこ! アイツ貧乏だから、変なもの食ったせいで腹の調子が悪いんだよ! うんこじゃ仕方ねーだろ!」
「うん……あー、アッカム君。もうちょっと表現には気を遣った方がいいと思いますよ? まあ確かにそれならば仕方ありませんね。ならしばらく待ちましょうか」
「い、いや!? 待っても多分、来ないと思うぜ!? 何かこう……びちゃっとしてたっていうか、ブリッとしてたっていうか……何せうんこ! ウンコリアンデだからな!」
「お、おぅ……そうなのですか……」
アッカムの言葉に、呼び出した教師は言葉を失う。如何に侯爵令嬢からの要請だったとはいえ、流石に粗相をして服を汚した年頃の少女をこの場に呼び戻すことは憚られ、結局アッカム一人が話しをすることでその場は決着となった。
ただし、それはあくまで当日だけだ。次の日の朝には再び呼ばれ、コリアンデは当然その呼び出しに応じたのだが……そこで遠回しに「お前、漏らしたの?」と聞かれ、まさか嘘だと言うわけにもいかず、コリアンデは引きつった笑みで「その通りです。申し訳ありませんでした」と応えざるを得なかった。
かくて呼び出しに応じなかったことは不問になったが、代わりにその話を何処からか漏れ聞いた人々の噂を否定することもできなくなり、自分の手で真実にしてしまった噂に悩まされる日々を送ることとなったのだ。
「はぁ。根も葉もない噂というのなら聞き流してしまえばよいのですけれど、事実では無いのに否定できない噂というのは思った以上に堪えますわね……まあそのおかげで軽薄な殿方からのお誘いも無くなったのは不幸中の幸いですけれども」
「げ、元気出してコリアンデちゃん!」
「そうだぜ! 俺はちゃんとお前が漏らしてないって知ってるからな!」
「そりゃそうでしょうとも……ところでアッカムさん?」
「な、何だよ?」
ビクッと体を震わせるアッカムに、コリアンデは苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「そんなに畏まらなくても、別に責めたりは致しませんわ。むしろ逆です。今回はアッカムさんのおかげでソバニさんを助けることができましたから、アッカムさんにも何かお礼をしようかと思うのですが……」
「礼!? 何だよ、そんなの別にいらねーぜ?」
「いえ、そういうわけにはいきませんわ。親しい仲であればこそ、恩には礼を返すのが大切なのです。それを軽視して怠るとやがて『何かをしてもらうこと』が当たり前になってしまい、結果として互いの関係が悪くなるというのはよくあるお話ですし」
「そうか? うーん、そうだなぁ……あ、そうだ!」
コリアンデの言葉に、アッカムはしばし腕組みをして考え込み……そしていいことを思いついたとばかりに、相変わらずパンパンに膨らんでいるポケットから上質な絹のハンカチを取り出した。
「ならこれに刺繍してくれよ!」
「し、刺繍ですか!?」
「う、うん。お前達が刺繍を交換するって言ってたから、俺だけ持ってないのはさみ……違う、不公平だろ? ならそれをもらってやるから、俺によこせ!」
「それは……こんな高級な布に、私の刺繍を……?」
「…………ひょっとして駄目だったか?」
「いえ、決してそういうわけではありませんが」
不安げな表情を浮かべるアッカムに、コリアンデは心底困った顔で答える。その顔を見てアッカムが違うことを頼もうとするより前に、コリアンデが困っている本当の意味を知るソバニは、思わず噴き出してしまった。
「ププッ! が、頑張ろうよコリアンデちゃん! くくく……」
「むーっ! 笑うなんて酷いですわ!」
「ごめん! でも……フフッ」
そんなソバニの笑顔に、コリアンデはこれでもかとむくれ顔になる。母親ですら誤解していたが、コリアンデは決して針仕事が苦手なのではない。むしろ手先は器用であり、本職には敵わないにしても普通の縫い物であれば十分以上に美しく仕上げることができる。
ただ、コリアンデには壊滅的に絵心がなかった。ヒダリーに破られた……正確には破らせた……刺繍もまた、細長い胴体に太い棒のような手足がまっすぐにつき、犬だか猫だか狸だかわからない顔をした謎の生物が刺されていて、その幼児のような可愛らしい絵を思い出してしまえば、如何に友達思いのソバニといえど笑いを堪えることはできない。
「いいですわ! そういうことなら私の持てる全身全霊を賭けて、素晴らしい刺繍を刺して差し上げますわ! それでいいですわね、アッカムさん?」
「お、おぅ? いいけど……そこまで頑張らなくてもいいんだぜ?」
「いいえ、ここは頑張るところなのですわ! 二人があっと驚くような素晴らしい刺繍を仕上げてみせます! 楽しみに待っていてくださいね?」
「わ、わかった。じゃあ楽しみにしとく」
「頑張ってね、コリアンデちゃん」
フンフンと鼻息の荒くするコリアンデに、アッカムは大きな期待と若干の後悔をその胸に宿し、ソバニはまるで母のような温かい視線を向ける。
後に完成した刺繍を見て爆笑してしまったアッカムが、もの凄い目力で睨んでくるコリアンデに平謝りすることになるのだが……それはまた別の話である。





