いじめフラグにメガトンパンチ
「何故ゴリラ!? 何でゴリラ!? どうしてゴリラ!? 今ゴリラ!?」
混乱の極みにあるイジワリーゼが、早口にそうまくし立てる。何を言っているかは本人にもよくわからなかったが、とにかく目の前に突如出現したゴリラに戸惑っているのは間違いない。
「ウホ、ゴリラチガウ。ワタシ、コリアンデ」
「キュァァァァ!? しゃべ、喋りましたわ!? ゴリラが喋りましたわよ!?」
「ゴリラチガウ。ワタシ、コリアンデ!」
「ど、どうすれば!? どうすればいいのかしら!? ミギルダ、ヒダリー、これは一体どうするべきなの!?」
「えぇぇ……そんな事言われても、アタシにだって訳わかんねーぜ!?」
「と、とりあえずバナナか何かを与えてみるのはどうでしょう? いえ、そんなもの持ち歩いてはいないのですが」
「ウホ! ゴリラチガウ! チョットマッテ……」
フリフリの服を着たゴリラが、その場で大きく深呼吸を始める。するとゴリラがゴリラっぽい何かへと変わり、やがて半透明なゴリラ風の気配を纏うコリアンデへと戻っていった。
「ふぅぅ……久しぶりすぎて加減がよくわかりませんでしたわ。このくらいなら大丈夫でしょう?」
「ど、ど、ど、どういうことですの!? ゴリラが田舎娘に……いえ、田舎娘がゴリラ!? 貴方コリアンデではなく、ゴリランデでしたの!?」
「誰がゴリランデですか!? これはその……ちょっと本気を出すと、そういう気配が漏れてしまうというだけですわ!」
森での修行にていじめに負けない野生の力を身につけたコリアンデだったが、力を得た代償はあまりにも大きかった。本気を出すと森の王者の風格が勝手に漂ってしまったり、闘争本能が強く刺激されるためにやや口調が片言になり、あまつさえ時々「ウホ」と無意識に口にしてしまうなど、その全てがコリアンデの繊細な乙女心をこれでもかと削ってくるのだ。
「うぅ、だから本気は出したくなかったのです……とは言え、この際仕方ありませんわ。さあ、覚悟はよろしくて?」
「ヘンッ! 何だかよくわかんねーけど、要はハッタリだってことだな? ならそんなもんでこのアタシが……?」
ダンッと強く踏み込んだ瞬間、コリアンデの姿がその場から掻き消える。それと同時にミギルダの腹部にコリアンデの拳がめり込み、僅かに宙に浮いたミギルダの体からコリアンデが腕を引くと、ミギルダの小さな体がゆっくりと地面に倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。
「まずはお一人ですわ」
「……………………え?」
まさかこんな直接的な手段に出るとは思っていなかったイジワリーゼが、いよいよもって混乱の極まった顔で値に倒れ伏すミギルダを見る。高く尻を突き出した格好は淑女にあるまじきはしたなさだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ミギルダ……!? ちょっ、ヒダリー!? これは一体何が起きてますの!?」
「くっ……コリアンデ! 貴方こんなことをしてただですむと思っているのですか!?」
「ふふっ、確かに通常ならば大問題になってしまうでしょうが……今この場には、どういうわけか私達以外どなたもいらっしゃらないではありませんか? ならば一体誰が何を問題にすると?」
「それは……っ!?」
どんな理由があろうとも、人目のあるところで高位の貴族に腹パンを入れたりしたら、いいわけの余地すらなく退学を言い渡されることだろう。その後は家の方にも正式な抗議が届き、とんでもない額の賠償金を要求されたり、表に裏に嫌がらせをされてあっという間に没落してしまうのも目に見えている。
だが、ここには自分達しかいない。イジワリーゼ達が保身のために人目を遠ざけたことが、今正に自分達を追いつめる決め手となってしまったのだ。
「ということで、二人目ですわ!」
「クハッ!?」
瞬きすらも許さぬ刹那で的確に顎を打ち抜かれ、ヒダリーの体が倒れ伏す。がに股で白目を剥いた姿は淑女にあるまじきはしたなさだが、やはりそれを気にする余裕など何処にも無い。
「さて、あとはイジワリーゼさんだけですわね」
「ヒッ!?」
ジロリと視線を向けられて、イジワリーゼが思わず一歩後ずさる。だがその心はまだ折れてはいない。
「も、目撃者がいないから何だと言うのです!? ワタクシが証言すればそれだけで十分! このことはすぐに教師のみならず家の方にも報告させていただきますわ! そうすれば貴方程度の家など……」
「あら、どう報告されるつもりなのです? 一応言っておきますが、倒れているお二人にはかすり傷一つついておりませんのに?」
「は!? う、嘘ですわそんなの! 気を失う程に強く殴られて、怪我をしていないわけがないじゃありませんか!」
「嘘ではありませんわ。私にこの力を伝授してくれたローランド先生曰く、『戦士ノ拳、トテモ慈悲深イ。体ニ衝撃、心ニ恐怖、刻ムダケ。怪我シナイ、物壊サナイ。何ナラ服モ汚レナイ』とのことですから。
まあそれでも、イジワリーゼさんであれば何の根拠も証拠も必要無く私の家くらいならば叩き潰せるのかも知れませんが……」
「そ、そうですわ! たかだか子爵家如き、我がイービルフェルト侯爵家の力を以てすれば――」
「本当にいいのですか?」
不意に、コリアンデの顔がズイッとイジワリーゼに近づいてくる。下から覗き込む小さな顔に浮かんでいるのは、背筋が凍るような凄絶な笑み。
「私のような田舎娘と違って、侯爵家の令嬢であるイジワリーゼさんがこの学園を逃げるように退学したりしたら、とても外聞が悪いですわよね? それはつまり、まだ五年以上の間イジワリーゼさんはこの学園で過ごさなければならないということです。
そして、貴方がどれだけ私をいじめようとも、私も学園を辞めません。王立エリーティア学園は王家直轄の教育機関。ならばこそ入学するのは難しいですが、入ってしまえばたとえ家が没落しようとも、生徒自身が辞めると言わない限りは強制的に退学にされたりはしません。
それはイジワリーゼさんもよくご存じでしょう? だからわざわざソバニに『退学届を書け』と迫ったのですし」
「ぐっ…………」
コリアンデの言葉に、イジワリーゼが声を詰まらせる。実際よほど目に余るような行為がなければ、学園を強制的に退学にさせられることはない。無論通常ならば暴力沙汰はその「目に余る行為」に当てはまるわけだが、怪我もなく目撃者もいないとなると如何に侯爵令嬢と言えども数日の謹慎くらいが限界で、退学まではごり押せない。
「さあ、よく考えてください? 二度と私の大切なお友達に手を出さないと誓うか、それともこれから先の学園生活を、私に怯えながら部屋の隅っこで震えて過ごすか?
覚悟を以て答えを示せ! イジワリーゼ・イービルフェルト!」
立ち上る覇気が、コリアンデの背後でドラミングするゴリラの姿を幻視させる。その迫力に一歩下がり、二歩下がり……だが三歩目をイジワリーゼは踏みとどまり、引きつった笑みを浮かべながらも高らかと笑う。
「わ、わた、ワタクシは誇り高きイービルフェルト侯爵家の長女! 貴方のような田舎娘に屈したりはしませんわ! オーッホッホッホッホ!」
「敵ながら、その意志力には敬意を表しますわ。ですがそういうことならば……」
ギュッと拳を握ったコリアンデの腕が、思いきり引き絞られる。白くほっそりとした腕の周囲を丸太の如く太いゴリラの腕が覆っていき――
「二度とソバニに手を出す気が起きないよう、ウッホウホにして差し上げますわ!」
「ヒァァァァァァァァ!?」
黒い豪腕に滅多打ちにされ、イジワリーゼが悲鳴をあげる。そうして彼女もまた淑女にあるまじきはしたない格好で気絶したのを見届けると、コリアンデは胸を張ってフンスと鼻から息を吐く。
「これにてお仕置き完了ですわ! さあ、ソバニ…………」
笑顔で振り返ったコリアンデの視線の先には、戸惑いの表情を浮かべるソバニがいる。怯えたように両手で顔を隠し、指の隙間から自分を見てくるソバニの姿に、コリアンデは寂しさを押し殺して小さく笑う。
「ふふ、そうですわよね。私のせいでいじめられたうえに、こんな姿を見せては……嫌われて当然ですわ」
「えっ!? ち、違うよコリアンデちゃん! そうじゃなくて――」
「気を遣わなくてもいいんですのよ。大丈夫、私は元々いじめられる日々を送るつもりだったのですから、今更一人になることくらい……」
「違うって言ってるでしょ! そうじゃなくて、お尻!」
「……お尻?」
ソバニの言葉に、コリアンデが首を傾げつつ自分の尻に手を回す。するとその手に触れたのは、布では無く生尻の感触。コリアンデの激しすぎる動きに普通の衣服が耐えきれるはずもなく、いつの間にやらお尻の部分が破けてしまっていたのだ。
「……これはまた、お見苦しいものを」
「ほら、こうやって帰ろう?」
思わず顔を赤くするコリアンデに、ソバニが背後からギュッと抱きつく。
「こうやってくっついて歩けば、見えないでしょ? ちょっと歩きづらいかも知れないけど」
「それは大丈夫ですけど……私のこと、怖くありませんか?」
「全然! だって、コリアンデちゃんは私のこと助けてくれたんだよ! すっごくすっごく格好よかった!」
「ソバニさん…………ありがとう存じます」
「こちらこそ! ありがとう、コリアンデちゃん」
抱きつくソバニの腕をそっと撫で、コリアンデが幸せそうに笑う。そのまま二人は一つの影になって、赤い夕焼け空の下仲良く寮に帰っていくのだった。





