遂に本気を出してみた
「ミギルダ! ヒダリー! これは一体どういうことですの!?」
この場にいないはずのコリアンデの姿を目の当たりにし、イジワリーゼが顔をしかめて大声で怒鳴りつける。ただ怒鳴りつけられた二人の方も、何故こうなったのかわからないと困惑顔だ。
「も、申し訳ありませんお嬢様! 今日も間違いなく教師達に呼び出されているはずなのですが……」
「人払いだってちゃんとやってるぜ! 告げ口するような奴には睨みを効かせてるし……」
「ならば何故こんなことになっているのです!? どうしてこの田舎娘がワタクシの目の前に――」
「あらあら、そんなに声を荒らげるものではありませんわよ? はしたない」
「は、はしたない!? こんな、こんな田舎娘が言うに事欠いて、このワタクシにはしたないなどと……っ!?」
小さな体で下から余裕の笑みを向けてくるコリアンデに、イジワリーゼの縦巻きロールがグルグルと渦巻く。そんな怒り心頭なイジワリーゼに、コリアンデはあくまでも笑顔で語りかける。
「私がここにいる理由は、当然ながらソバニさんから話を聞いたからです」
「ケッ、何だよ。結局告げ口したってことか? 情けねー奴だな」
挑発するように言うミギルダに、コリアンデは心外とばかりに言葉を返す。
「あら、それは違いますわよ? だってソバニさんは何も言いませんでしたもの」
「ハァ? なら何で気づいたんだよ?」
「……逆にお聞きしたいのですが、同室のお友達の様子が明らかにおかしいのに、どうして気づかないと思われたのですか?」
ソバニの様子がおかしいことに、コリアンデは当然気づいていた。ただ一昨日の段階ではソバニ本人が何も言わないことと、流石に元気がないと気づいた初日にあまり突っ込んだ会話をするのは如何に友人と言えど不躾ではないかと思い、あえて何も聞かずに一緒に過ごすことを選んだ。
だが、昨日部屋へと戻ったコリアンデを出迎えたソバニの態度は、とてもではないが看過できるものではなかった。何かを必死に堪え、無理に元気に振る舞おうとする姿はコリアンデが覚悟していた「いじめに耐える姿」そのものであり、だからこそコリアンデは強攻策……「隠し事を言うまでくすぐり続ける」という悪魔の所行を成すことにより、笑い転げるソバニの口からイジワリーゼ達の事を聞き出すことに成功したのだ。
「それと、呼び出しの方はアッカムさんが引き受けてくれましたの。今頃はお一人で頑張ってくださっているはずですわ」
教師達の呼び出しが足止めであることが明白になったため、コリアンデはどうにかしてそれを回避できないかと考えた。そしてそれをこっそりとアッカムに相談したところ、もの凄くいい笑顔で「へっへーん! そういうことなら俺に任せとけ!」とドンと胸を叩いてみせてくれた。
「具体的にどうやって誤魔化しているのかわからないのが気になりますが……まあそれは後の話です。それよりも……フンッ!」
そこで一旦言葉を切ると、コリアンデはソバニから離れて近くの木に歩み寄り、唐突にその幹に思いきり頭を打ち据えた。ガンッという大きな音と共に木の幹がベッコリとへこみ、それと同時にコリアンデの額にかすかな痣が刻まれる。
「キャッ!? こ、コリアンデちゃん、何やってるの!?」
「……これは自分がいじめられることばかりを想定し、お友達に被害が及ぶことを考えていなかった私自身に対する罰ですわ。ええ、ええ。考えてみればこれもまたありがちな手でしたのに……」
それまで内心はともかくずっと笑顔を浮かべていたコリアンデの顔が、ここで初めて悔しそうに歪む。
「大丈夫!? 血……は出てないみたいだけど」
「大丈夫ですわソバニさん。こんなもの、ソバニさんの苦しみに気づけなかったことに比べれば、痛くも痒くもありません」
心配して近寄ってきたソバニに、コリアンデは苦笑して答える。実際もしソバニがいじめられていることに気づかずにいたならば、コリアンデの中に決して消えない大きな傷を残したことだろう。
そういう意味では、今回のいじめは今までで最も大きな効果を発揮したと言える。が、それは同時にコリアンデができればずっと隠しておきたかった本気を出す覚悟を決めさせたことにもなる。
「それに……ふぅ。寝ぼけていた頭も冷めたことですし、そろそろ先程の宣言通り、この方達にもお仕置きをしないといけませんからね」
ゆらりとコリアンデの体が揺れ、イジワリーゼ達と対峙する。自分よりずっと小柄なコリアンデの体がやけに大きく感じられるなか、それでもイジワリーゼは冷静に現状を把握し、その心にはまだ余裕が残されている。
「フンッ! 随分と大きな口を聞くものですが、貴方如き田舎娘がこのワタクシをどうするというのです?」
予期せぬ登場と場の空気に流されそうになりはしたが、実際の所アッカムならばまだしも、男爵寄りの子爵家の娘でしかないコリアンデが来たところで、今の状況に大きな変化はない。仮に自分達に不埒を働こうとするならば、いつものように家の力で叩き潰すだけ……そう考えるイジワリーゼに、コリアンデは顔を伏せて呟く。
「大きな力には、大きな責任が伴う。振るった力には結果が伴い、ならばこそ力とは知恵と理性を以て振るわなければならない……」
「……なんですの? それはもしかして、ワタクシを批判しているつもりなのかしら?」
「まさか。これは私の先生であるローランド様からいただいた、力持つ者が理解しなければならない真理……『森の掟』ですわ」
「……森の掟?」
てっきり土着の神の教えか何かだと思ったイジワリーゼだったが、「森の掟」という聞き慣れない言葉に軽く首を傾げる。だがコリアンデの方はそれを意に介すことなく更に言葉を続けていく。
「そして、そんな『森の掟』のなかに、こんなものがあります……『己が魂に根ざす者を守る時、その力に禁忌なし』。ソバニさんは私の大切なお友達です。ならばソバニさんを守るために力を……拳を振るうことに、何一つ躊躇いはありませんわ」
「さっきから何を言ってますの? 全く意味がわかりませんわ」
眉根を寄せ、馬鹿にするようにイジワリーゼが言う。そんなイジワリーゼを完全に無視して、コリアンデは深く膝を曲げ前屈みになると、両腕をだらりと前に垂れ下がらせる。
「……本当に何の――」
「野生、解放!」
「キャアッ!?」
瞬間、コリアンデの全身から発せられた圧倒的な気配に、イジワリーゼ達は勿論ソバニすら思わず顔を覆ってしまった。数秒の後顔の前から腕をどけると、イジワリーゼの目に信じられない光景が飛び込んでくる。
「ゴ…………」
夜の闇よりなお黒い、艶めく黒い毛皮に覆われた巨体。されどその目は英知に溢れ、同居する優しさと厳しさが黒曜石の如く瞳を輝かせる。
「ゴ……………………」
その腕は丸太より太く、その拳は山をも砕く。誰もが頼る森の賢人にして誰もが恐れる森の破壊者。その悠然たる佇まいは、正しくそれが王者である証。
「ゴ…………………………………………」
それが、自分の目の前にいる。いるはずのない存在を目の当たりにし、イジワリーゼの意識が一瞬にして埋め尽くされる。そう、それは。さっきまでコリアンデがいたその場所に穏やかな顔つきで平然と立っているのは……
「ゴリラですわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
「ウホッ!」
何故かゴリラであった。





