我慢したけど無理だった
「ふふふ、今日も来ましたわね」
その日もまた、トボトボと一人帰宅の途につくソバニの前にイジワリーゼ達が立ち塞がる。その姿をチラリと見たソバニは、すぐに俯いて隣を歩き去ろうとするが……
「おいおい、今日も挨拶無しか? お前も一応貴族の娘なんだろ? 礼儀ってのは大事なんだぜ?」
「無駄よミギルダ。こんな下級貴族の娘にそんなものが身についているはずがないでしょう?」
「……………………」
またも肩を掴まれ話しかけられるソバニだったが、今回は俯いたまま何も言わない。ただギュッと拳を握り身を固くするソバニの姿に、イジワリーゼは悠然と笑みを浮かべながら優しい声をかけた。
「フフッ、随分とお疲れのようですわね。ならばそろそろお休みになっては如何かしら?」
そう言って、イジワリーゼの手からヒラリと一枚の紙が落ちる。
「その紙に署名して提出すれば、すぐにでも楽になれますわよ? 貴方も分不相応な場所で無理をする必要がなくなりますし、ワタクシ達も本来在るべき美しい学園の姿に一歩近づける。お互いにとってこれ以上無いほど有益な提案だと思いませんか?」
「…………ない」
「ん? 何ですか?」
「負けないって言ったの!」
俯いていたソバニが、勢いよく顔を上げキッとイジワリーゼを睨んで言う。
「貴方達のいじめになんて、私は絶対に負けない! だって私はコリアンデちゃんのお友達だもん!」
「……………………ハァ。そうですか、貴方もまたあの田舎娘の同類ですか」
強い意志の光を宿すソバニの視線に、イジワリーゼはその端正な顔を歪める。その横ではミギルダが何故か楽しそうに笑っており、逆にヒダリーの方は無表情のまま冷たい視線を投げかけてくる。
「何だよ、お前結構根性あるじゃねーか。で、どうすんだお嬢様? 昨日よりちょっと強めに遊んじゃうか?」
「昨日あれだけ体を痛めつけたのですから、今日は心を折るべきでは? どうされますかお嬢様?」
「そうですわね……」
取り巻き二人の言葉に、イジワリーゼが思案する。
「これ以上体を痛めつけて、目に見える怪我をされてしまうとそれはそれで面倒ですわ。なのでここはヒダリーの意見を採用しましょう」
「ありがとうございます、お嬢様」
「ちぇっ、つまんねーな。ならどうすんだよヒダリー?」
「フフ、今回はこれを使おうと思います」
薄く笑ったヒダリーが、懐から小さな布きれを取り出す。中途半端に模様の刺されたその布に、ソバニははっきりと見覚えがあった。
「そ、それ!?」
「おや、わかりますか? ええ、これは貴方の部屋の前に落ちていた布きれです」
「そ、そんなわけない! それはちゃんとしまっておいたはず!」
「おや、疑うのですか? まあどちらでも構いませんが」
「返して! それ、返してよぉ!」
ヒダリーの手にしていた布きれに、ソバニが思いきり飛びついてくる。が、ソバニの手が届くより早く、ヒダリーが布きれを高く持ち上げてかわしてしまった。
「おっと危ない。ミギルダ?」
「任せとけ! ほら、あんまり暴れるなよ!」
「返して! 返して!」
「ヒダリー、それは何ですの?」
「作りかけの刺繍です。どうやらソバニとコリアンデで、作った刺繍を交換するつもりだったようです」
何かと目立つコリアンデ達は、当然食堂で集まっている時も人目を引く。ならばその会話に聞き耳を立てている者の存在には事欠かず、その情報を得るのはヒダリーからすれば容易いことだった。
そして情報さえあれば、寮の部屋に侵入するのは容易い。この短期間で既に二度侵入しているミギルダには流石に頼めなかったが、こういうときの為に便利に使える貴族の子女を何人も確保しているのだから、そのうち一人に命じれば自分達に累が及ぶことも無い。
「あらあら、そうなのですか。なら、それはこの子の刺繍なの?」
「いえ、違います」
イジワリーゼの問い掛けに、ヒダリーはニヤリと笑みを浮かべて答える。
「これはコリアンデのものです。ソバニが自分の刺繍を破かれたとしても、それは単に今までの努力が無駄になっただけのこと。ですがコリアンデの刺繍をソバニが破いてしまったということになれば……」
「……フッ、フフフッ! 素晴らしい! 素晴らしいですわヒダリー! 貴方には後でご褒美をあげなくてはなりませんね」
「ありがとうございます、お嬢様」
「お嬢様、アタシには!? ほら、アタシも意外と頑張ってるぜ?」
「控えなさいミギルダ……私が頂いた分を後で少し分けてあげるわ」
「やったー!」
ソバニを羽交い締めにしたまま、ミギルダが無邪気に喜ぶ。その間もソバニは何とか拘束から逃れようと手足をジタバタするが、自分より小さな体のミギルダの手をどうしても振りほどけない。
そしてそんなソバニの前に、ヒダリーから刺繍の布を受け取ったイジワリーゼがそっと歩み寄っていく。
「ウフフフフ……さあ、ソバニさん? 大切なお友達のせっかくの努力を台無しにする覚悟は宜しくて?」
「辞めて! お願い!」
「ウフフフフフフフフ……」
イジワリーゼのほっそりした指が、刺繍の布を左右に引っ張る。するとピリッという小さな音がして、布が刺繍を真っ二つにするように裂けていく。
「嫌! イヤ! 駄目!」
「ゆっくりゆっくり……と見せかけて、えいっ!」
「ああああぁぁぁぁぁっ!」
ピリピリと少しずつ裂けていた布が、一気に裂けて二つになる。だがイジワリーゼはそれだけでは飽き足らず、裂けた布を更に千々に引き裂き続ける。
「オーッホッホッホッホ! ああ、何て酷い! 大事なお友達の刺繍を、こんなにバラバラにしてしまうなんて! もしもワタクシだったら、こんなことをする方とは二度と口を聞きませんわ!」
高笑いするイジワリーゼが、ダメ押しとばかりに布の破片となったそれをグリグリと踏みつけた。薄汚れたぼろ布の切れ端となったそれに、元の面影は微塵も無い。
「ミギルダ、もういいですわ。こちらへいらっしゃい」
「はーい、お嬢様」
イジワリーゼに言われ、ミギルダがソバニの拘束を外す。するとソバニは慌てて地面に這いつくばり、塵に成り果てた布片を必死の形相でかき集めた。
「酷い、酷いよ……こんな、こんな…………う、うぅぅ……」
服が汚れるのも構わず、大事そうに布片を抱きしめるソバニの肩が小さく震え、その様子を満足げに見下すイジワリーゼ達だったが……
「うっ……くっくっ…………フフフフフ…………」
「……? 泣いているのではなく、笑っている……!?」
「どういうことですの!? ミギルダ!」
「おう! お前何やってんだよ!?」
イジワリーゼに指示され、ミギルダがソバニの髪を掴んでその顔を引き起こす。するとソバニの目には確かに涙が浮かんでいたが……それは悲しいからではなく、単に笑いすぎたからだ。
「何だよお前! 何がそんなに面白いってんだよ!」
「フフフ……ご、ごめんね。我慢しようって思ったんだけど、刺繍の元の絵を思い出したら、どうしてもおかしくなっちゃって……」
「……そこまで笑われると、流石の私もちょっとだけ傷つきますわ」
自分では無い誰かに話しかけるソバニと、それに答える自分達では無い誰か。イジワリーゼ達が声のした方に顔を向けると、木の陰から出てきたのはミギルダと殆ど変わらない、見覚えのある小柄な少女。
「な、何故貴方がここに!?」
「それは勿論……」
驚愕に目を見開くイジワリーゼに、コリアンデはこれ以上無いほどに満面の笑みを浮かべて答える。
「私のお友達に酷い事をした人達に、きつーいお仕置きをするためですわ!」
ビシッと突きつけられた指先では、イジワリーゼがこれ以上無いほどに苦渋の表情を浮かべていた。





