歯を食いしばって耐えてみた
「え、今日も一緒に帰れないの!?」
翌日の昼食時。いつもの三人で食事をしていたソバニだったが、コリアンデのその言葉に自分でも驚くくらい大きな声で反応してしまった。
「え、ええ。どうやらもう少し話を聞きたいということで……」
「ほんっと、面倒だよなー。何回聞かれたって答えは同じなのに」
「まあ、複数人、複数回と同じ話をさせることで嘘をついていないか調べるというのは確かに有効ではありますけれど……」
「嘘なんかついてねーよ!」
「ですわねぇ」
むくれ顔と困り顔で言い合うアッカムとコリアンデに、ソバニは必死にいつもの表情を取り繕う。
「そ、そっか。それじゃ……仕方ないね」
「ということなので、申し訳ありませんソバニさん。もう何日かは一緒に帰れないみたいで……ソバニさんはお一人で大丈夫ですか?」
「ははは、やだなぁコリアンデちゃん。ちっちゃい子供じゃないんだから、寮の部屋に一人で帰るくらい大丈夫に決まってるじゃない!」
「それはまあ、そうですけれど。ですが何かあったらすぐに仰ってくださいね?」
「うん! ありがとうコリアンデちゃん」
気遣ってくれる友達の言葉が嬉しくて、だからこそ何も言い出せない。そのまま楽しい時間を終えて、放課後。一人になったソバニは早足で寮へと戻っていくが……
「お、来たな?」
「っ…………」
目の前に立ちはだかる三人に、ソバニは思わず息を呑む。そのまま横を通り過ぎようとするも、ソバニの肩をミギルダがガッシリと掴んで止める。
「おいおい、挨拶も無しとは寂しいじゃねーか」
「こ、こんにちはミギルダさん。ヒダリーさん。それと……イジワリーゼ様」
「こんにちは、ですか……ミギルダ」
「おうっ!」
「キャッ!?」
イジワリーゼに言われ、ミギルダがサッと足を払ってソバニを前に転ばせる。ギリギリで両手を突いて顔を打つことは避けられたが、そんなソバニの後ろ頭にバシャバシャと音を立てて冷たい水が浴びせられた。
「ああ、失礼。地面に倒れたならば汚れていると思いまして。でもこれで少しは綺麗になったでしょう?」
「ヒダリーさん…………何で!?」
手にした水筒から容赦なく水を降り注がせるヒダリーに、ソバニは顔をあげることなく問い掛ける。
「何で……何でこんなことするの!? ミギルダさんは、この前コリアンデちゃんとあんなに楽しそうに踊ってたじゃない! それにヒダリーさんだって、あの時親切にダンスを教えてくれたのに……なのに何で!?」
「うっ!? あれはまあ、ちょっとした手違いみたいなもんだ! つーかあの女がアタシの蹴りを物ともしないのが原因だしな!」
「私はただ、する必要があることをしているだけです。あの時は話す必要があり、事を荒立てる必要はありませんでした。ですが今は貴方に『淑女教育』をする必要がある。ただそれだけです」
「そんな……あうっ!?」
「誰が顔をあげていいと言いました?」
思わず顔を上げたソバニの頭を掴み、イジワリーゼが地面に押しつける。すると水を吸った泥がソバニの口の中にまで入ってきて、苦酸っぱい味が口内に広がっていく。
「さて、ソバニさんでしたか? 昨日のワタクシの問いに対する答えを、そろそろ思いつきましたか?」
「な、なんのこと……ですか……?」
「あら、もう忘れてしまったのですか? 自分の身の程を理解したら、どうすればいいか考えなさいと言ったでしょう?」
「どう……なんて……わかんないよ…………」
「ハァァァァ…………まさかここまで察しが悪いとは。もういいですわ。ヒダリー、この子に教えてあげなさい」
そう言ってイジワリーゼが手を離すと、ソバニは泥だらけの顔をようやくあげることができた。だがその目に映ったのはどういうわけか自分達以外誰もいない通りと、悲しくなるほど晴れ渡る青空、そして空に深い闇を足したような色の髪を持つ少女の、無機質な瞳だけだ。
「リーゼお嬢様はこう仰っているのです。貴方のような下等な存在が自分の目に入るのは不快なので、見えない場所に消えて欲しいと」
「消えろって……そんなの、そっちが勝手に近づいてきてるんじゃない! 放っておいてくれたら、頼まれたって近づかないよ!」
「違います、そうではありません。偉大なるお嬢様の目は、学園全体に届きます。つまりは……」
「学園を辞めろってこったな!」
「そんなこと……っ」
ヒダリーとミギルダ、二人に告げられたその言葉にソバニは愕然とする。その頭によぎるのは、自分がこの学園に入るために苦労してくれた伯爵様や、とても喜んで祝福してくれた両親の姿だ。
「辞めるなんて……できるはずない……」
「フンッ。貴方ができるかできないかなんてどうでもいいことですわ。重要なのはワタクシがそうするべきだと貴方に教えて差し上げていることです。
フフッ、安心なさい。ワタクシはとても寛大ですから、貴方が自分から正しい選択をするその日まで、何度でも何日でも時間をかけて教育して差し上げますわ!」
「何度でも……何日でも……………………?」
「ええ、そうですとも! とは言え、今日はこのくらいにしておきましょうか。ミギルダ、ヒダリー、行きますわよ」
「「はい、お嬢様」」
逃げられないし、終わらない。そんな事実に目の前が真っ暗になるソバニをそのままに、イジワリーゼ達がその場を去って行く。すると少しして人の流れが蘇り、泥だらけの顔で地面に四つん這いになるソバニの姿を見て気の毒そうな、あるいは馬鹿にするような視線を向けつつヒソヒソと話しながら皆が通り過ぎていく。
「…………大丈夫。大丈夫だよ。このくらい、へのへのぷーだよ」
フラフラしながら立ち上がったソバニは、うわごとのようにそう呟きながら寮へと戻った。途中すれ違った寮母がソバニの姿に怪訝な表情を浮かべたが、特に声をかけてはこない。当然ながらそちらにもイジワリーゼの手が回っているからだ。
「そうだ、顔洗わなきゃ……そしたら汚れた服を着替えて……後は……」
ボーッとする頭で室内を見回すと、机の上に出しっぱなしにしていた刺繍道具が目に入った。コリアンデと交換するために想いを込めて刺したそれを見た瞬間、ソバニの目からつぅっと涙がこぼれていく。
「大丈夫。負けないよ。だって私は、コリアンデちゃんの友達だもん」
入学初日に出会った、不思議で素敵なお友達。いじめられる覚悟をして入学してきたというコリアンデであれば、きっとこんな状況ですら苦笑いを浮かべるくらいで軽く流してしまうのだろう。そう思えばこの程度で弱音なんて吐けはしない。
ぐしぐしと目元を拭うと、ソバニは気合いを入れて笑顔を作った。泣けば気持ちが流れてしまう。そんな情けない顔を見せたら、友達に笑われてしまう。
「さ、早く身支度を調えないと! その後は……うん、刺繍の続きをやろう」
顔を洗い、服を着替え、泥の付いてしまった服はとりあえずクローゼットの奥にしまい込んだ。できればすぐに洗いたいところだが、流石に今から洗濯桶を借りて洗っていては日が暮れてしまう。
そうして片付けを終えると、出しっぱなしだった刺繍道具を手に取り一心不乱に針を刺していく。今回もまた集中すればするほど余計なことは頭から抜けていって……
「…………ねえ、コリアンデちゃん。ここ――」
誰も居ない隣に向かって、ソバニは無意識に話しかけてしまった。その瞬間胸の奥に押さえつけていた色々が爆発して、せっかく綺麗に洗った顔にまた涙が溢れてくる。
「ふぐっ、うぅぅぅぅ……………………」
殺しきれない声を唇を噛みしめることで無理矢理抑え、ソバニは泣いた。あふれ出す気持ちをギュウギュウと押し込めて……
「えぐっ……ふっ…………への、への、ぷーだよぉ……」
もうすぐ帰ってくる友達に、たった一言「助けて」と言わないですむように。





