友の凄さを理解した
授業が終わった、帰り道。その日ソバニは珍しく一人で寮への道を歩いていた。入学してもう三ヶ月近いというのに、一人で寮に戻るのは実は初日以降初めてである。
「……やっぱり待ってればよかったかなぁ」
いつも一緒に帰っていたコリアンデがここにいないのは、何故か今更アッカムとの食堂での一件の話を聞きたいと教師達に呼び出されたからだ。ソバニも一緒に行こうとしたのだが、教師に「まずは当事者からだけ話を聞きたい」と言われ、割と強引に帰らされたのだ。
「あの時私だって一緒にいたのに……まあ確かに私は何もしてないし、聞かれても何も答えられないけどさ」
つまらなそうに足下の小石を蹴って、ソバニが呟く。いつもならばあっという間の帰路が、今日はやけに長く感じられる。
「はぁ、こんなことしてても仕方ないし、さっさと部屋に帰ろう。久しぶりに一人だし、刺繍でもしようかな? あんまり得意じゃないけど」
貴族女性の嗜みということで、ソバニも一応刺繍ができる。ただその腕前はあくまでも「できる」というだけであり、決して人に誇れるようなものではないし、別に刺繍が好きということもない。どちらかというのなら畑仕事の方がちょっとだけ好きですらある。
「あ、でも、上手にできたらコリアンデちゃんにあげるのはどうだろう? 同じのを二つ作って、お揃いにしたら可愛いかも……うん、俄然やる気が出てきた!」
胸の前で拳を握り、ソバニがニンマリと笑顔を浮かべる。が、その時不意に背後からドンと強く肩を押された。
「きゃっ!? な、何!?」
「あーら、ごめんあそばせ?」
「えっ、ミギルダさん……?」
ギリギリ転ばずにすんだソバニが振り返ると、そこには堂々と胸を張って立つミギルダの姿があった。
「お、転ばなかったのか。なかなかやるじゃねーか」
「う、うん。大丈夫だけど……うあっ!?」
ソバニの背後から、再び背中が強く押される。今回も何とか耐えきったソバニが改めて振り返れば、そこには無表情のすまし顔をしたヒダリーが立っている。
「ごめんあそばせ、ソバニさん」
「ヒダリーさん!? 何、どういう……っ!?」
頭の中を疑問符で一杯にしたソバニの肩が、三度強く叩かれる。遂に地面に倒れ伏したソバニが顔をあげると、そこでは縦に巻かれた金髪を優雅に揺らすイジワリーゼの姿があった。
「ふふ、貴方に相応しい格好になりましたわね。ええ、そうですわ。これこそが本来の、正しい姿なのです。やはり『淑女教育』はこうでなくては」
「いたたた……貴方は確か、イジワリーゼさん……?」
「まあ! 新興の男爵家の娘如きが、このワタクシをさんづけで呼ぶのですか!? まったく、これだから礼儀知らずは!」
「えぇ!? で、でも学園内では家格に関係なく、みんな平等だって……」
「なるほど、そんな建前を馬鹿正直に信じているから、身の程知らずにもこのワタクシと同じ教室で学ぶことができるのですわね。イービルフェルト侯爵家の娘たるこのワタクシと同じだと」
「うっ…………ご、ごめんなさい……その、イジワリーゼ様……」
大上段から嘲りの視線をぶつけられ、ソバニは辛そうな表情でそう言い直す。実際イービルフェルト侯爵家からすれば、イールセン男爵家など吹けば飛ぶような弱小貴族でしかない。イジワリーゼの心持ちひとつでどうとでもなる存在なのは間違いないのだ。
「フンッ、どうやら少しは自分の立場というのがわかったようですわね。であれば、自分がどうするべきかはわかりますか?」
「どう? どうって……?」
イジワリーゼの言葉に、ソバニは首を傾げて問い返す。自分がイジワリーゼの不興を買ったことくらいはわかるが、ならばどうすればと言われても見当もつかない。
「ふぅ……これは重傷ですわね。まあ、それならこれからゆっくり教えて差し上げますわ。ただ一つだけ忠告があるとすれば……あの田舎娘には何も話さないことをお勧めしますわ」
「田舎娘? ひょっとしてコリアンデちゃんのこと……ですか?」
「ええ、そうです。ワタクシとしては二人一緒でも構わないのですが……お友達を巻き込みたくはないでしょう?」
「っ……」
イジワリーゼのその一言は、ソバニの胸を貫く太い杭となって深々と突き刺さった。ジッと俯き拳を握るソバニの姿に、イジワリーゼは満足げな笑みを浮かべる。
「では、ごきげんよう。オーッホッホッホッホ!」
「またな! あっはっはっはっはー!」
「では、また。おーっほっほっほっほー」
高笑いを残しながら、三人がその場を去って行った。残されたソバニはしばらくへたり込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がると服についた土埃を払い、自分に言い聞かせるように小さく呟く。
「そっか。これがコリアンデちゃんが言ってた『いじめ』なんだね……こんなことされて笑っていられるなんて、コリアンデちゃんは凄いなぁ」
ゆっくりゆっくり、ソバニの足が動き出す。その動きがどれほど緩慢であろうとも、前に進み続ける限りはいつか寮へ……友達が帰ってくるあの部屋に辿り着くはずだから。
「でも……うん。大丈夫。このくらいなら平気だよ。私だって頑張れる。コリアンデちゃんに心配かけたくないし……こんなの、へのへのぷーなんだから!」
そうして部屋に辿り着くと、ソバニはパンパンと己の頬を叩き、心の中に詰まった鉛を無理矢理押し流すべく、一心不乱に刺繍を始める。指を動かして集中してさえいれば嫌なことは頭から消えていき……やがてすっかり夕日が傾く頃には、扉を開けて大切なお友達が戻ってきた。
「はぁ、ようやく帰れましたわ」
「おかえりコリアンデちゃん!」
「ええ、ただいまソバニさん。あら、刺繍ですか?」
「う、うん。たまにはいいかなって。変……かな?」
「まさか! ソバニさんが作るなら、きっと素敵な刺繍ができますわ! 完成したら是非見せてくださいね」
「勿論! あ、でも、私刺繍ってあんまり得意じゃないから、そんなに凄いのはできないし時間もかかると思うけど……」
「ふふ、最初から凄い人なんていませんわ。私だって刺繍は得意ではありませんし……お母様にはもうちょっと練習しろと言われたりしましたが」
「そうなんだ……ならさ。お互いに刺繍をしたハンカチを交換するのはどうかな?」
「あら、いいですわね! いえ、ソバニさんが私の見るに堪えない刺繍でもいいのであれば、ですけれど」
「えー、そんなに下手なの? 逆にちょっと楽しみかも」
「む、言いましたわね? わかりました、その勝負受けて立ちますわ!」
「勝負じゃないけど……なら、私も頑張るね!」
「負けませんわよ! ……気合いだけなら」
「あはは、何それー!」
最後に小さく付け加えられたコリアンデの言葉に、ソバニは楽しそうに笑い声をあげる。その後は二人で夕食を食べ、部屋に戻ると雑談を楽しみながらチクチクと刺繍をしていく。一人で刺していた時の一割も作業は進まなかったが、ソバニが感じた楽しさは一〇〇倍でも到底足りない。
「では、そろそろ寝ましょうか」
「……そうだね。もう結構遅いし、また寝坊したら怒られちゃうもんね」
「ですわね……ねえ、ソバニさん?」
「何? コリアンデちゃん」
「たまには一緒に寝ませんか?」
「えっ!?」
コリアンデの申し出に、ソバニは驚きの声をあげる。まさか自分の気持ちが顔に出ていたのかと改めてコリアンデを見たが、その顔はただ優しく微笑んでいるだけだ。
「な、何で?」
「いえ、特別な理由があるわけじゃありませんわ。本当にただ、たまにはそういうのもいいかなぁと。勿論お嫌でしたら無理にとは……」
「い、嫌じゃないよ! じゃあ……一緒に寝よう?」
「ふふふ、お邪魔しますわね」
寝間着に着替えたコリアンデが、梯子を登ってソバニのベッドに侵入してくる。如何にコリアンデが小柄とは言え、二人で入ると流石に狭い。
「ふふ、ギュウギュウですわね」
「だね。でも、とっても温かい」
吐息がかかるほど近くで見つめ合い、二人の少女が笑い合う。ソバニの胸を満たしていた不安はその温もりであっさりと溶けてなくなり、程なくして二人は穏やかな寝息を立てて一緒に夢の世界へと旅立っていった。





