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首無し騎士は斯く在りき

作者: 樋口神也

 ヒュッ。


 酸素を取り込まんとした喉が嫌な音を立てた。死が――……明瞭な形を持って現れた“死”の概念が目の前へと迫ってくる。死から逃れんと立ち向かっていったものたちはすでに皆屈した。あたり一面は血の海で、もともと白かったはずの床は面影もない。


 こんなもの、勝てるわけがない。


 震える身体は、護身用と持たされた剣を持つこともできないほどに生きる気力を失っていた。いっそ気を失ってしまえば楽だったかもしれない。もしかしたら、気づかれることもなく逃げ延びられたかもしれないから。そうでなくとも、死の痛みと恐怖を知らずに逝くことができたのではないか。

 そんな“もしも”を考えながら、そうあることを許さなかった『国の王たるもの、いついかなる時も凛とせよ』と謳う父王を恨んだ。幼い頃から繰り返し教えられてきたそれはすでに反意とできないほど身体に染み付いている。そのようにあれと説いた父王はすでに亡い。助けてと泣きわめいたところで咎める者はいないのに、私にはそのやり方すらわからなかった。

 そんな私の恐怖を余所に、“死”は一歩、また一歩と近づいてくる。


 死が――……。かつて、この国を襲った魔王を倒した黒騎士が。国に、民に裏切られ、首を跳ね飛ばされた勇の者が。失くしたその首を探して現れたかの者が。


 魔王を討ち滅ぼしたとされる偉大な黒剣を振りかぶる。ピシャリと頬にかかったそれは、すでに地に伏した近衛たちの血液だろう。亡霊として蘇るほど辛かったのだろうか。しかして彼の復讐心は正当なものに思えて他ならない。ならば、私が死ぬのも仕方がない。身体はいまだに震えるけれど。喚いて、みっともなく泣きすがって、命を乞いたいほどだけど。

 それでも彼は、私の愛した人だった。紛れも無い初恋だった。そして――私が助けられなかった人だった。まだ子供だったなんて言い訳だ。


 あの時、唯一、私だけが。私だけが、彼を助けることができる立場だったというのに。


 後悔をできる立場でないのは自分が一番わかっている。国を思えば立ち向かうことが正しいとはわかっている。それでも、彼をこのような姿にした国を守ろうと立ち向かうことはできなかった。二度彼を殺すことなんてできなかった。

 殺すくらいなら殺される方がずっといい。むしろ、大好きだった彼に殺されるならば、僥倖とも言えるかもしれない。ああ、きっとそうだ。

 身体を支配していた恐怖が薄らいでいく。気持ちが凪いで、いっそ晴れ晴れとした心地だった。死にたくないと、生きたいと確かに思っていたはずなのに、これが国というしがらみから逃れられるチャンスにしか見えなくなった。逃げ方を知らない私が唯一逃げられるチャンス。


 嗚呼、嗚呼!貴方はやはり騎士だった!私の、私だけの勇者様!


「ぁ、ガッ……!」


 ぷすりと、呆気なく心臓に剣が突き立てられる。そのままぐるりと、剣が半回翻った。悶絶するほどの痛みに、もはや声を出すことすら出来やしない。今意識を保っていることすら奇跡に近い有様で、ならば最後に彼の姿を映したかった。

 彼は剣の柄を握りなおすと、私を抱きとめるように背中に腕を回す。胴を覆う黒い甲冑に首は乗っていないというのに、大好きだった紅い瞳が微笑むように細められた気がした。


『姫、助けに参りました』


 どこからか、そんな声を聞く。それはやはり彼の声だった気がするが、私の走馬灯が作り上げた幻聴に過ぎないのだろう。それでも、国に縛られて生きた私の最後としては決して悪くない終わりだったに違いない。



 ***



 目を開けると、見覚えのない部屋で一人寝かされていた。国王の私室として用意されていた部屋と同じくらいの広さの部屋に、今さっきまで寝ていたキングサイズのベッドが一つ。あとは一つだけある小窓と、部屋の外に通じるはずの扉のみ。ずいぶんと殺風景な部屋だと思いながら、ここがどこであるかを確認するために小窓に近づいた。質素でありながらも文化的価値を感じる装飾が、ふんだんに施された格子は随分と綺麗な状態を保っている。うちにも似たものがあったなと思いながら、ゆっくりと窓を押し開いた。

 視界の先に広がるのは木、木、木。どこまでも続く緑に、ここが森の中であるのは想像に難くない。それにしてもずいぶんと目線の下に森がある。今いる建物は想像よりもずっと大きいのだろう。わざわざ不便な森の中に、これだけ大きな建物を建てる人間を私は知らない。そして、現在地としての心当たりが一つだけ思い浮かんだ。


「……まおうじょう」


 未だ寝起きで呂律の回っていない口で呟くと、それを見ていたかのように扉がノックされる。一人肩を跳ねさせていると、こちらの返事は期待していないのか、無遠慮に扉が開かれた。

 入ってきたのは見覚えのない男で、アッシュグレーの髪に隠れる顔は、そこらでは見ないほどに整っている。しかしその頭には羊のような角が生えており、一目で彼を魔物だと教えてくれた。


「なんだ、お前着替えてもいないのか。魔王様がお待ちだ。早く準備をするがいい」


 そう言われてようやく自分へと視線を落とす。可愛らしいネグリジェに身を包まれているが、どうも見覚えがなかった。そもそもこの服に着替えた覚えもないのだが、私が着ていたはずのドレスはどこへいったのだろう。いや、それよりも私はどうしてここにいるのだろうか。


「おい、何もしないなら行くぞ」


 思い出せずに首を傾げていると、魔物の男はしびれを切らしたように声をあげた。服がないと答える前に腕を掴まれる。そのまま強い力で引っ張られては、私に抵抗するすべはなかった。


 乱暴に引かれていった先は、豪華絢爛な二枚扉を設えた部屋で。さっきの会話から察するに、この先に魔王がいるのだろう。打ち倒されたはずの魔王が復活していたなんて聞いていない。私が連れてこられた意味だってわからない。

 まだ世継ぎであった時ならまだしも、すでに国王の座についている私を攫ったところで国は新たな王を担ぎ出すだけだ。得るものなど何もないというのに。

 そう思いながら、魔物がいつの間にか開けた扉に「入れ」と言われるままに進む。中は謁見室のようだ。扉から正面、華美な椅子に腰掛けているのは首のない黒い甲冑の騎士だった。その瞬間、全てを思い出す。


「……ぁ、」


 そうだ、私は彼に殺されたのだ。確かに心臓を抉られた。あの痛みは本物だった。

 はっはっ、と荒い呼吸がこの場に響く。わかっている、これは私の口から漏れているのだ。わかっているのに。まるで息の仕方を忘れたように、呼吸はどんどん荒くなっていく。ヒュッと鳴り始めたことに、ああ、過呼吸だ、なんて他人事のように思った。

 なぜ、私は生きているのだろう。過呼吸となって苦しんでいる今ですら、それがそのまま生きている証明だ。なんで、と思うのにちっとも心当たりはない。あの状態から一命をとりとめるなんて奇跡でしかありえない。では、私はなんなのだろう。私は、私は――……。


『大丈夫ですよ』


 足元からくぐもった声が聞こえた。椅子に座っていたはずの黒騎士は目の前にいて、なぜか私を抱きとめている。ゆっくりと背中を摩られているうちに、呼吸もずいぶん落ち着いた。いつの間にこんな近くに来たのだろう。私を連れてきた魔物の男も消えていた。

 つまり、この場には私と黒騎士の二人きり。冷静にそう考えられるだけの余裕が生まれて、ようやく私は黒騎士の、そう、彼の顔があるべき場所を見つめた。じっとそこを見つめたところで、私たちが無残にも切り落としてしまった彼の優しい顔はそこにはないのだけれど。

 私は何を言えばいいのか、どうすればいいのかわからなくて、ただただその虚空を見つめた。すると、やはり足元から、面白いと言わんばかりのくぐもった忍笑いが聞こえてくる。黒騎士は咳払いをするように頭のあるべき場所に片手を添えた。


『……ッああ、すみません。困惑していますよね。姫は、私のことを覚えていらっしゃいますでしょうか』


 少し困ったような声色が足元から聞こえる。彼の名前を私が呼んでいいのか少しの間思案して、無難な言葉を舌に乗せた。


「くろ、きし」

『ええ、その通りです』


 なんとなく、黒騎士が困ったように笑った気がした。私を支えていた黒騎士の腕が優しく背中に回る。それは柔らかな抱擁だった。私を安心させようとする気持ちが伝わってきて、強張っていた身体から力が抜けていく。


『グレイス様』


 足元の声が優しく私の名を呼んだ。


『グレイス様、どうかまた私の名を呼んで』

「でぃー、る」

『ええ』

「でぃーる」

『はい』

「ディール、ッ」

『ああ、泣かないで』


 名前を呼ぶたびに涙がポロポロとこぼれ落ちる。どうしたら止まるのだろう。彼を困らせたくはないのに。

 不意に背中へと回されていた腕が頬を包み、グローブ越しに涙を掬った。離れてしまった体温を少しだけ寂しく思う。しかし、ゆっくりと頬を撫でる大きな手が気持ち良く、つい猫のようにすり寄った。

 黒騎士は、ディールは、私に合わせるように手を動かすと、そのまま唇を指でなぞる。まるでキスでもするような仕草に驚いて、溢れていた涙は簡単に止まった。


『涙は止まりましたね』


 物語に出てくる王子様のように声は蕩けるように甘い。きっとその声と同じような甘い蕩けた笑顔をしているに違いないのに。顔が見たい。けれど口に出しては言えなかった。

 ディールの首が跳ね飛ばされる様は昨日のことのように思い出せる。あの日の私にもっと力があれば、幾度そう思っただろう。けれど、きっと力はあったのだ。時期国王として育てられていた私は、それだけの知識も、力も与えられていたはずだった。歳なんて言い訳に過ぎなかった。

 後悔に苛まれていると、ディールの指はもう一度ゆっくりと唇をなぞる。それから簡単に離れてしまった。


「あっ」


 不意に漏れた嬌声は、視線とともに離れた指を追う。多分に媚を含んだ声が、自分から出たというのがなんとなく不思議で、それでいて恥ずかしかった。ディールは小さく笑うように肩を震わせると、片手で軽々と私を抱き上げる。空いた片手で、ずっと床に置かれていた、鳥籠の形をした布に包まれた何かを持ち上げた。


『話はもっとゆっくりできる場所でしましょうか』


 優しい声にそっと頷く。ディールは成人した人を抱えているとは思えないほどしっかりとした足取りで、部屋を移るために歩き出した。閉じられた扉はどうするのだろうかと見ていれば、音もなく勝手に開く。魔法だろうかと首を傾げれば、ディールはにっこりと笑った気がした。


 ディールに抱えられて入った部屋はどう見ても誰かの寝室だ。あまり生活感のない、最低限の調度が設えられた部屋だが、懐かしい安心感が存在してとても落ち着く。ディールの寝室だろうと思い至るのは当たり前のことだった。

 ディールは優しくベッドへ私を下ろすと、逆の手に持っていた布のかかった何かを私の膝に置く。見た目よりずいぶんと重いそれを、落とさないように大事に抱えた。


『そんなに緊張しなくていいのですよ?』


 クスクスと笑う声が膝の上から聞こえる。ずっと足元から聞こえると思っていた声は、もしやこの何かから聞こえていたのだろうか。とすれば、この何かに入っているものは――……。


『布をとりますが、どうか驚かないでください』


 まるで私の考えを読んでいるかのごとくタイミングで、ディールの声が語りかけてくる。ディールは私の正面に膝をつくと、被さっていた布をそっと取り払った。


 ああ、やっぱり。


 ほう、と感嘆のため息を吐く。布の下に置かれたのはやはり鳥籠で、その中には想像した通りの愛しい人の首が収まっていた。艶やかな黒髪に、燃えるような紅い瞳を持つその首は、10年前と変わらぬ美貌でもって私を見つめている。彼の名前を呼べば、布を介さない透明な声で私を呼んだ。


「泣かないのですか?」


 揶揄う音色でディールが問う。「感動で?」と聞き返すのは、意趣返しでもなんでもない。ディールはきょとんと目を瞬かせたが、私が泣くとしたらそれ以外の理由はなかった。すでに若干涙腺は緩んでいる。


「みんな恐怖で泣くのですよ……まあ、泣いて欲しいわけではないのですが」

「だったらいいじゃない」

「ええ、そうですね」


 顔を綻ばせるディールがあまりにも嬉しそうな顔をするものだから、思わず本音が漏れた。


「会えて、嬉しい」


 言ってからしまったと思ったが、別段気にする様子もなく、むしろ喜ばしげな顔で「私も」

 と目尻を下げる。とろりと蕩けるような笑みを今度こそ見て、心臓が締め付けられるように痛い。そんな場合ではないのに、胸の奥底にしまっていた恋心が顔を出す。たとえ首だけでも、彼の格好良さは衰えることを知らなかった。


「ですが、ええ。拒絶されなくて良かった。姫を奪う(救う)ために魔物になった甲斐があるというものです」


 思わず息を飲む。なんだそれは。彼と再び逢えたことで浮かきった頭には、愛の告白にしか聞こえない。


「……それから、貴方も」


 スッと細められた紅眼に、本能が警戒音を鳴らす。蛇に睨まれた蛙のような気持ちになりながらも、ディールの口から続きが語られるのを待つ。ディールはまた、表情を柔らかいものに戻して口を開いた。


「姫は魔物の成り立ちをご存知ですか?」

「知らないわ」

「魔物には二種類あります。一つはもとより魔物として生まれた存在。大気中の魔素から自然発生した生物です」


 これはわかる。一般的に魔物は魔素が、本来その場に生息していた生き物の形を模して細胞を形作ったものとされている。世界では一般常識であり、実際の生成現場を目撃した者も多いことから事実だと証明されている。


「もう一つは、魔物以外の生物が魔物へと変質したものです」

「……それは」

「人や生物の魔物化には色々な理由がありますが、一番わかりやすいものでいえば屍人ですね。死体に魔素が取り込まれて魔物化した一番ベーシックな魔物化と言えるでしょう。もちろん私も姫も屍人ではありませんが」

「じゃあ、やっぱりあの時、私は一度死んだのね」

「生物が魔物になる時、核となるのは心臓です。そこに無理やり魔素を流すことで姫を魔物にしました」

「そう。でもどうして?私はディールに助けてもらえる覚えはないわ。……恨まれているのならわかるけど」


 だんだん声が小さくなってしまったのも仕方がないと思いたい。さっきは舞い上がったが、冷静に考えれば恨まれる覚えはあっても、助けてもらえる覚えなど本気でないのだから。


「私は姫を恨んでなどおりませんとも。ええ、まあ、国に思うことがなかったかといえば嘘ではありますが……私の心残りは唯一、貴方様のお側に帰れなかったことだけです」


 ディールが私の手を握る。手袋越しでは体温なんてわかりもしないのに、握られた両手が熱かった。籠の中から熱視線が送られているからだろうか。昔から変わらず、この人はずるい。

 目線を合わせるたびに蕩ける瞳をじっくり見たくて、この隔たりが邪魔だった。


「姫?」


 鳥籠は上部が外れるようで、留め具を四箇所外して蓋を取り払う。そっと頬を支えるように、籠から頭部をゆっくりと取り出した。ディールは私の行動に終始困惑しているようだったが、制止の声は聞こえなかったしいいだろう。

 案外重い頭部を落とさないようにしっかり支えて、目線がちょうど合うように持ち上げた。額がぶつかりそうな距離で視線を交わす。これだけ近くまで顔を寄せたのはいつぶりだろうか。彼の処刑前夜にあったかもしれないが、あれは格子越しだった。もしかしたら、五歳とかそれくらいぶりかもしれない。十五年前にはわからなかった胸のときめきは、ずっとずっと鮮明だった。






 ディールとお城で過ごし始めてから、どうにもやることがない。

 そもそも魔物がすることと言えば、魔物の領地を人間が犯した時に殲滅に向かうくらいだ。ディールは現在の魔王なので、わざわざ殲滅に出向くことは滅多にない。

 どちらかといえば、彼は魔物相手に戦うことが多いくらいだ。魔王を決めるのは単純明快実力主義で、一番強いものが魔王と呼ばれるらしい。なので、たまに魔王城に住んでいない魔物が、新しい魔王に成り代わろうとディールに闘いを挑みに来る。それを片っ端から返り討ちにして配下にするのだから、私はこっそり惚れ直した。

 ディールも随分と暇なようで、私を手元に置いて遊んでいる。彼が未だに私を姫と呼んで傅くものだから、初めは配下の魔物たちからの不満の声もあった。暫くして、私がただ愛玩動物扱いされているだけであることに魔物たちは気が付いたらしい。風当たりは優しくなったが、どうにもその認識は遺憾である。

 今まで執務で忙しくしていたせいで、暇な時間をどうしていいかわからなかった。ディールの為すがままに過ごしているけど、彼は私をどうしたいのだろうか。

 いつものように、ディールの私室にある大きなベッドの上で抱き込まれている時に尋ねてみた。


「ねえ、ディールはどうしたいの?」

「どう、とは?」

「お城の人がみんな死んでいるのを確かに見たわ。それなのにディールは私を連れてくるだけで何をするでもないでしょう?どうして?」


 この穏やかな戯れは、恋人同士のようで胸に甘い痺れを及ぼすが目的が知れない。ディールと共にいるだけで私は幸せだったけど、それとこれとは別だ。何かやりたいことがあったのなら、出来る限り手伝いたい。


「姫をどうこうしようとは思っておりません。貴方が私の元にいてくれるだけで、私は満足ですから」

「初めて言われた」

「初めて言いました」


 平静を装っても、心臓が痛いほどに脈打つのがわかる。決して恋人同士ではないから深みにハマらないようにと自制しているのに。なんでそんなことを言うのだろう。ずるい人。

 もういっそ迫ってみようかとはしたないことを考える。私に甘いディールは少なくとも拒否はしないはず。私は未婚だったし、身体は清いままだから問題ないんじゃないかな、なんて。

 はあ、とため息とともに雑念を追い払う。ディールと向かい合うように身体の向きを変えて、その身体に凭れ掛かった。首の上に顔がないからどこを見つめればいいのかいつも迷うが、顔の入った鳥籠がベッドサイドで瞼を閉じていても、何もない首の上から視線を感じるのでそこでいいのだろう。どう言う仕組みかよくわからないが、ディールが私を認識してくれているのなら構わなかった。


「少しは落ち着いたかもしれないけど、国は未だに混乱していると思うわ。国取りもしないの?」

「賢王と呼ばれた姫がいなくなったのだからきっとそうでしょう。貴方が国を欲しいというのならば、国の一つくらい取りますが?」

「前王が愚かだっただけよ。それに私は国なんていらないわ。……けど」

「けど?」


 キュッと腰に回る腕に胸を高鳴らせながら言葉を選ぶ。


「その、元人間がこんなことを言うのもなんなのだけど、魔物の領土は少ないでしょう?住む場所を広げたいとは思わないのかしら」

「ふふ、私だってそうですよ。……まあ、そう言う魔物もいますね。しかし土地があったところで魔物は人のような営みはしません。魔素が濃ければ生きていけますからね」


 縋るように胸に預けていた頭を撫でられた。緩やかに動く手のひらにうっとりして目を瞑る。


 ずっと人を食べると思われ、恐れられていた魔物は基本的に食事を取らない。

 魔物の体を構成するのは魔素なので、それを取り込むために眠りさえすれば生きていける。平常時でも魔素は取り込めるが、睡眠中の方が取り込む効率はいい。だから眠りもしないし食事もしない魔物がいるわけで……確かに領土も要らなそうだ。

 魔物が人間を襲う理由は人間が魔物を襲うからだ。いつだって愚かなのは人の方なのだなと今更ながら思い知る。

 なぜ今まで気がつかなかったのだろう。もっと早く知っていれば、人のままでもディールと生きていけたのに。


 苦い思いが胸いっぱいに広がって不愉快だ。魔王討伐の命を出した挙句、ディールの処刑を決めた前国王を殺してしまいたい気持ちに駆られたが、彼はとっくの昔に死んでいる。なんと忌々しいことだろうか。

 私の苛立ちに呼応するようにパリンと音が響く。ハッとして視線を向ければ、テーブルに置かれたワイングラスが割れていた。


「魔力の暴発ですね。怪我はありませんか?」


 やんわりと抱きすくめられ、指を絡める。小さく頷けば、そのまま手を握られた。


「私が死んだことがそんなに惜しいですか?」


 疑問符には似合わない嬉しそうな声音が鼓膜を揺らす。惜しいに決まっている。だって誰よりも好きだった。


「ですが、私が生きていたとしても姫の隣に立つことはできませんでした」

「そんなこと、」


 ない、と言おうとして口を噤む。私がディールに覚えたのは男女としての愛情だ。王族とその騎士、確かに望む形で持って隣に立つことは叶わなかったかもしれない。

 それに今更ながら思い至って、己を恥じた。騎士としてのディールはもちろん大好きだけど、それだけじゃ、きっと私は我慢できなかった。


「じゃあ、これが正解?」

「そうかもしれませんね」


 するりと繋がれた手を謎られる。背筋がゾクゾクとして、嬌声が漏れそうになるのを唇を噛んで抑えた。


「……はぁ、愛おしい」


 艶を帯びたため息に肩が跳ねる。


「キスしたい」


 続く声は、間違いなくディールのものだ。聞き間違いだろうかとも思ったが、ディールの空いた手はするすると私の身体を這っていく。


「ディー、ル?」


 心臓が痛いくらいに跳ねていた。彼も同じ気持ちだと期待してもいいのだろうか。

 じわじわと顔に熱が集まる。ゆるりと身体を押し倒されて、背中が柔らかなベッドの上に倒された。


「貴方を国から救たかったなど嘘なのです」


 猟奇的な視線を感じて、ベッドサイドを振り返る。紅い瞳が射抜くように私を見つめていた。


「人だろうが魔物だろうが関係ない。私はずっと貴方が欲しかった」

「ディール」

「そんなに顔を紅くして、期待していましたか?」


 直接的な言葉に、顔から火が出そうだ。

 ディールは目を細めて、口角をぐっと釣り上げる。脳がガンガンと警報を鳴らした。背筋を這う悪寒に反射的に身体が逃げる。


「逃さない」


 縫いとめられて、身体を押さえつけられる。痛いと言うほど強くない。でも、確実に逃げられない力加減。


「嗚呼、ここにいるのは私だけのグレイス様だ」


 粘性の液体が絡みつくように耳に言葉が纏わりつく。

 ディールが執着しているのが私だと言うことがいまいち信じきれないが、今この現実が全てだった。身体は恐怖で竦んでいるのに、心は歓喜で満たされる。


「姫、姫、グレイス様。殺したいほど愛しています」


 ディールの指が、痕のない、けれど一度は剣が突き立てられた箇所を、もう一度傷つけるが如く這い回る。ずっと速いままの鼓動はバレているに違いない。


「私も、」


 ひり付く喉を唾液で誤魔化して、精一杯の言葉を紡ぐ。


「殺されたいほど愛してる」


 “この”ディールは死、そのものだから。死ぬ一瞬さえも満たされる。

 ディールのくれるもの全てが私の幸福で、彼の愛。


「生の与奪まで、貴方の全てが欲しいのです」


 だからください。そう言ってのけるディールの声は弾んでいる。甘い痺れが胸を満たして、身体が歓喜でふるりと震えた。ああ、もっと早く言ってくれればよかったのに。


「いつだって差し出す準備はできていたのに」

「それはもったいないことを」


 キスを落とすように指先が唇に触れた。私を手に入れるために私すらも殺し尽くした彼に、仕舞い込んだ恋心が満たされる。

 死んだからこそ得られた彼に手を伸ばす。抱きしめて、抱きしめられて、このひと時を心行くまで堪能する。


 きっと、今の私の顔は視界の端に映るディール同様に幸せに満ちているに違いなかった。


首無し騎士と姫様の恋愛が書きたいな〜〜ってだけだったので着地点を見失いました。国の制圧とか人類皆殺しとか色々考えたけど短編じゃまとめられなかったので……。


これはただの性癖なんですが、殺し愛が大好きです。ほんとはキスとかもして欲しかったけど首がないからキスできないじゃん!となりました。

どうでもいい裏設定ですが、ディールの享年は25歳、当時のグレイスの年齢は10歳という犯罪的年の差。

魔物になってからの外見年齢は10年程度では変化がないのでちょうどいい(外見)年齢差になります。


拙作を少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。 神也

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